柳川暮らしが楽しすぎて困ります。~燈明の夜 in 柳川の巻~
2015/07/02
- 執筆者 阿部昭彦
- 所 属柳川市地域おこし協力隊
福岡県の最南部、佐賀県と熊本県に挟まれ、有明海に面した柳川市からこんにちは。
柳川市地域おこし協力隊員の阿部と申します。
6月20日(土)、柳川市内の眞勝寺で「燈明の夜 in 柳川」が開催されました。夏至と冬至に近い週末に開催されるこのイベント、今まで必ず雨に降られていたのですが、今回はなぜか(笑)これ以上ないほどの好天に恵まれました。私を筆頭に、日頃、行いの良い人がたくさん参加したのでしょうね。
「でんきを消して、スローな夜を」をスローガンとする燈明の夜。きっかけは2003年に明治学院大学教授の辻信一さんをはじめとする8名が呼びかけ人となって開催した「100万人のキャンドルナイト」です。100万人のキャンドルナイトは、2001年、ブッシュ大統領が発表した「1カ月に1基ずつ原子力発電を建設する」という政策に反対してカナダで行われた「自主停電運動」がヒントとなって始まった運動です。
100万人のキャンドルナイトは、2012年に10周年を迎えたところで、プラットフォームとしての役割は終えたと、その活動を終了します。しかし、そのコンセプトはいろいろな人々によって大切に受けとめられて、今でも脈々と各地でつながっています。その1つが、燈明の夜 in 柳川です。手放すことによって、より自由にキャンドルナイトが展開され、さらにつながっていく。この発想が実に素晴らしい!
もう一つ素晴らしい発想を紹介しましょう。それは「100万人いれば、100万通りのキャンドルナイトがあっていい」。何かに対して反対を叫ぶ運動ではなく、ただ「でんきを消してスローな夜を」それぞれが過ごすこと。電気を消すことの意味は人それぞれでいいのです。「自発性と多様性と一体感。これがキャンドルナイトだ」と、呼びかけ人代表の一人がおっしゃっています。世の中にはいろいろな意見や価値観があります。自分とは違う考え方を否定するのではなく受け止めて、ただ「でんきを消す」という行動を通して人々がつながっていく。まさにジョンレノンの「イマジン」の世界がここにありました。
もちろん燈明の夜 in 柳川でも、たくさんの人がつながっています。ワラ焼きにしたカツオのたたきの実演販売をするために遠く高知から駆けつける鮮魚店の奥さん。去年の夏にボランティアで参加した東京の方は、今回も気持ちよく手伝ってくれました。地元の高校3年生は、体育祭の練習でお寺の運動場を借りたお礼にと、スタッフとして爽やかに駆け回っています。かくいう私も強烈なつながりを実体験しました。なんとSNSで私が発信した情報を見て、東京の友人が飛行機で駆けつけてくれたのです。論語の「有朋自遠方来、不亦楽乎。(朋有り、遠方より来たる、亦た楽しからずや)」を地で行く我が友に、みなさん拍手を!
会場である眞勝寺の境内に、子どもたちの姿がたくさん見られたことが、このイベントの本質をとても見事に表していると思います。この子たちは燈明の夜に、友だちや家族とどのような話をしたのでしょうか。
山門から本堂に至る途中には、地元の幼稚園、小学校の子どもたちのメッセージを描いた「子ども紙袋灯籠」が、ろうそくの灯りで輝いていました。100万人いれば、平和の形も100万通りあるし、幸せの形も100万通りあるはず。それを言葉にしてまとめようとするから、対立が生まれていくのではないでしょうか。声高に語るのではなく、ただ電気を消して、静かにつながり合う。そんな時間が、ここ水郷柳川の夜には流れています。
遠く大分との県境に源を発する矢部川は、その流域の人々の暮らしを潤わせながら有明海に流れ込んでいます。柳川が城下町だった頃、周辺の人々は、水の流れに乗ってやってきては、ここで交易し、そして水の流れに乗って戻っていきました。水の流れによって人々の暮らしをつないできた歴史がここ柳川にはあり、それが柳川のDNAとなって今に受け継がれているわけです。そう考えると、人をつなぐ「燈明の夜」がこの柳川で行われることは、必然であったのかもしれませんね。
次回の燈明の夜 in 柳川は冬至の頃に開催予定です。人をつなぐ街「柳川」の魅力に触れたい方は、ぜひおいでください!