鴨と新米とわたし。~食べる私の役割~

2014/09/29

 

ぴかぴかの新米が届きました。

巡の環で運営している海士Webデパートに、新米の海士町産あいがもこしひかりが届きました。

 

米

 

 あいがもこしひかり、名前のとおりあいがもの力を借りて栽培しているのですがこのあいがもちゃんがすごいのです!もはやあいがも「様」とお呼びするべきかもしれません。

 まずあいがもを田んぼに放すと雑草や害虫を食べてくれるので、農薬を使わずにお米を育てることができます。彼らが田んぼで泳ぐと、新鮮な空気が水に混ざるため、稲に酸素を送ることでき強い稲に育ちます。糞は有機肥料となり、稲にしっかりと栄養を届けてくれます。

 

あいがも

 

 あいがもすごい!ご飯を食べて、泳いで、糞をするということがすべてお米にもいい影響をもたらしている!鴨と新米は素敵な関係性だなー。

 では私は?生産者ではない私は?鴨と新米とわたしの「私」の役割は何なのでしょう。食べること、それだけが私の役割?消費者は消費をしていくだけが役割なのでしょうか? なんだかそれはちょっと悲しいかも。(鴨は糞まで有益なのに・・・ずーん、ヤラレタ・・・)

 

 最近「食べることの意味」についてよく考えていて、ちょっと小話にお付き合いくださいませ。

 最近友人が猪肉の加工、販売の仕事を始めました。以前から狩猟やジビエ(狩猟で得た天然の野生鳥獣の食肉)に興味があったことから転職してその道を選んだそう。

 

いのしし

 

 割と遠い世界だった「狩猟」が知人がその職業に就いたことでぐっと身近な世界に感じ始めちゃったりして。いろいろと調べていたら最近は「狩りガール」という言葉があったり猟師さんが書いた漫画があったりと、思っていたより「狩り」を題材に取り扱っているメディアがいろいろとある。そうこうするうちに自分でも鳥をしめて食べる機会にめぐまれる。これまで焼いて食べるだけ~だったお肉がおいしい!だけだったお肉がいきなりリアルな「動物」となってやってきました。

 

肉

 

 肉を食べて生きてきた私。パックに入ってピンク色がスーパーに並んでいる姿はお肉であって「動物」ではありませんでした。だけど毛皮があって骨も大きいのから小さいのまで揃っていて、食道、心臓、内蔵も種類がいろいろで、これは動物以外の何者でもなく、その命をいただいているのだなぁと素直に感じました。(イマサラかしら)

 

 人間は他者の命をいただくことで生きている。このことが実感できたことで、世の中にあらゆるポリシーをもって食とむきあって生きている人がいることがちょっと解ったような気がします。(動物性のものは食べないとか、牛乳は飲まないとか。理由も主義もそれぞれ)

 狩猟は害獣を駆除し、その命をいただいて、農家への被害を減らす。農家さんはお米や野菜をつくり、自然を守り、田舎の原風景となる。

 

ではそれを食べる私たちは何ができるのでしょうか。

 

合鴨農法

 

 それはやっぱり食べることなんだなって、思うのです。でもただ食べるわけじゃなくて、その食べ物を食べることによって何がどうなるのか、考えて、選んで、食べることだなって、思うのです。

 例えば海士町は半農半漁の島。高齢化で農家さんも少なくなってきていますが、お米を食べることによって農家さんの収入が増え、田んぼを保つことができます。田んぼがあると神社のお祭りを初めとした農耕儀礼を残していけます。田んぼのある島の原風景を残すことができます。

 

食べるだけ、だけど、食べるだけ、じゃないんです。

 

 何を選んで何を食べるかって自分の身体をつくる以上にたくさんの意味をもっているように感じる今日このごろ。「栄養取れるんだからサプリでいいじゃん」と頭をはたきたくなることを言っている友人がいましたが、そんな友人とこそ「食べる意味」を一緒に考えてみたいものです。

 

あなたは今日何を食べますか?どうしてそれを食べるのですか?

 

【あいがもこしひかり新米販売中!】 海士Webデパート

 

あいがもこしひかり

 

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