上勝を日本一楽しい田舎に!~テレビマンから開拓団への挑戦~

2015/07/13

 

 こんにちは。徳島県上勝町の粟飯原(あいはら)です。今回のいなかマガジンでは、一人の人にインタビューさせてもらい、それを編集して文章にしました。取り上げさせてもらうのは、この5月に上勝町で新しく「株式会社上勝開拓団」を立ち上げたばかりの仁木啓介(にき けいすけ)さん。

 

 仁木啓介

仁木さん(47)。キセルがトレードマーク。

趣味は酒・ウクレレ。東京に行ったら必ず寿司屋とバーに行く。

 

 

 仁木さんはこれまでずっと東京でテレビ番組のディレクターのお仕事をされてきました。上勝開拓団は、山の中にある古民家を拠点に、音楽・映像・食など様々なエンターテイメントを発信していく会社。会員=開拓団員となり、様々な開拓イベントに参加したり、企画したりできるシステムです。

 

 上勝開拓団

 上勝開拓団ホームページ

 

 今回は、上勝開拓団の拠点として7月19日にオープンする「庵ノ谷開拓村(あんのたにかいたくむら)」にてお話を伺いました。

 

 庵ノ谷開拓村

庵ノ谷開拓村の看板。実物は完成してからのお楽しみ♪

 

 

上勝との出会い~移住まで

 

―まずは上勝町に来ることになったキッカケを教えてください。

 

 最初は6年前に仕事で来た。ゼロ・ウェイスト(※注1)の取材に行って来いとプロデューサーに言われて。おもしろかったねぇ。ゼロウェイストもおもしろかったし、そこで会った人たちがおもしろかったな。そのあと2回くらい遊びに来て、親友の42歳の誕生日にそいつを一緒に連れてきた。その時そいつが家を探したいって言って、HOTEL古フォルニ家(※注2)を役場で教えてもらって、それで家を契約して。それからはそいつが住んで、俺はちょいちょい遊びに来て。

 

(※注1)上勝町では2020年までに、町から出る焼却・埋め立てごみをゼロにするという目標を掲げて、ごみの34分別などに取り組んでいる。(NPO法人ゼロ・ウェイストアカデミー

(※注2)仁木さんが現在住んでいる古民家の愛称。上勝町の中でもひときわ人里離れた山奥にある。

 

 HOTEL古フォルニ家

HOTEL古フォルニ家の看板

 

 

―上勝町に移住しようと思ったタイミングはいつですか?

 

 俺が実際に上勝に住み始めたのは3年半前、「笑うキミにはフク来たる」(※注3)の撮影の時だった。まぁ上勝に長期滞在したくて番組を提案したようなもんだな(笑)少なくとも一年間はいようと思ってた。で、一年間経って、「いや、まだまだやりたいことあるなぁ」って思って帰らないことにした。

 

(※注3)2012年8月に「NHK BSプレミアム」で放送された約一時間半のドキュメンタリー番組。上勝町の名物おばあちゃん「キミちゃんフミちゃん」の暮らしと、その周りの人々の物語。

 

 

―遊びに来ていた時期から実際に上勝に住み始めて何か変わったことはありましたか?

 

 住み始めて最初の半年って、撮影があったからすっごい大変だったのよ。生活を楽しむとかってその頃はまだ全然なくて。それよりも撮影しなくちゃいけないから、そこで何か考えが変わったっていうのはたぶんないなぁ。半年経って撮影が終わってからは(仕事ではなく)ただ上勝におった(笑)

 来てから一年過ぎて、もうちょっといようと思った時にバー(※注4)をやり始めた。東京の方で一本か二本テレビの仕事をして、それ以外はこっちにいてバーをやって…あとは畑やったりして遊んでたな。

 

(※注4)これから「庵ノ谷開拓村」の拠点となる古民家で、2013年3月に仁木さんが始めた「Bar IRORI」のこと。囲炉裏付きのテーブルを囲んでお酒が飲める上勝町唯一のバー。

 

 Bar IRORI

「Bar IRORI」の店内。リニューアルオープンが楽しみ!

 

 

―撮影が終わってバーを始めたことで何か思ったことはありますか?

 

 上勝で暮らしていこうと思った時に、こっち側での仕事がないとなんかやりづらいなぁと思ったな。「なにやってんの?」「テレビディレクターです」って言って、こっち側にずっといるのもおかしな話で。だからこっち側でなんかの役割があるといいなぁと思った。その時に、できるだけ他に誰もやらないことをやろうと思って。そうすると夜に集まれる場所があったらいいなぁと思って、ここの囲炉裏の雰囲気がよかったから、週末の夜だけ貸してもらって始めた。

 

 

―ちょっと話は変わりますが、今の生活や仕事をする上でモチベーションとなっている原体験はありますか?

