なぜ、わたしはチクチク(竹竹)言っているのか・・・
- 執筆者 小林恵子
- 所 属おばあちゃん文庫
2015/06/19
地元では、「竹のアカニシさん」、と言われるほど、竹のことばかりを話しています。
普段は、介護士をしております。
まずは、竹との出会いからです。5年ほど前に、当時80代半ばの岡山の祖母たちが、どうも様子がいつもとは違ってきました。さっき置いた荷物がどこにあるのか分からない。お金を畳の下に隠さねば盗られてしまうと恐れている。なかなか家から出たがらない、など、いわゆる認知症の始まりでした(すでに、だいぶ認知症は進んでいたのかもしれませんが・・)
仕事柄、これは大変なことになった!!!と感じました。仕事の傍らながらも、なるべく、一緒にいる時間を作りました。それまでは、それほど祖母たちの話を聞く機会は特にはありませんでした。
もともとお百姓であった祖母たちが強く訴えるのが、自分たちで守ってきた山が荒れるのを嘆く訴えでした。認知症になる前、頭がしっかりしていた時には、
「時代の流れだから山に人が入らないのは仕方がない。山が荒れてしまっても時代の流れだ。自分たちができるうちは自分たちでするけど、あとのことは仕方がない。」
などと言っておりましたが、認知症になり、理性のたかが外れて、本能的にそう申すのか、これまでは、それほど言っていなかった、荒れた(荒れつつある)山について、とても深刻に、形相を変えて言うようになりました。
仕事の傍らに祖母たちと関わるだけで精いっぱいでしたので、山のことまでは勘弁!!と思っていましたが、あまりにも静かに強く訴えるので、山をじっくり見てみました。確かに、私が小さい時に比べ、山の景色は変わっていました。いわゆる放置竹林が広がっていました。
荒れた竹藪が広がり続け、山に木の実のエサがなくなり、イノシシが民家のほうまで降りてきた。などの話を聞くようになりました。本などで調べると、放置竹林は、山の生態系を崩す、大きな社会問題になっていることを知りました。
そんなに祖母たちが気にしてやまない竹薮であるのなら、竹で器なりお箸などを一緒に作って、お世話になっている人にお配りしてはどうか。少しは竹が活用できることで、祖母たちの山への悶々とした思いは和らぐのではないか。家で退屈している祖母たちの生活の張合いになるのではないか、と私は竹細工教室に通い始めました。お箸の作り方を学べたらよい。という単純な動機から行きはじめました。
竹細工は、高価で敷居が高いイメージ。それまでの私の生活には全くご縁のない代物で、どんな竹製品があるかも知らないまま、右も左もわからない状態で習い始めました。
まずは、四海波籠という籠を学びました。竹細工体験などで習う初心者用の登龍門といわれる籠です。私にもこんな素敵な籠が自分で作れる(だいぶ先生にやっていただきましたが・・)。たった16本の竹ひごで、編み方も簡単で、こんなにスタイリッシュな籠が!いったいどんな天才がこんな素敵な竹の編み方を考案したのか。竹細工の魅力のとりこになりました。
次に、竹ひごの作り方を教えていただきました。
次に、六目編み籠。六目編み籠は、上手く表現できないながら、編んでも編んでも、六角形、のできる(立ち上がりは5角形)編み方です。阿倍野清明で有名な、清明神社(当時近くに住んでおりました)のシンボルにも似た形だと思いました。なんだかすごい!!と感動しました。
当時は京都に住んでおりました。いろいろな竹細工の作品に触れるにつれ、四つ目編み、松葉編み、網代編み、縄目編み、青海編み、麻の葉編み、亀甲編み、などそれ以上にもさまざまの沢山の編み方があることを知りました。それに加え、取っ手や、籐の巻き方、形、大きさなどによって、それぞれの竹製品はさまざまのバリエーションを楽しめます。1本の竹から、こんなに様々の製品ができることに感動の日々でした。
厄介者扱いしていた荒れた竹藪のイメージが大きく変わりました。昔の日本では、家を一軒建てるのに、竹藪一つ分使っていた。そのため、竹藪が増え続けることはなかったのだろうとの話を聞いたことがあります。1970年代 プラスティック製品が一気にふえ、これまで竹でできていた笊や、籠などが便利で安価なプラスティック製に変わりました。祖父母たちの若いころには、生活の中に竹製品がたくさんあったと聞いています。竹を裂く金具など家にありました。
祖父母たちの若い頃には、竹はどんな使い方をされていたのだろうと思案をめぐらせて思っていたときに、インドネシアのバリにご縁ができました。昨年の9月に、インドネシアの竹事情を知れる機会に恵まれました。バリの村では、日本の昭和30年代のような生活だとも言われています。今、まさに私が知りたいと思っていたことでした。
バリでは、島中、たけ、タケ、竹。生活の中いたるところに竹が使われておりました。竹の家、竹の小屋、ベッドや机、椅子、ベンチなどの竹の家具、かごやざる、魚をとるための魚籠、花器、トイレットペーパーホルダーなどの竹細工、大小さまざまな、叩いて鳴らす竹の楽器などなど、見きれないほど竹、竹、竹でした。
バリのジャングルの中には、『グリーンスクール』という、世界一エコな学校と言われるインターナショナルスクールがあります。見学をさせていただけました。エコな素材であるとのことから竹が選ばれ、建物も、橋も、家具もすべて竹でできていました。デザインも抜群でした。竹は素晴らしい素材だ。と改めて感激、感動をしました。
バリに行け、私は、竹藪は宝の山にしか見えなくなりました。自然に、人の手がむやみに入らず生命力あふれたバリ島での生活の中で、人は、自然の中で生かされていることを改めて肌で感じました。
地元に帰り、たとえ、荒れ果てた竹藪であっても、荒れた山であっても、宝にしか見えなくなりました。祖母たちの憂うる生態系が崩れた山は本来の山ではなく、人の手によって荒れてしまったことをバリに行き、改めて感じました。本来の生命力あふれた山にもどればどんなにすばらしいか、思いは広がり続けました。ますます、竹への思いは強くなりました。
そんな中、祖母たちと、祖母たちの気にしてやまない竹を使って、はたき作りをし、お世話になっている方に使っていただいたり、イベントで販売したりしています。竹を使ってはたきを作ることで、祖母たちに『出番』と『役割』ができています。竹によって、自然とのつながりができ、人とひととのご縁が結ばれています。祖母たちも喜んでおります。
人と竹とは、魂がつながっているんじゃないかと友人が言っておりました。微々たるあゆみながら、これからも竹と仲良くしていきたいと取り組んでおります。微力ではありますが、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。長文をお読みくださり、本当に、ありがとうございます。