最後の炎
2012/12/26
高知県は、鰹のタタキやゆず、川の恵みなど、特産品がたくさんありますが、その他にも「土佐刃物」という特産品があります。
‘土佐刃物’
全国屈指の温暖多雨地で良木に恵まれ林業が栄えていた高知県。同時に伐採に必要な打刃物も長い歴史を誇っています。
鎌倉時代後期には、大和の国から移住した五郎左衛門吉光派が室町末期まで繁栄。戦国乱世の中、武具刀剣などの需要に応えていました。 天正18年(1590)、土佐一国を総地検した長宗我部地検張には、399軒の鍛冶屋がいたと記されています。 江戸時代には、土佐藩による森林資源確保や新田開発政策が遂行され、打刃物の生産量と品質は向上し隆盛期を迎えます。
現在、江戸時代の技術を継承し、機械化も最小限にとどめて、日本三大刃物の産地として今に至ります。
(http://www.kochi-marugoto.com/kensanpin/uchihamono/index.htmlより引用)
初めての土佐刃物との出会いは、旧大野見村にある四万十民俗館でのことでした。
民俗学に興味があり、面白いものは無いかとふらりと立ち寄ったら、一つの刃物が目に留まりました。
それはウバシ(ウナギバサミ)でした。
ウバシ。写真はイメージです。
そのウバシは、ハサミの形をしていても、刃先から手元まで全て一つの同じ金属から作られていて、
しかも歯を後から付けたのではなく、根元から叩き出して一本一本でできているという、
とんでもなく手間のかかった代物でした。
時間の流れを感じさせる錆びが全体的にきていたものの、
その形はとても美しく、まさに「用と美」を兼ね備えた生活の中の実用品でした。
(※現在の展示は最近作られたウバシになっているのでご注意下さい)。
それから私は鍛冶、特に野鍛冶(農業用、山林用刃物を作る人)に興味を持つようになり、
機会があれば土佐刃物を見たり、鍛冶屋を訪れたりするようになりました。
その訪れた鍛冶屋の中でも、非常に印象に残ったところが1件あります。
本人より、生産量が少ないため注文がどんどん来ると困ると言われているので、
具体的な名前を出すことはできませんが、県内のいち鍛冶屋さんです。
(工房の様子)
工房の中は、歴史を感じさせる色々なモノがいい感じに置かれています。
どの機械が何の役割をするのか全くわからない私にとっては、工房に入っただけでも既にワクワクです!
機械化をすると同じもの、例えば鉈(ナタ)なら鉈ばかりを作った方が効率が良いので、
最近の鍛冶屋はどこも専業化する傾向にありますが、
この工房では周辺の鍛冶屋よりも20年以上機械の導入が遅れており、
機械化が遅かったおかげで、今でもどんな注文が来ても打てる・作れる鍛冶屋として、
昔からの技を受け継いでいます。
さらには、作品を作るのに必要な道具もそれぞれで異なり、
市販されていないので自分で考えて作っています。
(職人さん、研ぎの最中)
この方が、工房の主人です。
訪問した際は、ちょうど「研ぎの日」でした。
昔と違って今は注文数が少なく、注文ごとに作っていると大変なので、
ある程度の注文が溜まってから、各工程を日ごとに分けて、複数本まとめて作業をやっています。
(研いでいる現物)
これを見るだけでも、様々な種類の刃物の注文が来ていることが分かります。
左から2番目の鍬(クワ)はヒツを「抜きビツ」方式で付けられています。
※ヒツ:柄を差し込む穴のこと
(土佐の鍛冶屋の特徴とは・・・)
写真のイラストが分かりづらいかもしれませんが、
土佐の鍛冶屋の大きな特徴は、「抜きビツ」を行うことです。
写真下半分は伊予型(一般的)のヒツの作り方で、2つのパーツを溶接してヒツの穴を作ります。
一方土佐型は、1つの地金(じがね)からタガネを打ってヒツの穴を作ることができます。
継ぎ目が無いんです!
当然、穴をあけるだけではなくて、柄が抜けないように、折れないように、
丁寧に穴をあける必要があります。この技は土佐の鍛冶屋しか行っていません。
(山林用刃物のミニチュア版、非売品)
ドールハウス用の小道具かと思うくらいの小さな小さなサイズの刃物も、
わざわざ鍛造して作ってます。刃もきちんと付いていて、実際に使えるとのことでした。すごい!
(たたら製鉄した後の玉鋼。溶岩みたいな形のものです)
普通の鍛冶屋は、延べ棒みたいな金属を買ってきて、そこから作ります。
しかし、このお父さんは自身で川の砂鉄を集めて、ほとんど行われていない古式たたら製鉄を行い、
そこから玉鋼(日本刀の材料、希少な超高級品。刀鍛冶は使うが、
普通の鍛冶屋は使わない)を自分で作り出して鍛冶も行ったりしています。
こんな石が、火・水・木・土・風を与えられて、一つの生活の道具へと変化して行きます。
機械を導入したといってもベルトハンマーくらいで、まだまだほとんど手作りのため、一つとして同じ顔はありません。
お父さんの作った刃物は、道具として使われて磨り減っても、また研げば元の輝き、
元の鋭さに何度でも蘇りがえります。そして、その人の手に馴染んでいきます。
市販の大量生産されて使い捨てられるモノとは異なり、こういうものこそ本当の道具だと私は思います。
(お父さんの作品いろいろ)
山林用刃物なら何でも作ります。
一見同じようにみえる刃物でも、風土・環境・使い手ごとに、そして地域ごとに注文の違いがあり、
それらに合わせて形を変えて作っています。
写真には、今ではほとんど使われなくなった刃物も含まれていて、
この何でも作れる素晴らしい技が今の代で途絶えてしまうことに対して、
私が「非常にもったいなく思う」とお父さんに伝えたところ、
『色々と作る技術があって作っても、今はそれを使える人がいない。技術を残しても仕方ない。
おっちゃんの作る刀は実用刀だもの。美術刀剣じゃないもの、飾りじゃないもの。』と。
あと5年以内で、体力的なものもあって、もう鍛冶屋を引退されるそうです。
子供さんは別の仕事に就かれています。
でも、それでも、
誰にも受け継がれず自分の技術が途絶えてしまうと分かっていても、
お父さんは満面の笑顔で熱く、楽しそうに鍛冶について語ってくれます。
本当に鍛冶が好きそうです。
そんなお父さんを見ていたら、私もお父さんと鍛冶が大好きになりました
時代の流れで、鍛冶屋がまた一つなくなる運命だとしても、
今日もまたこの手から最後の炎が尽きるその一瞬まで、
人に使われるための道具が生み出されています。