 

 子供の頃から割と都会で暮らしていたから、「北の国から」とか見て、憧れがなかったかというと嘘かもしれない。でも当時はやってみたいとは思ってなかったな。なんかおもしろそうだなぁって感じはあったけど。大きかったのは、仕事で海外のジャングルとか、近代文明にあんまり犯されていないところに行くようになって、そこでは向こうの人と同じような生活をするんだけど、そういうことはおもしろいなぁと思ったんだよね。

 一番おもしろかったのはモンゴルかな。モンゴルの遊牧民の家で何日か泊めてもらったんだけど、荷物がホントに少ないんだよね。それでその荷物をたたんで、馬に載せて、また移動する。「あ、こんだけでいいんだ」と思った。それは自分の中では大きかったんじゃないかなと思う。モンゴルはひとつ自分の中で「あぁこういう暮らし方ってあるんだな」という発見の所ではあった。

 

 

―遊牧民になりて~!とは思わなかったんですか?

 

 

 思ったよ。ホントに全部捨てていいんだったら、遊牧民っていうのはいいなぁ、これで十分幸せだなぁとは思った。でもそこまで勇気はなかったから、生まれ変わったら遊牧民になろうと決めた。それが30歳くらいの時かな。

 

 

―なるほどね。モンゴルかぁ。

 

 モンゴルっていうかねぇ、東京で仕事とか生活してる時に、ものが多いし情報が多いし、いろんなものがあり過ぎるんだよね。自分が何かをやってる実感ってなかなか持ちづらいのよ。田舎行くとそれができるのがおもしろかったんだよね。例えば田んぼを耕して米ができるとかさ。米を買ってきてご飯を炊く、サトウのご飯を買ってきてチンをする、とかって極力やることが少なくなってくるじゃん。

 それは仕事でもそうで、ドラマを作るにしても番組を作るにしても、すごい分業化がされてるし、たくさんの人が関わっていっぺんにグワァッと動かしてるから、自分のパートってちょっとなのよ。そうすると、もっと手作業でもいいから全部自分でやりたいような気がしてくるんだよね。

 

 

―ディレクターという立場でも部分的な関わりだったんですか?

 

 特にドラマとかになるとね。役者も入れたら100人くらいのスタッフがいて、例えば美術パートは美術パートで考えて、俺にいろいろと挙げてくる。で、俺は「OK、ここをこういう風に直して」とかってずっと言っていく。会議の時はさ、机の前に座ってるとみんなが次から次へと書類とかいろんなもの持ってきて、「これでいいですか?どうですか?」って来るわけよ。で、OKとか、もう一回ここ直してとか、どんどんどんどん言うのね。なんか疲れるんだよね(笑)

 まぁ仕事よりは生活の方が(そういう感覚は)強いのかもしれないけど、やっぱり料理は作った方がおもしろいし、野菜も作れたらもっとおもしろいし。そういう自分でできることが増えるといいなぁとは思ってた。

 

 

―モンゴル以外でも田舎に興味を持つきっかけとなったようなことはありましたか?

 

 昔から興味はないわけじゃなくて、もっともっと遡ると、神戸の新興住宅地で生まれて、神戸から離れたくて大学から東京に行ったのね。で、東京で暮らし始めたんだけど、一生ここで暮らすとはあんま思ってなくて、もっと自分に一番ピッタリの場所を探しそうと思ってた。

 ほんで、22・3歳で就職して、すぐに撮影のアシスタントでパリに連れて行ってもらったんだけど、「あぁパリで暮らすのいいなぁ」って思って。でもフランス語なんて全然しゃべれないからこれは無理だなぁって思って。その数年後にニューヨークによく行くようになって、ニューヨークいいなぁって思って(笑)ニューヨークは日本人コミュニティがガッチガチにあるから英語しゃべれなくったって食っていけるのね。行こうかなぁとは思ったんだけど、タイミングがよくなかったのか結局行かなかった。で、そのあと仕事で地方に行きだした。だからどっか自分が居心地のいい場所を探してるんだなぁとはずっと思ってたよ。

 

 

―本格的に田舎に関わるようになったのは上勝が初めて?

