しまんとで大人の休み時間 ~辿りと運びのコーヒー・後編~
2017/11/22
- 執筆者 寺嶋紀人
- 所 属一般社団法人いなかパイプ
「事が運ぶ。物事が滞りなく進んでいることを指す。」
「運命。人の意思や想いをこえて人に与える力を意味する。」
運ぶというと「物を運ぶ」など物理的に動かすようなことだったり、また「運命」のような熟語にはちょっと神がかったイメージを持つことも多いのではないかと思います。
けれども私がしまんと大人の秋休みの最中に少しだけ垣間見た「運び」の姿は、「ただ命の運びがある」という本来自然界に存在しているであろうものでした。
あんまりこんなことを書くと「ナニ言ってんだこの人??」と思われてしまうかもしれません。ですが、それをお伝えするには私が体験して感じたことを出来るだけ辿って表現する他ないのではないかと思っております。
また、伝えずにはいられない自分もどこかにいます。少し長めではありますが、お付き合いいただけたら幸いです。
前編でお伝えした「目的に縛られない世界」を体験してから私の感性は、より自分の中心にあるものに近くなっていく感覚が生まれていきました。それは本来の「自分のリズム」といってもよいのかもしれません。
そんな秋休みの最終日の深夜のこと。自分にとってとてもショックなことが巻き起こりました。
ある事があり、全く人と、いや目の前のことに私は向き合えていないのではないかという強い衝撃が自分の中に走り、正座してその場から動けなくなってしまったのです。そして、そこでそのまま寝てしまいました。
明くる早朝、ふっと目を覚ますと台風は過ぎ去っていて外が朝日でキラキラと輝いていることに気がつきました。いえ、外だけじゃなく中も全ての空間が。
2、3時間しか寝ていないこともあり、そのまままた眠りにつこうと思いましたが、
「いや、外にいこう」
という想いが湧き起こりました。
まだ少し昨日の衝撃による余韻がじんわり心の中に残っている感覚もありながらも、私は山水を汲むべく空の2リットルのペットボトルを片手に外に繰り出したのです。
宿舎である廃校から出るとすぐに小学生を送迎するため、これからバスを出発させるところだった地元のおんちゃん(おじちゃん、おっちゃんの意)に出会いました。
もう会話は覚えていませんが、「ちょっとそこの道を散歩してくるんですよ」のようなことで言葉を交わした記憶があります。
昨夜の「私は今まで目の前のことに向き合えていなかったのでは?」という深いショックがあったからなのか、私はそのおんちゃんを、その姿を言葉を、控え目ながらも真正面から捉えしっかり向き合っている自分がいました。
バスのおんちゃんと別れて再び歩き出します。
外に出る際に降る坂道の途中、木々の間から川や山、そして空が少し覗かせました。
そこには、目の前にある何もかもが朝日に包まれていて、全ての存在が生き生きとしている四万十の光景が広がっていました。
そのあまりの美しさ、いや神々しさに目から自然と涙が「ああっ」と溢れてきてしまいました。私の感性、私という存在は全ての生命へと向き合い始める感覚が生まれていたのです。
川、山、畑に、空を写す田んぼ。どれか一つがどうのというのではなく「全てが調和している」という感覚に包まれていたような気がして、何を見ても涙が溢れはじめ、止まりません。
いつもは雑に撮ってしまうこともしばしばの写真撮影も、画面を覗き込む際その世界をなるべく捉えようと目の前の光景とじっくり向かい合っていきました。
途中、軽トラに乗ったおんちゃんがすれ違う時にニッコリと笑顔でゆっくりこちらに手を上げる。朝の光に包まれて、とても優しく温かいその表情がハッキリと差し向けられました。
「なんと…なんと温かい笑顔なんだ…」
私は手を振り返しながらも溢れた涙を止めることは出来ませんでした。
そんな風にして道を歩いていると、いつもお世話になっている地元のおじいちゃんと出会いました。
「このままありとあらゆる事に泣いていたらマズイ、変人だ!」
と思い、少しだけ気を取り戻させ挨拶をして会話をしました。
涙目であろう私はもう何を話したかは覚えていませんがこれまた「山水を汲むので散歩しとります」みたいなことを言っていたと思います。
おじいちゃんの「そうかい」という優しい顔にグッと涙が出てきてしまいそうになりましたが、何とか堪えて再び歩き出します。
それから溢れる涙は少しずつ収まり、林道に入っていきます。そこで今度は別の軽トラのおんちゃんが前から現れます。
「何しとるん?」
「いつも皆が汲んでいるところまで山水を汲みに散歩してるんですよ」
「あそこはちょっと遠いやろ~、水なんてこの通りにいくらでも湧いとる」
「ほんとですか、知らなかった!ありがとうございます。行ってみます」
とおんちゃんは去っていきました。
するとすぐ先にある林道の脇には、いつもは全然気がつかなかった山水がくだってきている沢があったのです。
あとから知ったことですが、この沢には大雨が降り続かないと水が全く流れていないのでした。「いつもはない沢」だったのです。
「ここの水を汲もう」
と、よいしょと足元に気をつけながら沢の中に入ります。どこで汲もうかと上のほうを眺め、流れてきている山水を辿っていこうと登っていくことにしました。
