「おまえはつぶれるって、みんながうわさしている」 〜有機農業という生きる道〜
2012/12/04
SOEL
SAKAWA Organic&Ecorogy Labolatoryの頭文字を取って、SOEL(そえる)といいます。
今日は、
高知県のまんなかへんに位置する佐川町で有機農業をしている「SOEL」という団体を紹介します。
私と同じ佐川町の地域おこし協力隊の坂本梨恵さんにインタビューしました。
梨恵さんは、SOELを地域おこし協力隊として一緒に盛り上げているメンバー。
写真は、坂本さんが高知新聞の取材を受けたときの記事です。
埼玉県から佐川町に移住して今年で4年目の☆きらきら☆女性です!
(以下、川崎=川 坂本=坂)
川:いやー、りえちゃん。今日はSOELのことをいろいろと教えてくださいな♡
坂:おっけー!SOEL は、今を去ること2年前の2010年、町内の有機に取り組む農家らが中心となって立ち上げた「有機農家を育てる研修組織」です。
川:おお!立ち上がって2年目ながやあ。そもそも、なぜ団体が立ち上げられたが?
坂:SOELの代表、田村雄一さんは、有機農業に取り組み始めて十数年。「TAMファーム」という名で、有機ニラの栽培と酪農(乳牛)をしています。
坂:有機農業を始める人は多いけれど、3年以上続く人は少ない。学ぶ場所も少ないので、失敗してそのまま辞めてしまうことが多い。」ことに危機感を抱いていました。有機農業への思いはあるけれど、その道をあきらめてしまう若者たちを見て「なんとかしなければ」という強い思いがありました。
川:熱い想いから生まれちゅうがやねえ!田村さんってどんな方なが?
坂:田村さんは農家になる前、専門学校の教師をしていたこともあり、「教える・育てる」ことへの思いが強く、以前は子どもと一緒に楽しみながら自然を学ぶ「エコクラブ」などを、同じ想いを持った奥さんとともに開催していたそうです。
川:へえ~♪田村さんってかっこいい♡「教育」ってすべての原点やもんねー。すごく共感するなあ!
みなさん、田村さんについてもっと知りたいですよね?田村さんの特別インタビューは後半に〜!
坂:もうちょっとおつきあいくださいー♪
こうして田村さんが有機農家を育てる場所をつくろうと思ったのは、自然の流れかもしれないね。こうした経緯で佐川町の協力も受けながら立ち上げしたSOELやけど、現在は年間30品目程度の季節の野菜を育ててますー。
川:現在はどんな活動をしゆうが?
坂:現在は、「研修生の野菜セット」の出荷中。旬のものを詰め合わせた研修生の想いが詰まった一箱です!
春から育てた芋類、ハウスで栽培している葉もの野菜、他には大根などの露地野菜を毎月6品目、箱に詰めてお届けしています。
川:このセットの一押しポイントは?
坂:在来品種といって、地域で昔から栽培されている野菜も育てています。ピンク色の地大根や、ごつごつした型のよしひろかぼちゃ、奇妙な型の各種里芋などなど、夏には、昔きゅうりという、大きなきゅうりも栽培していました。
川:在来品種!その土地に合ったその土地ならではのもの。在来種を次世代に残していくことってとても大切でね。そして、在来種ってその土地にあっているからこそ、栄養価も高いんですよねー!
坂:そうそう!
個性的で、大きさも様々な野菜たちをみていると、個性豊かなSOELメンバーを見ているようです。
川:あはっ!SOELのメンバーって本当に個性豊かやねー!
ここでは紹介しきれないので、是非佐川町のSOELにみなさん遊びにきて、そのカラフルさを体感してみてください♡
現在もまだまだ「道の途中」という、そんなSOEL。
さて、みなさん、お待たせしました!
