「岩手移住計画」活動紹介。そして「地域の魅力的でないところ」って?
2015/07/03
はじめまして。「岩手移住計画」の手塚さや香です。今回ははじめての「いなかマガジン」ということで、わたしたち「岩手移住計画」設立までの経緯や最近の活動を紹介したいとおもいます。
○「岩手移住計画」って……?
もともとは、県外(おもに首都圏)から岩手に移住者をどんどん呼んじゃおう♪という野望のために、県内のUターン者や首都圏在住の岩手出身者に相談しながらつくった任意団体です。
そもそもは、私自身が2014年に新聞記者を辞めて岩手県内での定住を視野に入れてほかの仕事をしよう、と思い立ったことがきっかけでした。市町村のUIターンの支援策やUIターン者を積極的に採用するような企業があるのかどうか、といった情報がどこにあるのか(ないのか)、どこに相談したらいいのかよくわからない。
……けっきょくわたしは、縁あって今の釜石市の復興支援員組織「釜石リージョナルコーディネーター協議会」(釜援隊)に所属することになったのですが、その時の経験から「もっとわかりやすい相談窓口があったら、迷っているUIターン予備軍も移住できるんじゃないの?!」と思うようになったのでした。
そんなことをUターンの友人たちと話すうちに、「京都移住計画」という活動があることを聞き、去年の夏、「京都移住計画」の田村篤史さんを訪ねて、相談にのってもらったのでした。そして、わたし自身の転職が決まったのに合わせて、「岩手移住計画」も動き始めました。
最初に書いたように、当初は「移住予備軍」が実際に岩手に住み始めるまでの活動をしたいと考えていましたが、自分が沿岸部の被災地に住み活動を始めてみると、岩手県にはすでに多くの「移住予備軍」というか「定住予備軍」がいることに気がつきました。それは自分も含めた県や市町村の復興支援員や、3年間や5年間といった期限付きで被災自治体の職員などとして働いている人たちです。
私の所属している「釜援隊」
そういった人たちの中には、わたしのように定住を視野に入れている人もいますが、多くは「契約期間が決まったらどうしよう、地元に帰るしかないかな」といった不透明感を抱えています。のちに気づいたことですが、地域おこし協力隊も同様です。なかには、「なかなか地域になじめない」「同年代がいない」という不安を抱えている人にありました。
ひとまずは、数人で活動する零細任意団体の「岩手移住計画」としては、東京などから「移住予備軍」を連れてくる前に、岩手にすでにいる「定住予備軍」を囲い込むほうが手っ取り早いし、先決ではないか!とおもうようになり、県内各地にいるUIJターン者や復興支援員、地域おこし協力隊が交流するイベントを始めました。あとは、県などが都内でUIターンのフェアのトークイベントに出演して、岩手の暮らしの楽しさや自分の体験をお話し、相談にも対応しています。
○「岩手移住(IJU)者交流会」開催中!
初めての「岩手移住(IJU)者交流会」は盛岡市で2月末に開催しました。
人口約30万人の盛岡市なので、やはり移住者にもいろんな方がいらして、Iターン歴30年のビジネスマンから、だんなさんの故郷の盛岡に来てまだ1年ほどという方、さらには県南部、北部の地域おこし協力隊など、40人ちょっとの方々が集まってくれました。
そして直近では、6月7日に「岩手移住(IJU)者交流会@釜石」を釜石市で開催しました。盛岡のときと比べて平均年齢がやや若い感じで、大半が20代~40代前半のようでした。ちなみに、Uターンが7、8名、Iターンが10人強、Jターン(出身地から首都圏などに出て出身地に近いところに戻ってきた方)も5名ほど、残りは不明(挙手してもらったのですが、カウントしきれず)といった感じ。
前半は、盛岡でも紹介した「岩手移住者アンケート」の結果(サンプル=岩手県への移住者135)をもとに、釜石在住のUターン代表・下村さん(40代)とIターン代表のわたし(30代)とでのトーク。
このアンケートは、昨年12月~今年1月にかけて、ジョブカフェいわてが実施したもので、わたしたち「岩手移住計画」と、東京で岩手ファンが集まる「岩手×東京会議」もアンケート項目作成や結果分析に協力しました。今回はその一部
「岩手の働きやすさ/働きにくさ」
「移住の前後での収入・支出の増減」
「移住して得たもの・よかったこと/我慢していること・困ったこと」
「住んでいる地域の魅力/魅力的でないところ」
「移住してからのネットワークの広げ方」
「移住に向いているひと」
の各項目について、多かった回答、そしてわたしたちが「これはおもしろい」とか「これはみなさんに紹介したい!」とおもった回答をご紹介しました。
○「地域の魅力的でないところ」って……?
一例を挙げると、「住んでいる地域の魅力的でないところ」という質問への「地域の人が地元に誇りを持っていない」(20代、Uターン)という回答。 トークの中でUターンの下村さんも「自分も子ども時代に、地元の人は釜石に誇りを持っていないと感じることが多かった」と振り返っていました。下村さんは大学進学のために東京に出て、そのまま18年間を過ごし、震災後にUターンした方なのですが、ご両親は東京でバリバリ働いている息子がまさか戻ってくるとは思っていなかったそうで、とてもびっくりされたそう。
親世代は子どものためを思って「東京で元気にやってくれればいい」と納得し、家庭によっては子どもが10代のころから「ここは不便なところだからもっと便利なところに進学・就職したら?」と勧めたりするわけですが、子どもたちは結果として「大人はこの地域に誇りを持っていないんだな……」と思ってしまうということもあります。大人が自信を持って「ここは不便なところもあるけど、こういう良いところもあって、こういう凄い人もいるんだよ」と子どもたちに伝えていける地域になったらいいなあとおもいました。
東日本大震災で大きな被害を受けた釜石ですが、下村さんは、震災後、若い世代の地元志向が強くなってきていることも踏まえて、「一度、進学や就職で出て行っても、若い世代がまた戻って来たい、と思われるような地域にしていくチャンス」とのちからづよくコメントしてくれました。
トークのあとは交流会。初対面の方同士も多かったのですが、和気あいあいとした雰囲気で盛り上がりました。「つながりは力なり」。参加者同士が交流し仲間が増えることで、岩手のみんなの暮らしがもっとたのしくなったらいいな♪とおもっています。
最後まで残った参加者のみなさんで集合写真