 

 実際に動き始めたのは今から10年くらい前、35・6歳の時。関東圏のいろんな田舎に行って、よさそうなところを探してたんだよね。それはカミさんとふたりで旅行するのが好きだったから。海外も最初は行ってたんだけど、そのうち国内を回るようになって、国内もいいとこあるね~って話で。

 それで別荘地を買おうかとかいう話はしてたんだけど、なんか別荘地はおもしろくないんだよね。東京の人たちが週末だけ集まってやってるとか、あんまりふたりともぴんと来なくて。田んぼをやってみたいとか、田舎で暮らしてみたいと思い始めたのはその頃じゃないかな。

 山梨県の増穂町(現・富士川町)っていうところに平林(ひらばやし)っていうすっごい綺麗な集落があるのよ。たまたま温泉に二人で行ってて、翌朝帰ろうと思ったら目の前にすごい富士山があって、棚田があって、「あ、ここいいねぇ」ってことで、そこの集落に通い出したのね。で、棚田オーナー制度で田んぼ借りてやり始めた。今でもカミさんがやってる。そこで実際に家を借りて住もうかっていう話もしてたんだけど、なかなかとんとん拍子にはうまくいかなかったんだよね。そうこうしてるうちに上勝に来るようになった。

 

 

上勝開拓団について

 

―上勝開拓団のミッションを教えてください。

 

 開拓団のミッションは「上勝町を日本一楽しい田舎にする!」

 会社をつくろうと思ったのは去年の秋くらいかな?東京の仕事を辞めて、こっち側に本拠地を移そうと思いだした。そのときに個人事業主でやってもいいけど、会社にした方がおもしろそうだなぁと思って。

やりたいことはなんとなく決まってた。バーもライブ(※注5)も映像も、今まで実際にやってたことなんだよね。それを会社にして、もうちょっと持続的にできること、そこに関わって暮らしていける人がちょっとでも増えることかな。

 

(※注5)「Bar IRORI」がある古民家を舞台に、2013年7月から3ヶ月に一回ほどのペースで開催されてきた「ヤマビコミュージックフェスティバル」のこと。プロのミュージシャンによるライブあり、町内外からアマチュアが集う音楽フェスありで、100名を超える人が山奥の古民家に集まったことも。(詳しくはコチラ!)

 

 

―上勝開拓団を会員制の形にしたのはどういう思いがあったんですか?

 

 俺の場合、東京から上勝に3年くらい遊びに通ってきてたんだよね。その時に何が楽しいってさ、作業させてもらうのが一番楽しいのよ。宿泊してたところの前の生け垣がボーボーに伸びてるから、「あれ刈って」って言われて刈ってたんだよね。意外と楽しいんだよね(笑)

 何度も都会から来るようなリピーターの人って、お客さん扱いされるよりも、例えば地元の人たちと一緒に祭りの準備して、祭りやって、じゃあ慰労だからみんなで一緒に飲もう、っていうことをしたがってる。自分がそうだったからそう思ったのよ。だからそういう人間はまだ他にもいるだろうなぁと思うんだよね。

 東京で暮らしてると、例えばピザ窯をつくろうとか、炭焼き釜をつくろうとか、(思っても)つくれないじゃん。でもここは実際につくれる。田舎に憧れる人って、露天風呂つくりたいとか、木の上にツリーハウスをつくってみたいとか、何かしらいろいろ持ってんだよね。自分たちの手でそれをやってみたいなぁっていう憧れを持ってると思う。会員制の仕組みはそれを実現させるための手段だね。

 

 それとリピーターを仲間にしちゃいたい。それは「ヤマビコミュージックフェスティバル」をやってて思ったことなんだけど、最初の内は準備とか大変だったのが、最近はみんなお金払って、出演して、お金払って飲み食いして、ほんで準備撤収手伝ってくれるわけよ(笑)これはスゴイな!いいシステムだなぁと思うんだよね。それを上勝町にいる人間だけで準備しようと思ったらそりゃ大変なのよ。上勝は手間が足りない。よそから来る人は手伝いは別に全然イヤじゃない。で、やってるうちにすごい仲間意識がでてきたじゃん。これはひとつのチームだなぁって思ったんだよね。だからあんまりお客さん扱いするんじゃなくて、みんなでやろうよっていう形にしてる方が結束力も出てくるし、新しいことをやろうっていうパワーも出てくるんだろうなぁっていう気がしてた。

 

 

―リピーターと仲間の違いは?

 

 「自分もここに所属してるんだ」っていうことがあると、やっぱりもう一歩前のめりになると思う。それと、これから店をするんだけど、ライブの時だけじゃなくていつでも来れる場所っていうのをつくっときたいなって思った。それはもう好きなだけのんびりしてほしいわけよ。特に団員(=会員)に関してはね。いつでも帰ってこれる場所ってあるといいじゃん?自分の実家じゃないけど、実家みたいな。

 それがもっと気楽に、移住とかってことにならなくても、月にいっぺん遊びに行くのでもいいし、年に2・3回東京から遊びに来るでもいいし。団員になっていて、フェイスブックでいろんなやり取り見て、自分もそこに参加できたりとか。そうやってゆるやかにこの地域にコミットする人が増えればいいなぁと思った。すっごいいいとこでも知り合いがいないとそんなに楽しくないじゃん?でも知ってる顔が3・4人いたらそれだけで全然気分が違う。

 

 

―上勝開拓団でこれからやろうとしていることは?

