愛情とは行動、ゆっくりでも変わろう!

2014/08/05

顔の写真
執筆者 黒田太士
所 属福田百貨店

 

 田舎暮らしを始めて丸5年。「もう5年経ったのか~。」という思いよりも、「まだ5年しか経っていないのか~。」という思いの方が強い。仕事的にも家庭的にもいろいろなことがあり過ぎて、中身の濃い5年間だったと思う。

 

田んぼに挑戦!

5年目にして今年は小さい田んぼに挑戦!

 

 

 そして、田舎で暮らすこの5年間で、生活の中の様々なことが変化していった。基本的な変化は「ダウンシフト」だ。収入は減ったけれども支出も減った。基本的にお金を使うこと自体が減った。買う物や着る服も変化していった。いろいろ変化していったけど、我が家の変化の中で一番大きかったのは、“食べ物”の変化だと思う。

 以前のサラリーマン時代は、朝はスーパーで買ったパン。昼はコンビニで買った弁当。夜はファーストフードのハンバーガー。お菓子やジュースは毎日買う。 というような実にジャンキーな生活をしていたけれど、今は、朝はご飯とみそ汁。昼はご飯とみそ汁。夜はご飯とみそ汁。という生活だ。

 

「え!ご飯とみそ汁しか食べてないじゃん!」って思った方、ただの冗談です。晩飯くらいはおかずもちゃんと食べています(笑)

 

ご飯とみそ汁

 

 いやいや、ご飯とみそ汁に無駄にスポットを当ててしまったけど、言いたかったのはそこではなくて、基本的に我が家の料理から化学調味料はなくなって、遺伝子組換えとかポストハーベストの危険がある輸入食材とかもなくなって、肉も食べなくなったし、白砂糖もなくなったし、ご飯も玄米になったし、お菓子もごくたま~に食べるくらいだし、ジュースは全く飲まないし、かなり健全な食生活になっていると思う。

 ちなみに、もともと僕の漠然としたイメージで、健康食品とかにこだわっている人ってなんとなく苦手なイメージがあったのだけど、気付いたら自分がそうなっているという感じだ。正確には、健康食品を選んで食べているというのではなく、危険な食品を排除して行っているだけというニュアンスの方が正しい。別に身体に良い健康食品を追い求めている訳ではない。

 

 食を巡る日本の現状はかなりひどいものがあり、「そりゃこんなもの食べてりゃ病気にもなるわな。」と言わずにはいれないのが現状だ。そんな話は別に僕が声高に言わなくても、みんなすでにある程度の知識は目や耳から頭には入っていて、十分わかってはいると思う。ただし、何となく気づかないふりをしているというのが現状だろう。

 

「そうは言っても無理だよね…。」

「そんなこと言い出したら買うものなくなるし…。」

 

という諦めのもと、何となく気づきながらもスルーしているのである。

 “みんな”という表現をしたけど、まあ実際には昔の僕がそうだったので、実はそんなに偉そうに言える立場ではない。でも大事なことは、そんな僕でも少しずつ、そう、少しずつだけど変化を遂げて、今の食生活までたどり着いているという事実だ。自らの生活を変えようと意識して、時間をかければちゃんと変わるのだ。

 別に僕の今の食生活が完璧だというつもりはない。我が家もまだまだ至らない所があるのは十分自覚しているけれど、昔の自分の食生活と比べれば、はるかにまともな物を食べていると思うし、はるかに美味しいものを食べている。(←ここ結構大事!!) 味覚もだいぶまともになってきた。なぜそんなことが言えるかというと、目に見えて違いが判るからである。

 

梶原げじもん農園

梶原げじもん農園の自然農いちごを畑で頂く。問答無用で美味い!

