私、田舎で結婚しようと考えています(男編・序)
2016/05/09
- 執筆者 山田泰平
- 所 属遠野市のギフト制作委員会
「遠野市のギフト制作委員会」の山田泰平(やまだたいへい)と申します。初めての投稿で、いきなり何を…と思われたかと察しますが、これは間違いない現実です。元々生まれ育った愛着のある神奈川県藤沢市から2015年11月に移住して、岩手県遠野市で結婚しようと考えています。
縁もゆかりもなかったので、私の地元の友人は、「遠野ってどこ?」なんて状態です。そのため、結婚の引き出物として、「遠野市のことが選ぶ作業でわかる、カタログギフトをつくろう!」という考えに至りました。
岩手県遠野市、それは日本のシベリア。
「遠野市」と聞いて、ピンときたあなたは、きっと文学通でしょう。『遠野物語』という民話をまとめた書籍が日本民俗学に大きく貢献したことで広く知られています。遠野物語には、今も遠野市に残されている文化や地名等が多く記載されており、それを元に観光地として人口約2万8千人の遠野市は栄えています。「カッパが出る」なんて話の他にも、座敷わらしや天狗、神様の話もあります。
実際に観光で来てみると、驚くかもしれません。その寒さに。1月2月の冷え込みはかなりのもので、マイナス20℃に達することも。実際に、東京で桜が散り始めたころに、遠野の桜はようやく蕾が見えました。かと言って、夏も涼しい訳ではないのは、盆地の地形だからこそでしょうか。「日本のシベリアだ」なんて言うのは、遠野のおっちゃんおばちゃんだけかと思いきや、東京の人もそんな話をしていて、それで通用してしまうんだなぁと苦笑してしまいます。
少し脱線しましたが、相手(予定)は、生まれも育ちも岩手県遠野市です。毛布を追加していると奪ってくる恐ろしい人です。これはきっと遠野物語にも載っていると見てみると、そんな話は全くもってありませんでした。
山田泰平、それは笑点の人ではなく湘南ボーイ。
僕は元々神奈川県藤沢市で生きてきて、きっと離れることなくこれからも生きて行くと思っていました。海も、畑も、田んぼも、使わないけどコンビニも、学校も仕事もあって、友人たちもいる藤沢市が好きで、その地域づくりに貢献しながらまったりと生きる筈が、何故か岩手県なんて遠い場所にいます。
地元から約600km弱のところに位置しています。
きっと多くの人の人生を変えることになった東日本大震災。発災した時、僕は大学2年生、バングラデシュでボランティアをしていました。バングラデシュ人からは「日本大変なことになってるよ。お前の家族は大丈夫か」そんなことを聞かれたでしょうか。とても優しく気遣ってくれました。 ボランティアのプログラムを無事に果たした時、日本に戻り、自分の最寄り駅まで行かない電車に乗って帰り、その日に計画停電も体験しました。数日は大人しくしていましたが、翌月にはそれもできずに石巻に行っていました。外のテントで凍りつくダンボールを見て初めて「東北の寒さ」に触れた気がします。
僕が東北に行ったのはこの時が初めてで、翌月、さらに北にある岩手県は遠野市に行くことになります。遠野市は震災の被害が少なかったことから、被害の大きな沿岸部への後方支援の拠点となっていました。大学のボランティア派遣のプログラムを利用して、遠野市に足繁く通うことがこの時から始まりました。
沿岸部でドロかきやがれき撤去などを行うこともありましたが、遠野市で活動することも多くあり、宿泊所がある地域のお祭りの支援もすることになりました。遠野市では、年に一度市内の郷土芸能が一堂に会し、披露する大きなお祭りがあります。ここに一演者として出させていただき、「これまであった文化を自らの意志で残す」という遠野の方々の強さを感じました。単に震災支援をしていたら、移住なんて決断はありませんでしたが、その意志、文化観、そして様々な人を知っていく中に、今まで感じたことの無い魅力を感じてしまい、移住の決断を下しました。
移住の最後の決め手
実は遠野市への移住は二度目になります。一度目は勤めた出版社を辞めて、地域づくりの現場に入ろうとした時。二度目の今回は、一度目に出会った彼女と結婚するために移住しました。「普通」であれば、彼女を神奈川に戻すのでしょうが、遠野物語にいても不思議ではない彼女はこう言いました。
「私は岩手からでないよ。結婚したかったら、あんたがこっちにこい」と。
震えが止まりませんでした。それでも、遠距離恋愛で気長に僕のことを待っていてくれた彼女には感謝しかなく、他の女性のことなんて考えられないようにいつの間にかなっていったようです。
遠野市のギフト、それは人と人とを結びつける贈り物。
これまでさっくりと僕自身のこれまでを語ってきましたが、いかに自分と遠野市の繋がりが偏っているかはお分かりいただけたと思います。小中学校の時の友人は、未だに僕がこちらに来ていることを知らず、遠野市のことなんて知らないでしょう。
「引き出物を自分でつくりたい!」と思ったのも、そんな彼らに、これから自分が住み生きて行くことになる遠野市のことを伝えたかったからです。遠野市のことを伝えることができれば、きっと結婚相手(予定)のことも、なんとなく、わかるのではないでしょうか。
現在鋭意制作中の「遠野市のギフト」は株式会社地元カンパニーがパッケージとして提供している「地元のギフト」というサービスを利用しています。
「地元のギフト」は、全国各地域で展開しているサービスであり、それぞれの地域のつくり手と産品が描かれた10枚前後のカードが入っています。ギフトを受け取った方が、その中からお好きな商品(野菜や果物、加工品など)を選んで申し込むと、旬の時期につくり手から直接商品が届くという仕組みです。
カードには、僕が10個の商品を選んだ上で、つくり手の方々に取材を行い、写真や想いを掲載していきます。「こんな人が、こんな気持ちでつくっているんだな」と視覚でわかるようになっている上、地域ごとで出品物は確実に異なりますので、「その地域だからこそできるギフト」が生まれます。
つまり、遠野市のギフトをつくり、引き出物として渡すことで、僕は僕の友人に遠野市の魅力を伝えることができるのです。
序、それは始まりということ。
ということで、遠野市のギフトをつくる四苦八苦の物語と、果たして僕が結婚できるのか、という大きな壁を乗り越える成長記録として、遠野市のギフト制作委員会が送るいなかマガジンは始まります。次回は現在挑戦中のクラウドファンディングが成功した!あるいは失敗した!というお話が出てくるかと思います。
ぜひ次もご期待いただければ幸いです。僕もなるべく良いお話ができるよう飛び回っていきます。