代表田村雄一さんの、ここまで来るまでに何度も新たなことへ挑戦してきた、その熱い想いをお聞きしました。ご堪能くださいー☆
【百姓、それも無農薬で作って、生きるということ】
夢が突き動かした
「おまえはつぶれるって、みんながうわさしている」
15年前ぼくは、ある会議室で目の前に座る二人の若い男性から告げられた。
「農薬を使ってでも難しい作物を、農薬をいっさい使わず作れるはずがない」
頭に血が上り、怒りでぼくの全身が震えた。
決意が固まった瞬間だ。
父が病死し、残された酪農と二ラの経営。まだ就農2年目の冬だった。忙殺されるような日々のなかで、無謀ともいえる決断を下した。それは、就農当初からあった循環型有畜複合有機農業への夢を妻と実現するためだった。
ぼくら夫婦は、ある研究所で「地域の持続可能な開発と保全」について研究していた。スイスに先進事例をもとめて、土木工事をはじめ、地方の産業再興計画や、住環境整備など、それは多方面に及んだ。ぼくらにはそうした思想基盤があった。だが田舎に住み始めてすぐ、田舎の旧態とした体質がぼくらを阻み、そのギャップにまず苦しんだ。
【3年目にして、食える】
無農薬栽培のニラでは食えなかった。だが、ぼくには酪農というベースがあった。辛抱が続いた。本当に土ができるまで時間がかかり、3年間が長かった。ようやく無農薬で葉身が長く厚みのある立派なニラができたとき、金が入るという喜びで、涙があふれそうになった。
ぼくのベースになるこの3年間の思いが、いま、SOELでやろうとしていることだ。
【 半農半X 】
ふつうの百姓になれるまでの道のりは長い。それも資金もほとんどなく、金も借りられずに、スタートするのは至難の業だ。そういうとき、ぼくは半Xが非常に重要になると思う。自分にとっての半Xはたまたま酪農という農業だったし、土地も機械もあり、恵まれた。いまのIターン就農者は、自分とは比較にならないくらい、生産規制や消費鈍化で厳しい。
【 では半Xは 】
半Xは、いろいろあろうかと思う。それはまずSOELがXの部分を担えるようになりたいと思っている。SOELでは有機農業を学ぶための研修をおこなっている。数ヶ月から、半年、1年、最長2年。そしてその後、就農になるわけだが、就農しても支援していく仕組みを整えたいと思っている。
仕組みとは、まずアルバイトとして収入の場であり、また農機を借りることができる仕組み、資材や肥料の共同購入、販売の共同化など。
研修中よりも、独立してからが大変だと思う。それをどのように支えていけるか。
Iターンなんて言葉が囁かれるずっと以前から、四万十川流域の先人たちは外からの受け入れを本気で取り組んできた。だからいま、外からの移住定住が当たり前のようにして続く。仁淀川流域には、この姿勢が欠けていた。だから仁淀川流域の辺境部における人口減少が著しく、集落機能も低下している。
【 いまこそ 】
とりあえず食えていけることが大事だと思う。それも好きな農業であれば言うことなし。
SOELでは、短期でも長期でも受け入れできるよう、宿舎も整備中。ほかにも堆肥舎や不用品置き場など、徐々に手作でさまざまなものを作っていけたらと思う。いま現在は、第1期生が作ったハウス、第2期生が作ったハウスなどが点在している。
多くの若者が農業法人で働いているが、法人が整備している施設や設備は、到底持つことができない高価なものだ。そのスタイルをすぐに真似することはできないと考える。こうした金をかけずに手作りをする感覚こそが、就農時に最も重要なものだ。
今までに15名ほどががSOELで学び、(体験者もたびたび訪れている)、収入を得て、有機農業を習得していった。そうした先輩たちから受け継いだもの、そして自分がこれから作るもの、それらの多くは、ごみとガラクタから作られる。
SOELのSは「しわい(土佐弁で、しぶといの意)」の「し」だ。
SOELは、しぶとく生きていける人材を本気で育てたいと思っている。
いやー。田村さん、ありがとうございました!
みなさん、どうでしたか?田村さんのお話。。
突き動かされる熱い想いが、こちらまでびしびし伝わってきます!!
これはもう、田村さんはじめ、SOELのメンバーに会いに行かなきゃっっ!
SOELでは一緒に学ぶ研修生を募集しています。ちょっと遊びにきてくれる方も大歓迎♡
野生のうさぎも遊びにきます(笑)
興味ある方は下記までご連絡ください。
Facebook:http://www.facebook.com/soelsakawa?fref=ts