 

 

 昔は大好きで大好きで常に食べていたと言っても過言ではない「お菓子」が、今は昔ほど欲しいと思わない。なぜなら美味しいと思わなくなったからだ。今はある程度化学調味料の味がわかるようになったので、大抵の市販のお菓子は正直言ってマズい。それこそ子供の頃から美味しい美味しいと言って食べていた馴染みのお菓子は、ふと食べたくなったりすることがあるのだけど、食べてみるとマズくてガッカリする。「あ~食べるんじゃなかった」と思う。(←こことっても大事!試験に出るよ!!)

 

ホットケーキ

 無添加のホットケーキを夢中で食べる。子供たちにはまともな味覚を身に付けて欲しい。

 

 

 食生活を改善して行こうという過程においては、少しずつ変化していくという視点が絶対に欠かせなくて、一気に変化することはまず無理だというのが僕の体験談だ。添加物たっぷりで砂糖たっぷりのお菓子が身体に悪いから食べちゃいけない!って頑張って制限しようと思っても、必ず食べたくなる。

 

「隠れてチョコ食べたでしょ?口の周りに付いてるよ(´・_・`)」

 

って嫁さんに呆れられる時が必ず来る!(笑) 何でそうなるかというと、だって美味しいから☆ “食べたいと思って食べたけど、やっぱり不味くてガッカリする”という味覚が出来上がるまでは、“食べたら美味しいからやっぱり食べたくなっちゃう”のは仕方がないのである。

 

人間やっぱり美味しいものは食べたくなるし、ほっといても不味いものは食べたくなくなる。

 

 “美味しいと思っていたものが不味いと感じる正常な味覚”に変わればしめたものだ!そうなればそこまでやせ我慢しなくても、後は自然とまともな食生活になって行く。そこまでなるにはやはり数年の歳月がかかるのだけど、少しずつ転換していく意識でいれば、そう無理なく転換できるだろう。大事なのは時間をかけても変える意識があるかどうかということだ。変える意識がなければ絶対に変わることはない。

 

トンカツ

ブログから引っ張ってきた写真。昔は美味しいと思って食べていたけど、今食べたら、食後とか翌日に胸焼けや胃が重たくなってたぶん後悔する。

 

 

そんな話の文脈で突然だけど、『愛』ってなんでしょう?『愛してる』ってなんでしょう?

 

ちなみに恋愛の話ではなくて、ちょっと限定して“親子愛”の話。小さい子供を持つお父さんお母さんに投げかける質問です。

 

みなさん子どもを愛していますか?

 

“YES”という方にさらに質問。

 

『では何で、身体に悪いものを平気で子どもに食べさせるの???』

 

 食品添加物が身体に悪い。砂糖は身体に悪い。清涼飲料水は身体に悪い。そんなのもう何十年も前からわかっている話なのに、何でいまだに子供たちに与え続けているの?身体を壊して苦しんでいるときに病院連れて行く事よりも、虫歯の治療を怖がる子供の恐怖を取り除いてあげる事よりも、そうならない身体をつくってあげることの方が優先じゃない?

  子どもの食事も生活環境も教育も、小学生くらいまでは親が与えたもので子どもは育つ。つまり、子供の一生の基礎が出来上がる期間は、親が与えたもので子どもは育つのだ。だから、親が子に何を与えるかというのはとても大事だし、一生を左右すると言っても過言ではない。

 

 愛していると100回いうよりも、全うな心や身体を形成する食生活や環境を提供してあげることの方が、はるかに本質的な愛情に溢れてはいないだろうか?

 少し強い表現だけど、今の世の中で多くの大人は、子どもに毒を盛っておきながら愛情を語っていると言っても過言ではないだろう。大人が持つべき子どもへの真の愛情は、誕生日を忘れないことではなく、クリスマスにおもちゃを買い与える事ではなく、ご褒美にジュースを買ってあげることではなく、欲しがるお菓子を買い与える事ではなく、まずは健全に育つ「まともな生活」をさせてあげる事だろう。そこが子育ての土台であり、愛情の出発点だと思う。

 

「そうは言っても無理だよね…。」

「そんなこと言い出したら買うものなくなるし…。」

 

という言葉は、我が子への愛情よりも優先しなければいけない大切な言葉なのだろうか?「愛」とは「言葉」ではなく「行動」だと思う。

 

子ども

可愛いい子供のために、無理だとあきらめる前に、やれることはないだろうか?

