赤線調査隊!2(一日目・後編)
2014/12/27
こんにちは。ある時は株式会社いろどり・インターンシップ事業担当。
またある時は「上勝町赤線里道再開発公社」の粟飯原啓吾です。
赤線とは昔、車道がなかった時代に、人々が移動したり、物資を運んだりするのにつかっていた歩きみちのこと。
ザ・赤線の写真
そんな赤線を歩いて先人の足跡をたどりながら、学び、思いを凝らし、自身を鍛え、未来を考える、ロマンあふれる団体「上勝町赤線里道再開発公社」。上勝町を愛する若者やおっさんを中心に活動を行っています。フェイスブックの公開グループがありますので、興味がある人はのぞいてみてください。
●フェイスブック公開グループ
「上勝町赤線里道再開発公社」
https://www.facebook.com/groups/334678510041613/?fref=ts
さて、今回は、前回の記事でもお伝えしました「赤線調査隊」の第2弾です。今年10月初頭に4泊5日で敢行した、上勝町内の赤線(昔の歩きみち)を巡る弾丸ツアーです。
一日目、隊長ヌキさんの自宅を出発し、赤線に突入し、最初の目的地である柳谷(やなぎだに)集落を経由し、鹿よけネットやクモの巣に行く手を阻まれながらも終点の藤川(ふじかわ)集落を目指しました。
ちなみにこの旅での僕の役割は音声記録係。
録音の写真
「○時○分、○○集落の○○から赤線突入!」
「○時○分、○○さんに道を訊く」
「○時○分、○○発見!」
のようなカンジで音声を残していき、あとからルートの所要時間を調べたり、旅を振り返るのに利用するために、逐一記録を残していきました。2014年12月25日クリスマス現在、こちらの音声データはまだ活用されていません!しかしいつか必ず役に立つはず。だって聞いてるだけでおもしろい。
夕暮れ時も近づき、そろそろ到着できるかな?と再突入したとある赤線。
赤線再突入の写真
しかしこれが試練の始まりでした… そもそも赤線は今現在使われていないことが多く、どこが赤線なのかよく分からない場合がほとんどです。そのため、赤線と思しき道を発見した時点で、調査隊としては結構テンションが上がるものなのです。そんなわけで、喜び勇んでこの日最後の赤線に突入した調査隊一行。
しかし、
歩けども、
歩けども、
歩けども、集落にたどり着かないのです。
みるみるうちに日が暮れていき、「ヤバい!このままでは野宿だぞ!」
道なき道を行くことかれこれ2時間近く、ようやく集落らしきところに抜けました。
でも…
あれ?ここどこだ?www
どうも目指していた藤川集落とは違う様子。とにかく車道を歩いて下っていってみよう!そうしてたどり着いたのは、葉っぱビジネスのおばあちゃんたちが多数活躍する福川(ふくがわ)集落でした。
福川集落の写真
福川集落は、徳島市内方面から山を上がってくると上勝町の一番入口にある集落。今回の調査隊では都合上歩かない予定になっていましたが、奇しくも立ち寄ることができました。みんな一日険しい道を歩き続けたのでもうヘトヘト。とある商店の軒先をお借りして休憩、地図を見ながら歩いてきた道の振り返り。
ミーティングの写真
結局5日間振り返ってみても、距離的にはこの一日目が一番たくさん歩いたような気がします。この後、日が暮れる前に車道を歩いて隣の藤川集落に入り、初日の宿泊場所「農家民宿 わっか」さんを目指しました。
一日目終わりの写真
足はもうすでに文字通り棒になっていたけど、一日一緒に歩き回って連帯感が生まれた赤線調査隊なのでした。
「農家民宿 わっか」さんでは、お母さんお手製の美味しい食事にゆったりお風呂。お酒も頂き、一日の疲れを癒し、翌日に向けて英気を養うことができました!疲れていたのか、一っ切写真を撮っていないことを深くお詫びいたします。
↑普段はこんなカンジです!
次回は「赤線調査隊!3(二日目)藤川~傍示編」をお届します!お楽しみに♪
二日目朝の写真