「革人」池田崇物語・その2 ~転職ばかり~
転職
とにかく給料のいい所で働こうって事で転職し、バリバリの営業会社に入った。勤務地は福岡。あえて大阪から一番遠い地域を希望した。辛くても嫌になってもすぐに帰られへん距離に身を置くことで、頑張れる気がしたから。
革人の店内
まずは研修という名の合宿が待っていた。富士山の近くの山奥で1週間。1チーム6人で何チームかに分かれ、約50㎞を色々な課題をクリアしながら走ったり歩いたり。
自分は体を鍛えてたから問題なかったが、一般人にいきなり50㎞歩けっていうのは、かなりハードな話。自分のチームには女の子もおったから、手を引っ張って歩いたり、時にはおんぶもしてゴールを目指した。
早朝にスタートし、ゴールするころには陽が落ちていた。目的はチームワークと根性を鍛えるんやろな。さらに発声練習。決められた言葉を大声で叫ぶ。合宿に慣れてる体育会系の自分には余裕でした。
その後、東京へ移動しての研修が1週間。仕事の内容は、コピー機の営業販売。コピー機のノウハウや、販売の為のセールストークを叩き込まれた。
業務用電話帳データがPCに入っていて、PCの画面を見て片っ端から電話営業。いわゆるテレアポ営業で給料は歩合制。
会社や病院、個人商店に至るデータを元に、一日に100件以上電話をかけて、ちょっとでも反応があれば畳み掛ける。アポが取れれば、いつでもどこへでも駆けつける。
1台100万円クラスの複合コピー機。このコピー機を売る為には、あの手この手を駆使して販売にこぎつける。
トークで粘りに粘って、それでもアカン場合はオマケでテレビをあげたりとか(笑)契約を取る為には、もう何でもありな世界。
コピー機が売れないと上司から容赦なく怒鳴られ、コンプライアンス無視の異常な世界やった。
この会社は凄かったなぁ。社員がみんなスゴイ必死で、まさに体育会系バリバリって感じ。自分はこういうの得意やし、いけるかな?って思ったけど、あまりのぶっ飛び具合に引いてしまった。
今となれば、こういう経験も良かったと思えている。なんでもやってみないと分からんから。
退職→沖縄へ逃亡
高額な給料を目指して入ったものの、これも3日で辞めました・・・。辞めたけど、これからどうしよう・・・。大阪のみんなには送別会までしてもらったから、恥ずかしくて帰られへんし。
その時、東京研修で出会った沖縄人『竜ちゃん』の事を思い出した。研修最終日に居酒屋で飲んでて、隣の席にいたのが竜ちゃんで、ダイビングショップのインストラクターだった。
意気投合し、いつか沖縄へ遊びに行きます!って連絡先を交換してたから、思い切って電話をした。
事情を説明すると竜ちゃんは笑いながら、「沖縄へ来たらいいさ~。俺の部屋に泊まっていいよ」って。逃げ場が欲しかった自分にとって、天の声に聞こえた。
すぐに沖縄行きのチケットを取り、竜ちゃんを訪ねた。
「しばらくここにいていいから。原付を足代わりに使ったらいいさ」と、まるで何年も前からの友達のように接してくれて、ホンマに有難かった。
この先どうしたらいいか?よりも、まずはこの大好きな沖縄で身も心もゆっくりしようと思った。
なんとなく、なんとなくやけど、この時の竜ちゃんの優しさや沖縄の寛大さというか・・・。すごいしっくりきた。そう、しっくりきた。その表現が一番合ってる。
弁当屋時代
沖縄には2週間ぐらい居て、大阪に戻った。自営業の道を目指し、近所の焼き鳥屋で働くも3日で辞めた。その後、親戚のおばちゃんの弁当屋に修業に入った。2年後独立し、必死で働いた。
毎日毎日死に物狂いで4年間働いた。「たかが弁当屋」とナメていました。正直、ラグビーの練習よりもキツかった。でも、お金は残らなかった。熱しやすくて冷めやすいという、問題ありな性格。いつもその繰り返し。
いい加減嫌になりそうになったが、そこは「なんとかなる!」という根拠のない自信から、リスタートが切れた。
「99回負けても、100回目に勝ったらええやんけ!」とか、「最後に勝つんは俺や!」とか、そうなことを本気で考えていた。ラグビーで鍛えられた不屈の闘志は、たとえ気持ちが萎えて心が折れたとしても、復活も早い!
そう、そうなんよな。世間では「気持ちが折れたら負け」って言うけど、別に折れてもええねんって。我慢して我慢して体や精神が破壊されるぐらいやったら、負けてもええやん、逃げてもええやんって。
一生懸命やった結果なら、それはしゃーない。これは違うと感じたら、逃げたらええねんって。リスタートは早い方がいい。ただ、負け続けたり、逃げ続けるんはダサい。男としてそれは許せへん。
「沖縄へ」へ
つづく
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