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いなかインターンシップ

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会社員×妻×嫁×親

道の駅四万十とおわ中野店長

株式会社四万十ドラマ・道の駅四万十とおわ
中野千里店長

四万十川沿いに建つ道の駅四万十とおわ、旧十和村(現在は四万十町に合併)の山と畑に囲まれた山間部にある道の駅。何もない本当の田舎。人口3,000人たらずにも関わらず年商2億円以上を売り上げる超人気の道の駅は、地元のおばちゃんが作る野菜はもちろん、地元の食材をたくさん使ったここしかないオリジナル商品がたくさんある。繁忙期は川沿いに面した食堂に長蛇の列が出来るほどの人気ぶり。 地域の人たちと一緒に作った木造平屋の建物も魅力的だ。 この道の駅を運営するのが株式会社四万十ドラマ。この会社の取組みは高く評価され全国各地から視察や見学が後を絶たない。その注目される道の駅で市場店長を務める中野さんにお話を伺いました。

中野店長は都市部から結婚を機に田舎に嫁いできたいわゆるIターン者。 ちょっと国道から奥に入れば沢の水だけで生活する人もたくさんいる。もちろん水洗トイレだってほとんどない。田舎ならではの地域の人との付き合いなど、都市部とは生活環境 、文化が大きく異なる。 ? そこにいきなり飛び込んできて子供を育て、道の駅の店長として切り盛りしながらバリバリ働く田舎のキャリアウーマンが中野さん。 「ここまでやってこれたのは地域の人の暖かさや家族の応援があったからこそ」と言う、中野店長。全国から注目される道の駅で働きながら地域で力強く生きる大変さや面白さを探ってみた。

道の駅四万十とおわ

26歳の支店長

-四万十ドラマ・道の駅四万十とおわで働くきっかけ何だったですか?

元々高知市内出身で高知でOLをしていました。歯科助士やホテルで働いたりして最後は建築関係の営業をして、それで26歳の時には支店長をしていて。

一同-その年ですごい!

営業成績が良かったから。その年で年上の部下がたくさんいた。だけどまだ若いから分からないことも多かった、年上の人たちがみんな「年下のくせに」なんて一言も言わずに部下なんだけどいろいろ教えてくれたりして。それに建設業相手で土建屋さんとか怖そうな人が多いじゃない。度胸がないとやっていけないし、それが今やっていることの下地になっていると思っている。打たれ強くなったし。

道の駅四万十とおわ野菜売り場

送り迎えのお野菜配達

そうして仕事をしていくうちに今の旦那と出会い、結婚して、とおわで暮らすことになりこっちに来ました。最初は旦那が大工だから自営業の手伝いをしながら暮らそうかなと思ったんだけど、ちょうど知人から「十和の台所」という地域のおばちゃんが運営する野菜や加工品を売るお店で働いてみないかと誘われて、そこで働いていました。

最初は全然仕事先のおばちゃんの事も知らなかったんだけど、なぜか来る人来る人私のことを知っていて「中野さん家のお嫁さんね」と。たぶん今だからわかるんだけど田舎のおばちゃんのネットワーク、情報伝達の速さはすごい!噂やちょっとした事でも次から次へとあっという間に広まる(笑)。

みんな自分のことを娘、子供のように接してくれて。ちょうど子供を妊娠してたんだけど田舎では妊婦は珍しいからかな、毎日差し入れが届いて、それも半端じゃない量のおやつが毎日毎日届く。気がつくと20kgも太ったわ(笑)。「妊婦は食べなきゃいかん」と。だけど、そこで地域の人を覚えて田舎のコミュニケーションの取り方を勉強できたかな。

ちょうど保育所に娘を送り迎えしていたんだけど、その時に保育所の先生から「保育所で出す給食に野菜が欲しいんだよね」と言われて、送迎のついでに野菜を届け始めました。そして、この送り迎えのお野菜配達がきっかけで、地域のおばちゃんの野菜を保育所で使っていくことになったの。

一同 へ~~~!

-ちなみに田舎の生活にはすぐに慣れたのですか?

う~ん、最初は夜の虫とカエルの鳴き声を聞くと寂しく思った。都会のネオンが恋しいかった(笑)。最初は親にも心配されたかな。「あんたには田舎で暮らすのは無理」とか言われていて、でも確かに都会みたいにたくさん物はないけど、無いなら無いなりに出来るもんだなと生活に慣れてきた頃には思ってた。元々「何とかなるろう」と思う性格だから。

それで「十和の台所」の運営が農協から四万十ドラマに移ることになってそのまま四万十ドラマで働くことになりました。その後産休などを挟んで2人目の娘が生まれて、2ヶ月くらいの頃かな。四万十ドラマの畦地専務(現社長)から道の駅ができるから「十和の台所」から道の駅に来ないかと誘われ、道の駅の立ち上げに関われることなんて人生でそうあるわけではないし「行きたい!」と思いました。

道の駅四万十とおわ野菜売り場

親として嫁として妻として、そして会社員として

-家族の理解は得られたのですか?

