大正ノ夢ノ家、西村伊作記念館

2013/07/17

和歌山県新宮市に、西村伊作(1884年 – 1963年)という人物がいた。

日本の教育者。文化学院※1 の創立者としても知られる。大正、昭和を代表する、建築家、画家、陶芸家、詩人、生活文化研究家。

 

その伊作氏が、自宅として、大正4(1915)年に自ら設計・監督して建てたものが現在、重要文化財として保存・公開されている『西村伊作記念館』である。記念館の館内では伊作自筆の住宅設計図や油絵、自作の陶器、家具や愛用品のほか、大逆事件に関わる資料などを多数展示し、伊作の生涯と思想を紹介している。所在地 – 和歌山県新宮市新宮7657

 

当時軍国主義であった日本で、自由な文化活動を推進した伊作氏の人生も波乱に満ちており、紹介できれば良かったのだが、文章ばかりになってしまうので、今回は、この建物の紹介および、伊作の思想について少し紹介したいと思う。

 

この建物が建てられたのは大正4年1915年である。当時、シャープペンジルやチューインガムは初めて登場し、「銀ブラ」※2 という言葉が流行していた時代。そんな100年も前の時代に、東京から遠く離れた、和歌山県の端にある新宮市で、非常に実用的な洋館を伊作は建てた。

 

西村伊作記念館

 

洋館は外側だけでなく、内装も調度品もほとんどが伊作自らのデザインで作られたり、設置されている。それらに際だった装飾は少なく、最小限におさえられた控えめな色づかいにまとめられ、落ち着きのある内装になっている。

 

イスとテーブル

 

イスとテーブル2

 

リビング

 

庭

 

階段

 

さらに、生活空間としての設備も非常に先進的で、上下水道がなかった時代に、蛇口をひねると水とお湯がでる仕組みや、水洗式のトイレなど、給排水システムも独学で勉強し工夫を重ねている。

 

蛇口

 

日本人の生活に、外国の実用的な暮らし方を取り入れようとする一方で、全部が全部洋風化すること無く、屋根の切妻部分を板壁で覆い、雨の多いこの地方独特の気候風土に合わせた従来の様式(「ガンギ」)

も取り入れている(外観写真で、左上の屋根の下の赤い△部分のでっぱりのトコロ)。

あくまで暮らしの快適さを追求しての、和洋折衷である。

 

この伊作の住居は、国の重要文化財の建物でありながら、入場料100円で、ホンモノを自由に触れたり、手にとってみたりできるのは非常に素晴らしく他の施設ではほとんどありえない。ロープで立ち入り禁止になっていたり、カバーがあって触れることができないというモノがないのだ。こういった施設こそ、もっと多くの人に見てもらいたい、活用してもらいたいと思って、紹介させて頂いた。

 

書斎

 

さらに言えば、西村伊作記念館の斜め向かいにある緑の屋根の旧チャップマン邸

 

旧チャップマン邸

 

は、同じ西村伊作のデザインで、外観だけでも非常に素敵なことが見て取れるが、管理者がおらず内部は荒れており、既に取り壊す計画もあり、保存のための緊急性を要している。 現在の感覚でも充分通用する、新宮市の歴史に残るこれらの文化遺産、近代化遺産を後世に残すあり方が今問われている。

 

和歌山県の中でも、遠い場所ではあるが、建築や芸術、ものづくりに興味のある方ならば、是非とも一度足を運んでいただければ、100年前の建物や調度品にカルチャーショックを感じてもらえると思う。

 

 

※1:ちなみに西村伊作氏の創立した文化学院(専修学校)では、戦時中の軍国主義国家から弾圧を受けながらも、「国の学校令によらない自由で独創的な学校」という新しい教育を掲げ、「小さくても善いものを」「感性豊かな人間を育てる」などを狙いとした教育が展開された。また、日本で初めての男女平等教育を実施、共学を実現した学校である。 その教員には、様々な文化人・芸術家を招き、与謝野鉄幹、晶子夫妻や、菊池寛、川端康成、佐藤春夫、有島生馬、棟方志功、山田耕筰、北原白秋、有島武郎、芥川龍之介、遠藤周作、吉野作造、高浜虚子、堀口大學、美濃部達吉ら数々の著名人が教えている。

 

※2:銀ブラは、銀座をブラブラではなくて、『銀座に出来た「カフェーパウリスタ」で一杯五銭のブラジルコーヒーを飲む』ことですよ~。

 

 

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