地元の竹を活かすべく、いんどねしあ『竹』紀行

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執筆者 小林恵子
所 属おばあちゃん文庫

2015/10/30

 

 私は、岡山市で、~えん(縁)もたけ(竹)なわ~「竹藪を活かして認知症の人の『居場所』と『出番』と『役割』作り」に取り組んでいます。

 これまでお百姓であった祖父母たちが、5年前に認知症となりました。これまでは、自分たちで守ってきた山が荒れ、竹藪になることを、なんども何度も憂慮しておりました。

 放置竹林が広がることは、森の生態系を崩し、獣害につながります。また、森が荒れると海にまで影響があり、深刻な社会問題であることを、5年前に、はじめて知りました。ならば竹藪を活用していこう!!と竹細工教室に通い始め、祖母たちと、はたきや竹ビーズ、竹ペンなどの竹製品を作っております。

 

竹ペン

 

 日本人は、縄文の時代から、竹を使っていたと考えられています。日本人は、竹と和紙の文化と言われていますが、建築、家具、かごやざるなどの日用品、竹炭、竹酢など、さまざまにこれまで活用してきていました。

 けれども、高度経済成長によって、これまで山を守ってきていた人々も、町に働きに出るようになり、山は守られなくなってきました。竹は並大抵でない生命力を持っております。並大抵でない生命力によって、竹藪であったところが広がり続け、そのため、これまで生育していた多種多様な植物が竹藪に負けてしまうという現象が起こっています。

 祖母たちが認知症になり、認知症ゆえ、言ったことをすぐに忘れるため、何度も何度も「竹藪を荒らしたらおえん(いけない)」と何度も何度も何度も言っておりました。

 私は5年前までは、竹藪には特に関心もなく、深刻な社会問題になっていること、竹はさまざまな活用法があることなど。知らないことだらけでした。

 

 昭和30年代には、日本でも竹は、建物の一部や竹垣、ざるやほうき、などの日常品など、さまざまに使われていたと聞いています。けれども、今はその様子を聞くことはできても、残念ながら実際に見ることはできないです。

 日本では、どのように竹を日常に使っていたのか、どんな様子だったのか、どんどんと妄想が膨らみつづけていたとき、昨年インドネシアとのご縁ができました。

 インドネシアは、竹文化が色濃く残っており、日本の昭和30年代の生活様式が残っている、と言われていました。憧れのまなざしでうっとりしていました時、英語もインドネシア語もできないのに、インドネシアに行く機会に恵まれました。神の島であるバリ島と、インドネシアの首都ジャカルタに行ってきました。感激の~インドネシア竹紀行~でした。

 

インドネシア竹紀行

 

 バリ島では、『竹細工のさかんな村』、『竹家具の製作のさかんな村』、『グリーンスクール(建物や家具などが竹ばかりでできたインターナショナルスクール)』、ジャカルタでは、竹製品を扱う屋台や、百貨店に学びに行ける機会に恵まれました。

 バリ島の竹細工のさかんな村は、竹細工のお店が軒をつらね、竹家具の制作のさかんな村では、竹家具のお店が軒をつらねておりました。竹細工は、種類の多さに驚きました。

 竹家具は、頑丈でスタイリッシュ!!バリ島は西洋人のリゾート地としても開発されており、西洋人のデザインした竹家具も多いとのことで、東洋と西洋の混ざり合った、スタイリッシュなすてきな家具ばかりでした!!

 

竹家具

 

『グリーンスクール』は、建物、家具、すべて、竹 タケ TAKE です。

カナダ人がオーナーであるとのこと。すべてがスタイリッシュです☆!!

 

グリーンスクール

 

竹でできた橋

竹でできた橋

 

竹カート

 

竹テーブル

 

竹イス&つくえ

 

 改めて、竹は素晴らしすぎる!!と感じました。

 島中、至るところに竹細工、竹家具、竹の建築など、あらゆることに竹は使われておりました。竹の活用に、目から鱗。日本の昭和30年代は、こんなかんじだったのではと思いました。改めて竹は身近な素材であり、さまざまなことに活かせるすばらしい素材であることを感じました。これまで、自然と共生してきた人々の知恵をかんじました。本当に、感激のバリ島~竹紀行~でした。

 

竹かご

空港の中にもたくさんの竹かごがありました

 

 インドネシアの首都、ジャカルタに行きました。人口2億人という大都市。巨大ビル群が軒をつらねていました。竹製品はあまり見当たらず、かろうじて、屋台の雑貨屋の一角に、竹製品が置いてありました。ジャカルタでは、竹製品は、使い勝手のよい、プラスチックなどに置き換えられているとのことでした。今の日本のようだと感じました。

 

お土産コーナー

ジャカルタのお土産コーナーにて

 

 旅行から一年後の先月、再びバリに行ける機会に恵まれました。

 1年ぶりのバリ、神の島バリ、竹の島バリ。と思い、喜び勇んで行きましたが、1年たち、明らかに竹を島の中でみる量が減っていました。今のアジアは1年で、日本での10年の近代化が進むといわれているそうです。刻々と変化をし続けています。バリ島の竹製品の減りように、たいへんショックを受けました。

 そんななか、『グリーンビレッジ』という、すべてが竹ばかりでできた宿泊施設の見学に行ける機会に恵まれました。エコで持続可能な素材であるとのことで竹を使っておられるとのことです。コミュニティになっており、図書館などの公共施設もあります。竹を加工する工場も見に行かせていただきました。竹に虫がこないよう、環境に負荷のかからないもので竹の処理をしているそうです。方法は企業秘密だとのことで、残念ながら聞くことはできませんでした。

 

竹建築

 

竹の屋根

 

 竹の屋根でできた伝統村に行くこともできました。壁はもちろんのこと、屋根も竹でできていました。竹の屋根は15~20年もつのだそうです。改めて竹は変幻自在であり、頑丈な素材であると感じました。

 

バリ島

 

 バリ島の竹家具職人さんのところで、竹の椅子を教えていただける機会に恵まれました。バリで作られている椅子の作り方だとのことでした。軽くて丈夫 デザインもよく抜群の座り心地です。

 

竹イス

 

 バリ島の竹事情ですが、バリ島では竹を多く使うので、他の島から持ってくることもあるそうです。竹の根が株になっているので、日本のように竹藪が広がったりしないそうです。日本と竹の種類は違ったり、気候がちがったりはありますが、さまざまに日常に多く竹を活用しているバリ島では、多くの竹の学びがありました。

 西洋人のリゾート地でもあるバリ島は、東洋の技術と西洋のデザインが交じり合っていました。神様の島バリ島では、お祭りがいたるところで行われていました。また、どんどん新しいものも取り入れていっていました。過去、現在、未来が入り混じっているように感じました。

 

 バリ島に行き、ますます竹はお宝に見えてきました。けれども、かつての日本のように、インドネシアでも、竹はどんどんプラスチックやステンレスなどに代わり、使われなくなっていっているのも感じました。

 学びをもとに、竹藪を生かして人とひと、人と自然とがつながれるよう取り組んでまいります。長文をお読みくださり、ありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 バリ夕焼け

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