秋休みの途中に「目的に縛られない世界」に触れてから、冒頭にも触れた「運び」を感じはじめていました。私はこの時から何かに運ばれている感覚になっていました。
辿っていっているのに運ばれている。ウサギを追いかけているけど実はそこに導かれていく、まるで不思議の国のアリスに出てきそうなそんなおとぎ話のような世界。
少し上まで行って、「ここかな、ここで汲もう」と水をペットボトルに入れます。でも何だかしっくり来ませんでした。
そこで私は同じ秋休みのスタッフである田中聡さんに教わった「自然の声」を聴くということを思い出し、目を閉じ、耳を澄ませ、心を澄ませ、そしてまた目を開け、自然の声に耳を傾けていきました。
周りにある草たちが吹く風に揺れ、凪いでいきます。ボーっとそれを観る。「もっと上だよ」とも聴こえてくるが…、何だか違う気もする。また私は感覚を澄ませてみる。そうすると、
「答えは自分の中」
と、囁かれたような、まぁ実際は何も声は聴こえないのだけど、そんな答えが返ってきたような感じが私にはありました。
上でもなくここでもないので、下へ戻ります。すると土や葉っぱや石に埋もれていた山水を通すための黒いホースが沢の脇にあることに気がつきました。
私がそのホースを手に取ると、その瞬間に中に詰まっていた泥や葉がサーっと一斉に流れていきました。ちょっとの間、濁っていましたが少しするとキレイな水になっていきます。
「ここだったのか」
それをペットボトルに汲み、沢を後にしました。
帰る途中もその時々に感じた景色などを写真に収めたりしていました。すると、後ろから近づいてくる一台送迎バスが私の横で止まり、
「ちょうど帰るところだから、乗ってくかい?」
それは行くときに会い、送迎を終えて戻ってきたバスのおんちゃんでした。
もうこれは運ばれる以外に何の選択肢があろうかと、私はおんちゃんに運ばれました。
そして廃校に戻った私は、仲間のスタッフが素敵な朝食を作る横目でボーっとしながら、
「そうだ、初日からずっとやろうやろう思っては実現していなかった山水でコーヒーを入れるということをしよう」
と思い立ち、汲んできた山水を火にかけ、冷凍庫にあるコーヒー豆が入った袋を取り出しました。
コーヒーミルに入れ終わりちょうど豆がなくなった袋をふと見ると、その中には脱皮した、脱皮し終えた抜け殻がついたままの、それも生きたカゲロウが袋の中に在りました。
「いつ袋に入ったのだろう? もともと入っていたとしても冷凍庫の中では死んでしまっているだろうし、どのタイミングで入ったのだろうか。コーヒー豆をミルに入れている時なのか…」
入った条件など考えてみてもまるでわかりません。でも私は、
「あんたは脱皮したばかりってことだよ」
という自然界のメッセージだと直感しました。それは、カゲロウだけでも抜け殻だけでもなく、抜け殻がついたままの生きたカゲロウがそこに在ったからです。
そして私は四万十の自然とそこに生きるおんちゃん達に運ばれて汲んだ山水と、私のことを辿ってくれたカゲロウからのメッセージが添えられていた豆でコーヒーを入れました。
スタッフの吉尾洋一が写真に収めてくれていました
何となく朝日を浴びながらコーヒーを入れたいなと思い窓際に移ります。
お湯をかけると豆たちはモコモコと一粒一粒が立ってくるかのように膨れあがり、太陽の光を浴びキラキラと水を反射させてまるで喜んでいるかのよう。
今まで何度もハンドドリップでコーヒーを入れていますが、そんなキレイな、そんなに豆が喜んで見えるように感じたのは初めてでした。
そして私は淹れ終えたコーヒーをマグカップに移し、口に運びました。
それはそれは、深い深い味わいでした。深い、その奥深い甘みと苦味が体の奥までじんわりと染みこんでいくような、そんなコーヒーであったのです。
と、そんなところが「辿りと運びのコーヒー」のお話しになります。
前編で何でもない奇蹟はそのへんに溢れているようなことを書きましたが「私たちがそれに気づくか気づかないか」そのちょっとした差なのかもしれないと思ったからです。
と同時にこういうことは意識しては決して辿り着かない境地なのかなという思いもあります。
また、どの時点から「運び」が始まっているのかはわかりません。振り返れば3泊4日全ての関わりを通して最終日の朝に起こったことでもあるけど、でももしかしたらそれ以前からずっと私たちは運ばれているのではないかと思ってしまう自分もいます。
今回体験したことは日常の自分とは随分かけ離れた感覚であって、なかなかそこにはすぐには行けないようにも感じます。
でも、それを知っただけで、その世界に少しだけでも触れられただけでとても幸せに思いました。また、どんなに些細な事柄でもよいので実践していけたら幸せに生きられるのではと私は思うのです。
最後に。カゲロウの寿命は1日~1週間ととても短いそうです。コーヒー豆の袋の中にいた彼からのメッセージを今この文章を書きながらよくよく考えると、
「脱皮したからといって全てが終わりではないんだよ」
ということを彼はただ誰かに伝えたかったのかもしれませんね。
次回の来年はしまんと大人の夏休みです!「夏の四万十。これは本領発揮かぁ~!?」とスタッフ一同今からワクワクしています。気になる方は下記までご連絡ください。
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