タケノコのように、ぐんぐん伸びる春でありますよう
- 執筆者 小林恵子
- 所 属えん(縁)もたけ(竹)なわ
2017/05/22
重複する自己紹介ではありますが、自己紹介をさせていただきます。
私は、岡山市で、~えん(縁)もたけ(竹)なわ~と称し、竹藪を活かして認知症の人の「居場所」と「出番」と「役割」作りに取り組んでいます。
これまでお百姓であった祖母たちが、足腰が弱り、農業ができなくなり、これまで自分たちで守ってきた山が荒れ、管理が行き届かない、いわゆる放置竹林が増え広がりました。
祖母たちが、そんなに「竹」「竹」言うのなら、生かしていこう!!! と取り組んでおります。
6年前までは京都で仕事をしていました。地元の岡山に帰り、地元事情には、びっくりすることだらけでした。
普段は介護士をしている私は、タケノコにつきましては、両親のほんの手伝いではありますが、思っていること感じていることを書かせていただけましたら幸いです。
地元では、タケノコはもらうもの、買うものではないというものでありました。地元の祖母の診療所に行くと、「もらってください」と、段ボールいっぱいのタケノコがおいてあることもありました。
捨て猫ならぬ、捨てたけのこ??? 本当に有り余っております・・・
日本中で、農業の担い手の高齢化が言われているよう、地元でもタケノコ農家の高齢化により、地元に出回るタケノコは、かつてに比べたら減ってきているように感じます。
また、タケノコには皮があり、あく抜きという手間のかかるタケノコは調理に手間がかかり、食べるひとが減ってきてもいます。
家は、葡萄農家でもあります。岡山の葡萄は、種無し、皮ごと食べられるものが人気です。ぱっくとまるまる食べられるからです。手軽で、食べやすいものがどんどん主流になってきています。
今年の岡山のタケノコは4年ぶりの不作です
そんななか、下処理に手間暇かかり、調理にも時間のかかるタケノコは、年々嫌煙されがちな食べ物ではあります。けれども、春だけの旬の恵み。
灰汁抜きをするときの春の薫りも、ほっこりと春の到来を感じられる幸せなひと時であります。
タケノコは多いときには、蹴とばさないとどんどん竹になるので、1日に何十も蹴とばすことがあります。
水煮などにして保存もいたしますが、それ以上にどんどんどんどん生えてきます。生えてきたら、あっという間に竹になってしまいます。その生命力には感嘆です。
旬という短期間の間にタケノコは一気に生えてきます。生えすぎたものは処分しております。食べられるものなのに、捨ててしまう。
京都での生活では、お店に買いにいかなくては食材はありませんでした。春だけしかなく、売っている数も限られているタケノコはとくに貴重なものでした。食べ物自体が貴重なものでした。
が、家ではタケノコを持て余し、貴重な食べ物をどんどん捨てていく。ほんとうにもったいないと思います。が、私も毎年、タケノコを何十も蹴とばしております。下手をしたら三桁のタケノコを処分しています。
そんななか、私の家では、農協のアンテナショップ「はなやか中央店」に出させていただいています。
お野菜やお花、瀬戸内の魚介類などが所せましと並んであります
比較的岡山駅の近くにあることもあり、週末の午前中はお客でいっぱいです。午後には商品ががらがらになることも少なくありません。
農協の会員が、審査のもと商品をだすことができます。使われている農薬にも審査があります。
値段は自分で決めることができます。量や包装も各農家に任せられています。
農家の高齢化と言われていますが、ここでも農家さんの高齢化はみられます。農家さんの平均年齢は確実に60代以上であると感じられています。
お話しをさせていただく農家さんは、見た目が若く、お年を聞いて「え?70歳???」びっくりすることも多々あります。
農家さんたちは、農業をされているからか、日々頭も体も動かしておられるからか、実年齢よりはるかにお若く感じられます。
「はなやか中央店」に販売に来て、いろんな生産者と話をすることが楽しみになっている、情報交換ができる、と生産者のサロンのようでもあります。私の家も、「はなやか中央店」に販売に行くことが楽しみな張り合いでもあります。
