2年目の茶摘み
- 執筆者 吉田晶子
- 所 属フリー
2023/06/09
皆さまは5月と言えば何を思い浮かべますか? 会社勤めの社会人だともちろんGW!!わたしもかつてはそうでした。
年が明けたら毎年手帳を見ながら、GWはどこへ旅行に行こうかという計画を立てていました。
しかし田舎暮らしを始めてからは、GWに遊ぶという選択肢はほぼ無くなりました。
5月はようやく気温も安定してくるので畑仕事も本格始動の季節になりますし、なんと言ってもGWは茶摘みの季節なのです!
八十八夜
『夏も近づく八十八夜~♬』という歌がありますが、実はこの歌詞の意味を茶摘みをするまでまったく知りませんでした。
八十八夜とは、立春(太陽が黄経315度の位置に来たとき)である2月4日頃から数えて88日目のことを言い、霜が降りなくなる頃合いとして、昔から農作業を始める気候の目安とされています。
お茶の新芽。今年の八十八夜は5月2日でした。
茶摘みに関して言えば、「八十八」という字が末広がりで縁起が良いとされ、八十八夜に摘んだ新茶を飲むと病気にならない、長生きできると言う風習より、八十八夜に茶摘みをすることは伝統行事になっています。
都会に居た時は特に何も考えず、なんとなく新しいからいいや、という程度で買っていた新茶です。
昨年の新茶摘み
昨年、茶畑があるこの家に引っ越してきて、リフォームに明け暮れる中、一応新茶摘みはしたのですが・・・
なんと、この茶揉み機に指を詰めてしまい、途中で揉みを中断してしまいました。
そして、6月に2番茶を摘もうと見てみると・・・
病気みたいなっていたので2番茶摘みも断念。お茶に詳しい集落の人にみてもらったところ、全部刈りなさいとご教示いただく。
さらに秋。今度こそはと番茶摘みをしてみたものの、手揉みができない!なぜ?何で⁈ 病気のせいだろうか?と、またまた人に聞きまくる。
そして返ってきた答えは、
「番茶は硬くて揉めんよ。そのままでも美味しいろ?」
だそうです。確かに揉んでいない分甘さや風味は落ちますが、確かな山茶の味わいはあります。
とりあえずは病気のせいではなかったので胸を撫で下ろしました。
今年こそは!
今年は八十八夜こそほかの仕事でできなかったものの、天気予報が落ち着かない中、5月8日に新茶摘みを実施しました!
昨年の病気騒ぎで30cm以上も剪定したのが幸いしたのか、新芽の伸びがすごく良くて昨年の3倍くらいの収穫高があり、うちはハサミは使わずわたしと夫で全て手摘みしていますので、あまりの新芽の多さに2日にわたり、延々と摘みました。
「猫の手も借りたい」とはこのことです!おーい、日陰で涼んでいないで一緒に摘んでくれんか~?!
火おこしと釜炒りは夫が担当
今年は茶揉み機の扱いにも慣れました。
うちは揉み手がわたししかいないので、手と機械の両方でガンガン揉んでいきます。
釜炒り→手揉み→機械揉み→天日干しのサイクルを何回転も摘んだ葉がなくなるまで延々と続ける。
めちゃくちゃアナログですが、この辺りで自家消費用にお茶を作っている人たちはこの作業がデフォルトです。
出来たて新茶を味わう
2年目の新茶は昨年の失敗や学びを経て、自分の中では一応納得のいく出来になりました。
今年はたくさん摘めたので、発酵茶にも挑戦。緑茶の渋みが薄れ、1週間かけて発酵させたのでやさしい味わいに。
お茶作りの1番好きなところが始終アロマに包まれることです。
新茶を指で摘むとフワっと香るアロマ。
炒っている時の香ばしいアロマ。
あ!お茶の匂いだ!とワクワクします。
そして揉んでいる時のアロマは極上の癒しの時間。
農作業、土いじり、それぞれに悦びや至福感はありますが、その中でも茶摘みが1番好きな仕事です。
今年は落ち着いたらちゃんとパッケージ化して直販所に出荷してみようと思います!
お茶作りの今後
前回裏山の整備についての記事を書きましたが、それのもうひとつのきっかけとして、裏山にはもう一枚、荒廃した茶の木があるのです。
荒廃してしまった理由として、やはり長年山の手入れがされていなくて日照不足により荒れていってしまったのだと思います。
地主さんは下の方のお茶は毎年摘んで手入れもされていましたが、ひとつ上の段のお茶は長年放置だったようです。
ここをきれいにするのは相当手間暇が必要です!
来年はここを再生し生産量を増やしていきたいです。
さらに、 スケジュール管理もきっちりやって、ほかの人にもお手伝いを兼ねて体験してもらえるような企画をしようと考えています。
来年はこちらで告知ができるといいなぁ~。
数年前に四万十で開催された茶摘み体験イベント。
自分でもお茶を作りたいと感じた貴重な体験となりました。
お茶農家と呼べるまでの生産量はないですが、当初ここで暮らす目的のひとつとして、生業にしていきたいです!