僕が対馬に来た理由
2014/12/16
2014年3月、ある日突然一本の電話がかかってきた。MITの専務理事をしており、かつて北海道大学でサークルなどを通じて知り合った川口幹子さんからだった。正直、何だろうと思った。しかし、数十分の電話を切った瞬間、ワクワクがおさまらなかった。
僕は、北大で研究をしてきたが、色々とあって挫折した最中、さて、これからの人生をどうしていこうかわからず、もやもやしていた。何かしないといけないとは思っていた。やりたいことができれば、活動場所はどこでもいいと思っていた。
MIT事務所の前でリフレッシュ中。
幹子さんからの電話の内容は、はっきりいってよくわからなかった。というのも、対馬で働ける人を一人探しているということだが、対馬市と連携して、漁協・漁民、科学者を巻き込んで、対馬市近海に海洋保護区を設定するというための支援という業務、といわれても、具体的なイメージがわかなかった。でも、大学時代の幹子の人となりを少し知っていて、それで行ってみようと思った。
幹子さんと事務局長冨永さんと僕
流れに身を任せようと思い、初めて対馬に行った。福岡では、バス停の場所が分からず、高速船に乗り遅れるというアクシデントはあったものの、翌日幹子さんが迎えにきた。厳原のフェリーターミナル周辺の印象はさびれているなぁ、ということ。その後車で1時間半ほど北上し、MITの拠点の志多留へ。雰囲気がいい田舎だ。MITのメンバーが温かく迎えてくれて、お刺身でもてなしてくれた。MITは全体的に自由な社風がある。しかし、学生と違うのは、プロ意識をもって、得意な部分を活かして、楽しんで真剣に仕事をしているということ。ここで頑張ってみよう、そう決めた。
神宮自然農園さんでのMITメンバー他との会食にて
2014年6月に対馬にきて最初の仕事は、海洋保護区設置に向けた科学委員会でまとめた分厚い報告書の編集作業だった。報告書の内容は難解だったが、これまでの海洋の生態系についての研究の日々が新しい形で活かされていると思った。作業はいたって単純で、各執筆者が提出した文章や図表の体裁をひたすら整える日々だった。
その後、報告書がやっとのことでまとまったが、事件は起こった。幹子さんが、夜に救急車で運ばれたらしい。自転車で転倒し、おもいっきり、顎からこけたという。そのあと、自転車に残った血痕をみて、大変な事故だったことがすぐにわかった。幸い、命には別状なかったが、全治3ヶ月。福岡の病院に入院することになった。幹子さんが主担当で、MITが受けている夏の大一番の大仕事、島おこし実践塾が3ヶ月後に控えていた。
翌日。吉野マネージャーから、「萩野君、今日から君が域学連携担当大臣だ!(笑)」と任命された。右も左もわからず、ひたすら講師・参加者・対馬市担当者との連絡調整や事務作業をおこなった。大変だったが、入院中の幹子さんのメール・電話での援護射撃があり、やることは明確だったし、MITのメンバーの結束力も高まり、何とか準備が着々と進められた。
島おこし実践塾のプログラム冊子 完成!
奇跡的に脅威の回復力をみせて、2ヶ月半くらいで幹子さんが帰ってきた。歯がないものの至って元気そうだった。ほっと胸を撫で下ろした。
9月、迎えた島おこし実践塾。35名の島外からの参加者(ほぼ大学生)がみな、地域の課題や現状・魅力を真剣に知ろうとしていた。グループごとにテーマを設定して、ワークショップを繰り返し、最終的に、外からの視点で新しい地域づくりのアイデアが生み出された。実践塾を通して、初めて地域おこしに興味を持ち始めた。5泊6日は無我夢中だった。あっという間だったが、無事に大成功に終わった。
島おこし実践塾のスタッフ陣(京大のインターン生 菅田・重原コンビは今年も健在)
島おこし実践塾の漂着ゴミの実習にて
島おこし実践塾 古民家再生実習で出てきたゴミを処理施設へ
統計解析は得意です♡
10月にいよいよ海洋保護区設置の仕事が本格的に始まった。まとめた報告書を市民にわかりやすく伝えるための概要版とパンフレット資料の作成、そして映像制作の仕事のお手伝い。そもそも海洋保護区の問題自体が難しく、わかりやすく伝えないといけないので、重要な部分を見極めないといけない。僕は、それが苦手なので、とても骨の折れる作業だ。今も苦戦中だが、プロに編集・デザインをお願いしていて、何度も会議を繰り返し、いいものができそうな予感。
12月には、海洋保護区の設置推進協議会の事務局として会議の準備を進めた。MITのメンバーに支えられて、何とか無事に会議は終わったが、本番はこれからだ。3月までに海洋資源管理計画策定委員会の準備をしなければならない。編集作業もいよいよ大詰めだ。
様々な会議が繰り広げられる。議事録とりは苦手…。
僕が対馬市の海洋保護区設置について思うこと。これまでも対馬ではそれぞれの漁協で、資源管理をしていた。禁漁区や禁漁日を設けたり、色々な工夫がされていたりするところもある。島外の巻き網や底引き網漁船がはいって、資源を根こそぎとり、魚の単価も一気に下がってしまうのが問題という声が多い。設置することで、色々なことが大きく変わるわけではないけど、海洋保護区の取組みを通じて、対馬の海の素晴らしさがわかってもらえたらいいなと思う。
定置網漁でとれた大量の魚。10年後に対馬の資源はどうなっているのだろう
対馬に来て6ヶ月たった。あっという間だった。これからの仕事は、不安と期待で胸がいっぱいだ。科学者の方や漁業者の方の声を集めて作くる海洋保護区、ちゃんと他人に伝えて、受け渡していきたい。ワクワクすることがこれからどんどん増えていくといいな。
MITマネージャーと献杯!
いつも賑やかなMIT。色々な出会いがあります。
趣味は釣。対馬は北海道と違う魚が釣れて面白い!