 

 今は7月19日の店のオープン。目下それだね。(←詳細はページ下部へ!)

 で、そっからは具体的な開拓イベントをどんどんやっていく。炭焼き釜つくるとか、おくどつくるとか、露天風呂もつくりたいし、あと何ができる…水車もつくりたいな。畑もいっぱい広げていきたいし、いろんな種類をつくっていきたい。

 店の周りは、今は木が鬱蒼としてるけど元々は全部田んぼなんだよね。ここ「庵ノ谷開拓村」って名前にしたけど、これが上勝町的な暮らしですよっていうのが分かりやすく目に見えて、実際に体験できる形になったら分かりやすいじゃん?

 まずここの庵ノ谷でやって、それがうまくいくんだったら、町内の他のところにもどんどん開拓村を増やしていく(笑)廃村になった村とかでできたらおもしろいよね。そうやって町内で何ヶ所かできて、いろんなイベントに参加できると、よそから来る人もおもしろいんじゃない?

 将来のことでいうと、もういっこやりたいのはゲストハウスだな。団員は安く泊まれる。でも、そうなってくるともう俺一人じゃ無理だからね。7・8人ぐらいのチームができるといいなぁってカンジだね。今、僕ひとりだけど(笑)

 こっち側に暮らしたいっていう夫婦とかがやってくれるのが一番いいよね。

 

 

―どんな人に上勝開拓団の団員になってもらいたいですか?

 

 上勝町に来たことがあって、気になってるっていう人が開拓団に入ってくれると嬉しいね。そしたら上勝町の情報を常に出していけるし、来て一緒にできることもあるし。あと町内の人も入ってくれると嬉しい。やっぱり町内の人と町外の人が一緒にやるからおもしろい。うちらIターンってさ、その間に立ってるようなものじゃん?だから地元の人たちがもっと来てくれて、都会から来てる人たちとうまく一緒にできるといいなぁと思ってんだよね。地元の人はそもそも開拓団だから先生として呼んだりもするしね。たちまちはかまどをつくりたい!

 

 仁木啓介

 

 

 上勝との縁から、上勝開拓団で今後やっていきたいことまで、熱く語ってくれた仁木さん。ありがとうございました!上勝開拓団はまだまだ立ち上がったばかりですが、上勝町を日本一楽しい田舎にするために、着々とプロジェクトの準備が進んでいます。

 

 庵ノ谷開拓村オープニング

 

 まずは7月19日の「庵ノ谷開拓村」オープン!京都のヴァイオリン&ギターデュオ「ジュスカ・グランペール」がやってきます。

 翌7月20日はすっかり恒例行事になった「ヤマビコミュージックフェスティバルVol.7」!朝から晩まで音楽好きたちが集って、飲めや歌えやのイベントです。どんなに素人でもやる気さえあれば出演させてもらえます!

 7月26日は「影山ヒロノブ 2015年 ソロアコギの旅」!みなさんご存じ、あのドラゴンボールZの「チャーラァー!ヘッチャラァー!」のお方です!こちらはもうすでにチケットが売り切れになってしまったとか… どうしても気になる方は一度上勝開拓団まで直接お問い合わせください。

 

 7月19日~26日の間は、「庵ノ谷開拓村オープニングウィーク」ということで、毎日18時半~23時(ラストオーダー)までバーの営業を行っています。(※ライブがある日はライブの時間に準じます)オープニングウィーク後は、毎週金・土・日の18時半~23時までバーが営業。なんと町内は送迎無料だそうなので、安心して飲むことができますよ!

 

 また、上勝開拓団は団員始め、仲間になってくれる人を大募集中です!特に探しているのは、庵ノ谷開拓村で飲食店をやってくれる方。いい人が見つかり次第、すぐにでもお昼のランチ営業を開始したいそうです!

 そのほかバーテンダーをやってみたい方、ゲストハウスのオーナーになりたいご夫婦など探しておりますので、興味があるという方はまず一度上勝開拓団までお問い合わせくださいね!

 

上勝開拓団のこれからに注目です!

 

 

株式会社上勝開拓団(かぶしきがいしゃかみかつかいたくだん)

代表:仁木啓介(にきけいすけ)

〒771-4501 徳島県勝浦郡上勝町大字福原字庵ノ谷27

電話:090-2789-8577

Mail:info@kaitakudan.net

HP:http://kaitakudan.net/

facebook:https://www.facebook.com/pages/上勝開拓団/788960797818628

 

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