エンもユカリもつくるもの
2012/11/22
どうも、お初にお目にかかります。ツネヨシミチコと申します。
2011年の秋に、四万十で一か月間、研修させていただきました。そんなご縁で「いなかマガジン」の執筆者末席に加えていただきました。
どうぞよろしくお願いします(^ツ^)。
一番最初の投稿なので、私がこの町に暮らしている理由などなどを少々。
私が現在暮らしている町は、大分県の由布市湯布院町という町です。温泉で有名な別府市からひと山越えて内陸にある小さい町です。この町にも温泉が湧いていて、温泉観光地としてにぎわっているので、パッと見、「いなか」に見えなかったりしますが、住んでいる人たちの心持ちが「ムラ」の感覚を大切にしているので、我が町も自信をもって「いなか」だと言えます。
▲山の上から町を見下ろせば、つくづく小さい町だと思います。
さて、そんな大分県の田舎町に、純粋鹿児島産の私がたどり着いたのは、
これぞ「運命」の出会いでした!
と、書きたいところですが、たどり着いたのは「たまたま」。
たまたま、どんぶらこと流れ着いた、という表現がぴったりです。
憧れをもって移住してくる人も多い土地です。
その中で、むしろ、観光地に暮らすことに否定的だった私は、
「あーぁ、なんだかなぁ。人も多いしなぁ。まぁせっかく就職したし、1、2年働いたら実家に帰るなり、違う町に行こう。」そう思いながら、この町にやってきました。
ゆえに、この町で何かを成すぞ!地域に溶け込むぞ!なんていう気負いは全くなく
この町で暮らす始まりは、とてもユルかったのです。
▲町の中心部は観光地でもある。週末には人でいっぱい。
そうはいっても最初の数年間、私はいろいろな地域の行事に参加することになります。参加するといっても、お客さん側ではなくて実行する側で、です。
うちの町では年間を通して、イベント、祭りなど、にぎやかなことに事欠きません。さらに、こうゆうことに積極的に参加させる職場の雰囲気もありました。勤務時間に掛かる場合は、早退やお休みをとることもできました。
温泉祭り、文化記録映画祭、音楽祭、蝗攘祭、映画祭、こども映画祭、こども音楽祭、牛喰い絶叫大会・・・(ここから後は、総称して「祭り」と書きます)
大きな祭りの間にも、ギャラリーや旅館で行われる小さい交流会や演奏会など、本当にありとあらゆる祭りがあるわけです。
▲祭りのひとつ、「牛喰い絶叫大会」
どれに関わってみても、目新しい体験ができたし、祭り自体が面白かったです。
そして何よりも、こうゆう場で地域の人たちと出会えたというのは大きかった。
これが、地域で祭りをやる最大の意味・効果じゃないかとさえ思っています。
なぜって?
祭りで出会った人たちが、私がこの町で暮らし続けている大きな理由になっているのです。
もちろん、祭りをやるからには祭りを成功させることが第一!!なわけで、夜な夜な集まり、打ち合わせをし、準備作業をします。その、夜な夜な準備が、相手を知る大事な時間になっていました。黙々と作業してるだけじゃないですよね。
自分のことを話したり、相手の考えていることを聞いたり。時期によっては町の選挙や市町村合併について、白熱した深夜もありました。もちろん、飲み会もやたらとある。
そんな時間が、ただ知り合うよりも、もっと濃い人間関係をつくる大切なポイントになっていたのです。
町を歩けば、必ずと言っていいほど知り合いに会い、挨拶を交わす。
そんな些細なことが、この町で暮らす実感になっていきました。
祭りが終わっても、人間関係は続きます。
▲牛喰い絶叫大会の後は、スタッフ皆で大宴会!自分たちも楽しみます。
「楽しい仲間たちと、もうしばらくこの町で暮らしてもいいかな。」
そんな思いが毎年更新されて、12年。
美味しい水と空気と食べ物。これは「いなか」に行けばけっこうある。
身体を休める温泉。これも、言ってしまえば他の町にもある。
けれども、
我が町にしかないもの・・・それは、何物にも代えがたい、「楽しい仲間たち」なわけです。
親戚縁者も友人もいない田舎で、こうやって「縁」や「所縁」というものができました。
さて、次回は、そうやってできた縁や所縁を総動員して
いなかで、自分で仕事を始めてしまったお話でもしましょうか。
ではまた、お付き合いください。
(※全部の祭りに関わると忙しすぎて体がもたないので、現在は、がっつり実行する側で関わる祭りは5つほど。でもぜーんぶ応援してます!)