「小さな農」を楽しみます

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執筆者 小林恵子
所 属えん(縁)もたけ(竹)なわ

2017/08/15

 私は、岡山市で、~えん(縁)もたけ(竹)なわ~と称し、竹藪を活かして認知症の人の「居場所」と「出番」と「役割」作りに取り組んでいます。

 

ナバナ

 

 これまでお百姓であった祖母たちが、足腰が弱り、農業ができなくなり、これまで自分たちで守ってきた山が荒れ、管理が行き届かない、いわゆる放置竹林が増え広がりました。
 祖母たちが認知症となり、それまで抱えていた悩みを一気に吐き出すように何度も何度も放置竹林のことを嘆くようになりました。
 放置竹林は、生態系の破壊をもたらし、深刻な社会問題であることを学びます。約六年前のことです。私は、恥ずかしながら知らないことばかりでした。
 人の手によって森は守られてきたこと、代々守ってきたこと。高度経済成長によって、若い人は町に働きにでるようになり、森の守り手が減ったこと。結果、生命力の強い竹は広がり続け、管理の行き届かない竹藪、いわゆる「放置竹林」が広がり続けてきたこと。知らないことばかりでした。
 いろんな植物、動物、虫、微生物がいて森の循環が守られていました。森に竹が広がり、生態系が破壊されている。虫や動物の餌がなくなり、そのためイノシシが民家のほうまで山から降りてくるようになる。祖母たちが憂うるのも、もっともだと思いました。
 祖母たちが、そんなに「竹」「竹」言うのなら、生かしていこう!!!!と取り組んでおります

 

竹の子

 

 生命力の強い竹であります。手入れをしなくては、生命力の強いたけは、どんどん増え広がっていきます。竹が増え広がると、他の植物を追いやり竹ばかりとなります。竹ばかりとなると、笹が生い茂り、日陰ができます。土に日があたらなくなると、いよいよ他の植物は生えてはきません。いよいよ山は、竹ばかりとなってしまいます。
 地元では、竹ばかりになりつつある山は増えていっております。なんとか竹を活かし、活かすことで森が守れますよう取り組んでおります。
 
 6年前に京都から、地元岡山へ戻ってまいりました。竹藪に入るようになり、家の畑を手伝うようになりました。いなかでは、農業をしている人が農業のことを色々教えてくれます。
 先日は、農業の先生にお話しをうかがえる機会に恵まれました。日本ぐらい農業に適した国はないといわれているそうです。種を植えると生えてきます。生えない国も多いとのことです。
 日本が農業に適している理由は、

「雨が多いこと」
「温暖であること」
「土がいいこと」

が理由にあげられるそうです。
 酸性の強すぎる土地、乾燥しすぎている土などでは、植物は生えてはきません。
 日本に見られるタケの多くは帰化植物と考えられています。一部種類には日本野生説もあるが、ほとんどは中国原産であるそうです。
 あまりにも広がり続ける竹やぶ。その生命力の強さを感じるとともに、はぐくむ力のある、日本の豊かな土壌、風土を感じています。
 
 そんな、豊かな土壌、風土のある日本でありますが、今では岡山でも不耕作地が多々みられています。農業をする人が大幅に減ったからです。
 祖母たちは、

「百姓はえれえばかりじゃ」
「勤めに行ったほうがええ」
「儲からん」
「なるもんじゃねえ」

と日々言っておりました。
 1960年代、1970年代の高度経済成長により、若者は町に働きに出るようになりました。
 農業はたいへんな割に儲からない(もちろん儲かっていらっしゃる方もおられます)、とうのが祖母の口癖でありました。私の父の世代は農業は割りに合わないたいへんだというイメージが染みついた若者たちであります(私の叔父も然りです)
 その若者が団塊の世代となっています。生活を見直し、定年後に農業を始められるかたもおられますが、「やりたくない」、という農家のご子息たちが多いのも現実であると感じます。
 そのご子息のご子息、私たち孫の世代になると、再び農業に魅力を感じている人が多いことも感じています。
 
 「食」は生命を支えます。自分の生活は自分で支ええていきたく考える方が、私の周りにも増えてきているのを感じています。自分で作ったもの、採ってきたものをいただける美味しさ、ありがたさ。岡山に帰り、改めてそのありがたさを感じています。(もちろん、京都もさまざまの文化遺産の残る、温故知新のすばらしい大好きなところであります)
 おいしい空気があり、水があり、なにより働けるからだがある。普段当たり前に思っていたことのありがたさを感じます。生かされて生きていることのありがたさを、「小さな農」から感じる日々です。

 

サニーレタス

 

 生きていくため必須な「食」ではありますが、日本食料自給率の低さは、以下のようになっています。
 

「食料自給率は、国内の食料消費が国産でどの程度賄われているかを示す指標です。我が国の食料自給率は、長期的に減少傾向で推移しており、先進国中最低水準となっています。また、食料自給力は、我が国農林水産業が有する食料の潜在生産能力を表すものです。食料の安定供給を確保するためには、食料自給率・食料自給力の維持向上を図ることが必要です。」(農林水産省のホームページからの抜粋)

 
とあります。

 先ほどの農の先生は、

「トマト1本から、少しの菜っ葉から、はじめることも大切である」

とおしゃっておられました。
 ソ連時代に建築された「ダーチャ」について教えていただきました。
 

「1930年代、スターリン時代に、農業集団化で強制的に土地を奪われた農民が「自留地」を要求(要は農民の生産物を根こそぎ徴収しようとしたスターリン政権に対して農民たちが「自分達の食料の自給」を求めた)、獲得しこれが今日の大衆的ダーチャの発端となった。
 経済が著しく混乱していたソ連末期やロシア共和国初期、ハイパーインフレーションや給与支払いが半年、一年も滞り疲弊し切って、日々の食料調達もままならなかったロシア国民にとって、自活(自給自足)という最終手段で食料、現金収入を得る(自力で瓶詰加工など保存食も製造・保管していた)最後の場でもあった。これがロシアの知られざる力となっている。」(ウィキペディアの抜粋)

 
 自分たちの手で求めた「自分たちの食料の自給」「小さな農業」が、ロシアの大きな経済混乱期に自分たちを助けたことを学びました。
 
 今の時代、それぞれお仕事をされていたり、お家のことに、お忙しい日々であることと思います。私の家の「小さな農」は、それぞれが手伝う分業であります。それだから無理なく取り組めるということもあります。
 地元では、「サラリーマンハンター」と言われる、サラリーマンをされながら、猟師をされている団体がおられます。それぞれできる範囲で協力をしながら猟をされているそうです。それならばサラリーマンでもできる。とそれぞれ協力をされながら取り組まれています。
 一人ではできなくても、何人かで取り組むことで、もっと気楽に、「農」をもっと楽しめれば、と取り組んでおります。
 農業従事者の高齢化が言われています。今の時代にあった「農」を模索をしてまいります。京都では、本当に我流のベランダ菜園でした。やや日陰でした。
 
 いなかには・・

「土地がある」
「先生がいらっしゃる」
「空気がおいしい」
「お水もおいしい」
「太陽の恵みがぎっしり(特に岡山は『晴れの国』であります)」
「小さな『農』であれ、動くので健康で、ご飯もより美味しい!!」

ビバ 田舎です。「小さな農」楽しんでまいります!!
 
 長文お読みいただき、ありがとうございます。これからも、ご指導をいただけましたら幸いです。

 

梅

 

 ますます、いなかが輝きます日々でありますよう!!
 
~えん(縁)もたけ(竹)なわ~
赤西 恵子

 

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