牡蠣漁師 バビちゃんの夢

2016/05/17

 

 福貴浦(ふっきうら)は字面が表す通りその周辺の漁村より規模が大きめで、若い跡継ぎも比較的多い浜です。30代~70代と幅広い年齢層の漁師さんたちがいますが、年齢を超えてとてもまとまりがあるのがこの浜の特長の一つです。が、それに負けず劣らず印象的なのが、浜の人それぞれの個性!

 

 一人ひとりの個性が強いので、福貴浦にお邪魔する時は「今日は誰がいるかなー?」と浜のみんなの顔を思い浮かべながらにやにやしてしまいます。それだけ聞くと、一見「まとまり」とは正反対のところにいるように思えますが、その根底にはゆるぎない結束とお互いを思いやる気持ちが確かに在ります。

 そしてそんな個性豊かな福貴浦に、阿部信彦さんという牡蠣漁師がいます。浜での通称は「バビちゃん」。なんで「バビちゃん」なのかは不思議と誰も知りません。でも、小さい頃からそう呼ばれているそうで、60代70代のベテラン漁師さんからも、浜のおばあちゃんたちからも、ずーっと年下の子どもたちからもバビちゃんと呼ばれています。これはそんなバビちゃんのお話です。

宮城 石巻 牡蠣 漁師1

阿部信彦さん(通称・バビちゃん)

 

 

 バビちゃんが漁師になったのは、23歳の時。それまでは浜を出てアパレルの仕事などをしていましたが、家業を継いで漁師をしていたお兄さんが浜を離れることになったため、弟であるバビちゃんが後を引き継ぐことになりました。

 そして漁師になって18年が経つ頃に、東日本大震災が起こります。漁師は大きな地震が起こったら、船を守るために沖に出るのが昔からの習わしです。福貴浦の漁師たちも、地震の後すぐに船を沖に出し始めましたが、バビちゃんはほかの人より少しだけ遅くなってしまいました。沖まで行けば津波の高さはそれほどでもないそうですが、少し出遅れてしまったバビちゃんは、海の上で高さ10メートル近くある津波に遭い、それを船で乗り越えたそうです。10メートルの黒い壁が目の前に迫ってきたとき、死を覚悟したというバビちゃん。でも幸いなことに、バビちゃんと船はその波を乗り越え命を取り留めました。

 

宮城 石巻 牡蠣 漁師2

 

 ほかの漁師たちと海の上で一晩を明かし、翌朝に文字通り命からがら浜へ戻ってみると、浜は見るも無残な姿に変わっていました。バビちゃんの家はあと10数センチという寸でのところで津波の被害を受けずにすみましたが、浜は壊滅状態、大事に育てて来た牡蠣もすべて流されました。そんな状態の浜で漁師としてマイナスからのスタートを切るよりも、これを機にほかの仕事に移った方がいいのではないか…?

 そんな声が、若手を中心に密かに上がり始めたといいます。そんな2011年の5月。福貴浦のベテラン漁師がバビちゃんたち若手を集め、

 

「お前ら漁師やるのか、やらないのかどっちだ!ここで今すぐ決めろ!」

 

と言い放ちました。バビちゃんがこの話をするときはいつも、そのベテラン漁師への尊敬と感謝がこもった表情になります。

 

「おれが今漁師をやっているのは、あの一言のおかげなんだぁ」と。

 

 そうして牡蠣漁師の道を再び歩み始めたバビちゃんは、震災前から少しづつ衰退して来ていた漁業が震災の影響でさらに厳しい状況に陥ってしまったことと向き合い、

 

「今までと同じことをやっていたらダメだ」

 

とそれまでやっていなかったことにどんどん挑戦するようになりました。

 自分で売り先を見つけて販路を拡大したり、牡蠣の殻を剥かずに出荷する殻付き牡蠣の出荷、殻付きで出荷するために殻をきれいに掃除する電動のクリーナーもいち早く使い始めました。殻付きで牡蠣を出荷するようになったので、冬でも夏でも一年中牡蠣を出荷しています。そのどれもが、この辺りではほとんど誰もやっていないことでした。

 剥き牡蠣が旬な冬は牡蠣を剥きつつ殻付きでも出荷し、ほかの人が2月頃で牡蠣むきを終了するなか5月まで剥きと殻付きの両立を続けます。6月から9月くらいまでは牡蠣剥きがない分、ここぞとばかりに殻付き牡蠣を大量出荷。もちろんその傍らでほかの漁師さんと同じように牡蠣の種付けや漁場の片付けなど細かな仕事をこなしていきます。そして10月からはまた剥き牡蠣と殻付きの両立生活です。

 

 宮城 石巻 牡蠣 漁師3

 

 努力の甲斐あってバビちゃんの所には、たくさんの注文が来るようになりました。カキ漁師にとっての休息期である夏も全力疾走するバビちゃんは、周りの人から「少しは休めぇ」と心配されるほど。そんなバビちゃんの仕事を支える存在の一つが、震災をきっかけに受け入れるようになった、浜の外から手伝いに来てくれる人たちの存在です。

 福貴浦のような漁村集落は、震災前はそこに住んでいる人以外めったに足を踏み入れることがない場所でした。そこへ震災をきっかけに訪れるようになった沢山の人たちは、がれき撤去などの緊急的な支援やその後再開されていく養殖の手伝いなど実作業面だけでなく、外からの風を吹き込んでくれる新しい存在でした。

 

 「外から人が来ると、浜の中にいただけでは知り得なかったことを知ることができる。刺激をたくさんもらえるし、そうして得たものを普段の仕事にも活かせるかも知れない。そして何より外の人と出会うことが楽しいし、浜や漁業のことを知ってもらえるのが嬉しい。」

 

宮城 石巻 牡蠣 漁師4

 

 そう思うようになったバビちゃんは、積極的に外からの人を受け入れるようになりました。そして「来てくれた人には楽しい思い出を作って帰ってもらいたい。」という想いから、親しみやすいように頑張って冗談を飛ばしたり(本当はシャイなのに)、「作業を頑張ってくれたご褒美」と近くの温泉に連れて行ってくれたりと、来てくれた人への愛情は誰にも負けません。だからバビちゃんのもとには、また会いに戻って来る人が沢山います。高台に新しく建てる家には、家族以外の人が気軽に泊まれるよう部屋を少し多く作る予定だそう。

 

 「例えばさ、以前うちに来てくれた人が結婚したとして、子どもとか生まれて、家族を連れてさ、今度は家族を連れてまた福貴浦に戻って来てくれたりしたら最高だよね!!」。

 

それが、今のバビちゃんの一つの夢です。

 

 宮城 石巻 牡蠣 漁師5

 

 

 

 

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