 

 

 さて、僕が福田百貨店で行っているイベントの一つに、『みまきマルシェ』というオーガニックマーケットがある。「身体にいいもの・地球にいいもの・いいもの集まる」というコンセプトで開催しているみまきマルシェは、「愛とは行動だ!」と偉そうなことを言った僕自身の、愛情を行動に移したものだ。

 

みまきマルシェ

先日開催した第5回みまきマルシェの会場の様子。

 

 

 実際、我が家だけがそんなこだわった生活をしていても、世の中では生きづらいことこの上ない。一般社会との接点の部分ではいろいろ問題も生じる。子どもが集まる場では普通にお菓子が配られるし、子どもが喜ぶと思ってジュースが注がれる。学校給食も食の本質とはかけ離れた栄養管理で運営されている。

 でも、食品添加物たっぷりのお菓子やジュースより、素朴でもちゃんとしたものを子供には食べさせてあげる方が良いだろう。身体も環境も破壊する農薬&化学肥料漬けの慣行農業よりも、自然農法が一般に普及する方が良いだろう。様々な健康被害や中毒性が判明している白砂糖を使う料理よりも、使わない料理の方が良いだろう。豊富な栄養をわざわざ削ぎ落として食べる白米よりも、栄養を残したままお米を摂取する玄米の方が良いだろう。果てしなく不健全な環境で畜舎飼いされた抗生物質漬けの家畜の肉は、やはり食べない方が良いだろう。

 

 そういった本来当たり前のことが、当り前となる世の中になるように、少しでも社会を良い方向に変えることが出来たら良いと思うし、社会を変えるところまでいかなくても、一般社会に認知してもらい、理解者を増やすところぐらいまでは、情報を広めることができたらと思う。だから、子供たちが生きる将来のために、僕は今できることとしてみまきマルシェを開催している。

 

自然農

自然農の畑の実践講習会。少しずつでもこういう本質的なものが広がって行けばと願う。

 

 

 出店者さんの中には、我が家よりももっとこだわった生活をしている方々もたくさんおられる。電気もほとんど使わない生活や、自然農の作物で自給自足をしている方だっておられる。そういう方から見たら我が家の生活なんてまだまだな所も多いだろうと思う。

 でも、今の僕はそこで一つ割り切って考えている。我が家は入り口になれればいいのではないかと。つまり、自分が少しずつシフトしていったように、多くの人は急激には変われない。少しずつ少しずつ、階段を一歩ずつ上がるように、時には2歩進んで3歩下がりながら、徐々に変化していくのである。みまきマルシェはそういう“変わる意識を持った一般の方々”と、既にこだわった生活を実践されている方々の、つなぎ役になれればよいと思っている。

 

 みまきマルシェ

 

 “出来る人だけが出来れば良い”、“分かる人だけが分かれば良い”という、ハードルの高いオーガニックイベントではなく、一般の人がステップアップする第1歩目の踏み台のような場所になれればと思っている。そして、出店者もお客さんも、この場をきっかけとして交流が広まり、何かが生み出されることを期待している。

 

 ここ最近よく頭に浮かぶ言葉がある。「もっと本質的に価値のあることをしなくては…。」という言葉だ。地域おこしのイベントや日々の仕事など、やらなくてはいけないことは様々あるけれど、同じ時間を使うのであれば、子どもたちの将来や地球の将来につながる、もっと“本質的なこと”をしなくてはいけないと強く思う。

  今の時代は、これまでの様々な過ちに気が付いて、反省して軌道修正する時代だと思う。過ちに気付いたことは少しずつでも変えて行こう。行動を起こして未来を変えて行く事が、これから大きくなる子供たちのために出来る、大人の愛情表現だと思う。

 

 

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