いなかの人は、競争意識が高いと感じます。よその農家さんの農作物、値段、包装などをみながら、また、情報交換を行いながら、日々研究を重ねております。
「食」という生きることの根幹に関わる農業の担い手が高齢者であること、頼っていることを実感として感じる日々です。これからの日本、大丈夫か、と思う日々です。
「はなやか中央店」では、安い価格で新鮮なものが手に入る、と知る人ぞ知る人気のお店です。
お店では、値段は自分たちで設定することができますが、スーパーで買うお野菜は、農家さんとお店との間に業者が何件も入り、スーパーでの価格となっています。
「はなやか中央店」では、農家さんが直にお店に持っていくため、業者が間に入らず、お手頃価格となっています。農家にとってもありがたい場所です。
農家さんとお話しをさせていただきましても、農作物、ひとつひとつ、月日をかけて、心をこめて天塩にかけて作られていることを感じます。職人的なこだわりをもたれ、気候に合わせて工夫をし、プライドをもって取り組まれていることを感じます。
市場に売るよりは高く値をつけているそうですが、それでもスーパーに比べると安い!!
市場では、海外の安い野菜や果物が入ってくるようになり、日本の農作物も同じくらい、もしくはもっと安い価格でしか仕入れなくなってきているそうです。
また、規格が厳しく、規格外は市場では受け取ってもらえず、規格外のものは人に差し上げたり、それでも残るものは破棄していた農家さんの歴史があったそうです。
京都のスーパーに並んでいた食材を大切に買っていた私には、たくさんの食べれるものを捨てるやりかたを目の前で見たときにはショックでした。
タケノコ、葡萄農家の私の家も然りでした。タケノコは三桁、葡萄は二桁。十分美味しくいただけるものを、たくさんたくさん破棄しておりました。
父は、規格外のものは買う人に失礼だという思いもありました。生産者と消費者をつなぐパイプがなかったことにも原因はありました。
そんな中、規格外のものも人さまのもとに届く、「はなやか中央店」は本当に画期的であると思いました。また、生産者が自分で値をつけ、売り上げが収入になることから、ボランティア価格ではありますが、父の頭はフル回転です。
仕事があることが張り合いとなっています。人と人、人と自然とのつながりができます。
良い農作物は、より新鮮に。これまで捨てていたものも、人様のもとに届くようになりました。つながりができたら、森も人も喜ぶように思います。
これからのタケノコシーズン、今年も捨てタケノコが少しでも減っていきますよう。タケノコをいただくことは、森を守ることにもつながります。今年も、微力ながら取り組んでまいります。
少し手伝いをするようになり、農家さんとお話しをさせていただける機会が増えるにつれ、農家さんは、本当に心血込めて丹精こめて農作物を作っておられます。お野菜は何か月も、果物は何年もかけて作ったものが、食卓にあがります。
あさましくも、時給に換算すると、自給はたいへんな破格値となります。自給に換算するものではないものかもしれないです。
農家の高齢化により、年金生活の方が、ボランティア価格で出店されているように感じます。市場にだすほうが、それでも安いそうです。
農業で生計をたてていくことの難しさを感じます。安くて良いものがよいとこれまでは思っておりましたが、良いものは、生産者の人への感謝もこめてお礼をする必要を感じます。そのほうが、私自身、食材もたいせつに、より美味しくいただけると感じます。
生活を自分で支えていく若い就農者が増えていきますよう、値段ばかりではなく、その背景にある思いやご苦労も大切にしていきたく感じます。
いなかは丹精こめた新鮮なお野菜や果物が、ありがたくいただけます。これからは、タケノコのみならず、いろんな美味しいものに囲まれます。
タケノコは、「ぬた」にしても美味しくいただけます
ありがたいことです。楽しみな春です。
いなかの農家事情でした。