「こうしたい」と言えないのはなぜ
今日のランチはチキンカレー!スープとミニサラダのセットで600円です!
お客さんとの話に集中してるともう昼を過ぎてしまった・・・。
『いろんな影響があって考えたり揺れる要素はあるけれども、最終的に自分で「こうしたい」と選ぶということが自分の人生を生きることだ。』という言葉が今日の会話のなかであった。そうやんなぁ~と思った。
でも、会社で「ひとみはどうしたいのか」を聞かれているのに、どうしても相手がなにを求めてるかを聞いて動こうとする自分を出してしまう。
自分のこれからのことを前日結構考えていて「こうしたい!」という意見があったのにも関わらず。
自分の「こうしたい!」を言わないから、それで、コミュニケーションが成立しない。ということが起こる。
だから、「自分だめだなぁ・・自分がどうしたいかを言えなきゃいけないなぁ。」と思っている。どうしたいかを言えない自分って、依存的で子どもじみてて人に迷惑かけるだめな奴だなぁと思ったりもする。
けれども一方で、なんともいえない、不思議な気分がある。
答えとしては「自分がどうしたいかを言う」ということが本当にこの場の答えなんだと思う。
だけど、相手次第の自分がいて、自分はそれ次第、二の次だ、というのが、なんでかある。
それだと、窮屈ではある。だから、こうしたい!と言えたほうがやりとりも進むし、
見えやすい、明るいコミュニケーション?ができる感じがする。
自分が自由になる気持ちよさもあるし。
そういうのがあるのにも関わらず、自分は「相手次第」を選んでしまうところがある。
なんでだろう、窮屈なのにね。
自分の生き方を人のせいにできるから・・?
えー、そんなしょうもない理由だけで??
というところをさまよっています。