旦那のお母さんが働いていたから「若い時にしか出来ないから」と言ってくれて、家族はみんな理解をしてくれた。でもオープニングスタッフでしょ、最初はすごく大変だった。教えてくれる人はいなし、ボールペン一本から調達しないといけない状況。もちろん誰もやり方、方法なんかは知らないから試行錯誤でみんなで考えながら進めていった。 わからないことがあれば畦地さん(現社長)に積極的に聞いたり、雑用から行政の対応までほぼ全ての業務をこなしていった。そんな状況だから子供も親に預けたりして、日曜日も家族と過ごせなくなって生活が一変した。子供がいるから帰らせて下さいなんて言える雰囲気はなかった(笑)。

親として嫁として妻として、そして会社員としての4つの顔を両立していくのは本当に大変。そこが一番つらかったかな。今は子供が理解してきてくれてるけど、子供と接する機会が少なくて「ママ疲れちゅうけん」って、なんか寂しいなと思った。

それで今から2年くらい前にオープニングからいたスタッフ(前店長)がやめて、仕事の作業を把握しているのが私しかいなかったので、必然的にしょうがなく店長になったの(笑)。その時はみんなに心配されて「大丈夫なのか?出来るのか」。って。その時、強くならなくてはいけないと覚悟決めた!地域の生産者の人たちに、私達だって頑張ってるんだということをわかってもらうんだと思いました。

社長は外に出ていることが多いから、現場を守っているのは私達だし、現場のスタッフの気持もわかってあげられるのも現場の上司だと思うの。現場の声を社長につないでいく事は重要だし、逆に社長の思いとか会社の方向性を現場に伝えていくことも大切だとな思っている。

そんなことで今は現場管理とか市場(売場)の指揮かな。数十人のスタッフをまとめていく感じ。やっぱり仕事にはすごいやりがいを感じている。それにちょっと前までは年代もバラバラで意識を統一するってことがなかなか難しかった。でもここ最近、若い子がたくさん入ってきて、仕事終わりに若い者同士で飲みに行ったりしてコミュニケーションを取っていて、それが仕事に活きてきているのかなと思う。

道の駅四万十とおわ野菜売り場

ダメなことはダメって言えるような仲間になっていかないと

私が思う会社というのは、みんな同じ目標に向かって、みんなが一緒になってお互いが歩み寄りながら進んで行かないといけないと思う。ダメなことはダメって言えるような仲間になって行かないといけない。それが少しづつ出来るようになってきているかな。道の駅も段々成長してきてる。今は子供が道の駅で働くのを楽しそうだと思ってくれて、中学生になったら絶対職場見学は道の駅に行くって言っているの!

-お子さんにそう思ってもらえるのはとても素敵ですね。店長の今後の希望や夢はありますか?

今は現場も若い子が増えてるし、地元の子も外に出ていた子が戻ってきた。やっぱり地元がいいと思って頑張ってやっていきたいと思う子がいるから、その子たちにサービス・接客とかのスキルを身に着けてもらって、3年後くらいには新しい店長になってるんじゃないかなと思っています。(笑)地元の子が地元で働き、地元に貢献する組織になればいいなと思います。

-今までも研修生を受け入れてきましたがどうでしたか?

とにかく去年はいっぱい来たね。すごい大変だった(笑)。別に教えなくてもここには地元の人や生産者が集まるので自然と学べるはず。そこからいろいろな提案や改善点など色んな事ができてくると思う。受け身でいるとここではやりたいことは出来ないと思う。やっぱり「何かやることありませんか」「出来ることはありませんか」て聞いてくるような積極的な子の方がいいね。そういう子に限って面白いことが回ってくる!

-まさに第二の「送り迎えのお野菜配達」のようなことが生まれるかもしれませんね。

地域の人とは積極的にコミュニケーションを取っていった方がいい。挨拶だったりちょっとした事の触れ合いが大事。それが次から次へと伝達していってどんどん広がっていく。今でも地域の人には本当に可愛がってもらってます。地域に溶け込む、溶け込もうという姿勢がほんとうに大事!

 

▼同じく道の駅とおわで働く刈谷さんインタビュー動画はこちら

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