わが町、てしかが

2017/06/30

 初めまして! 北海道弟子屈(てしかが)町地域おこし協力隊の炭田です。
 いなかマガジン初登場なので、私が住んでいるいなか「弟子屈町」の紹介と地域おこし協力隊になった経緯などを書いていきます。

 弟子屈町に行ったことある方いますか?
 え?行ったことない?
 では、摩周湖に行ったことある方いますか?
 ちらほらといらっしゃいますね〜
 摩周湖は弟子屈町にあるので来たことあるじゃないですか!!!

本州に限らず、道内でもお話をさせていただく機会があると、つかみのネタは大体これを使います。
 弟子屈町は、摩周湖と屈斜路湖を有する全国でも有数の風光明媚な町です。しかし、景勝地の知名度と町の名前は必ずしも一致していない町でもあります。

 改めまして、弟子屈町はここです。

 

弟子屈町

 

 道東の中心部に位置し、釧路空港も女満別空港も中標津空港も車で1時間ちょっとで行けます。
 道東には3つの国立公園(阿寒国立公園、釧路湿原国立公園、知床国立公園)があり、阿寒国立公園の56%は弟子屈町にあって摩周湖と屈斜路湖は全てが町内です。釧路湿原国立公園の釧路湿原は屈斜路湖から太平洋まで流れ出る釧路川の流域にあたります。

 

摩周湖

 

屈斜路湖

 

 わが町、弟子屈町

 町の最大の特色は、摩周湖・屈斜路湖に代表される豊富な水です。摩周の伏流水はわずかな殺菌・消毒で私たちの水道から溢れ、真夏でも蛇口をひねって数秒待てば、キンキンに冷えた水を飲むことができます。
 町の主な産業は観光と酪農ですが、摩周湖の地下水が活火山である硫黄山を通ることで、全国屈指の酸性度を持つ硫黄泉川湯温泉になります。また豊かな水で育った牛から搾られた生乳は、牛乳やバターとして全国に流通しています。

 

弟子屈町地域おこし協力隊

 次は弟子屈町の地域おこし協力隊について紹介します。
 団体のプロフィール写真にあるように、弟子屈町では5名の地域おこし協力隊員が活動しています。男女比は3:2、年齢は20〜50代までいます。

 

地域おこし協力隊員

 

 私を含めて、3名は「南弟子屈地域づくり活動支援」が主な仕事です。具体的には、町内の南端になる南弟子屈集落には平成26年度で閉校になってしまった旧昭栄小学校があります。
 いなかの小学校では、運動会のお昼ご飯は児童と先生、自治会のみなさんでジンギスカン、学芸会や収穫祭、お餅つきは学校だけではなく、地域のイベントでした。
 学校が閉校になったことによって地域のつながりが希薄になる不安もあり、自治会や役場が中心となって地域の将来像を考えていくための南弟子屈地域活性化協議会を立ち上げました。
 協議会では、地域のこうありたいという形を考えながら、旧昭栄小学校の活用なども検討して実行しています。また次回以降に詳しく書きたいと思います。

 自宅から車で1分も走ればこんな景色が広がっています。

 

弟子屈町の草地

 

 他には、弟子屈町産ブドウ・ブドウ酒等開発活動支援員と観光振興活動支援員がいます。名前の通り弟子屈町の新しい特産品としてワインの生産に取り組んでいる隊員と観光振興全般に関わっている隊員です。
 私は町の協力隊第1号ですが、私含めて4人が今年度で任期終了です。弟子屈町では、地域おこし協力隊員を募集しているので、興味がある方はお問い合わせください!(地域おこし協力隊募集はこちらから

 

弟子屈町で暮らし始めたきっかけ

 私が初めて弟子屈町を訪れたのは、大学3回生21歳のときでした。和歌山県にある全国でも数少ない観光学部で学んでいた私は、大学の授業に出てくる成功してキラキラしている地域に反感を持つような斜に構えた大学生でした。
 世の中には、もっと多くの失敗し夢破れて散っていった人や地域があるはず!成功した人はそりゃキラキラして楽しいはずだよ(-3-)と思っていました。
 私のゼミはあまりフィールドに出ずに座学中心だったのですが、ある時先生が「北海道の弟子屈のセミナーに講師として行くから、興味があったら現地集合で。飲み代くらいは出すよ」というゆるいお誘いがありました。そうしたご縁があり「てしかが観光塾」に参加しました。
 

 弟子屈町では、当時から今でも住民主導行政参加型の自治組織「てしかがえこまち推進協議会」という住民活動があります。また、地域の理念である住んで良し訪れて良しを具現化していくための着地型旅行会社もあり、地域に住む私たち自ら地域を作っていく活動を積極的に行っています。観光塾では、観光関連産業に従事するみなさんやえこまち推進協議会に参加している住民の方が参加していました。
 そのなかで、グループワークの時にガイドさんが「おれはもっと儲けられるようになりたい。一緒に考えてほしい」と話してくれました。私にとってのターニングポイントです!これだ!このリアルこそが私が求めていたものだ!と感じました。
 大学生の私にはすぐに解決できるようなアイデアなど考えられませんでしたが、この人を儲けさせたい。この町を良くしたいともがいている弟子屈のみなさんの力になりたいと思いました。そして、みなさんは知識も権力も持っていない私たち大学生にとても良くしてくださいました。
 

 それから、弟子屈町のまちづくりの取り組みを定期的に観察し、時には「ツーリズムてしかが」という旅行会社でインターンシップをさせてもらったり、遊びにいった際には仲良くなった役場の方の自宅に泊めていただいたりと弟子屈町とディープなお付き合いをさせていただきました。

 卒業、就職の時には紆余曲折あって、大阪の製造業に就職したのですが、弟子屈町のことが忘れられず、弟子屈町で暮らす方法はないかなと考えていました。そして、この度弟子屈町で地域おこし協力隊を募集することが決まり、まちづくりを学び、弟子屈を愛する他所者の私のために作られた仕事だ!と勝手に運命を感じて、地域おこし協力隊になり、弟子屈町民になりました。もう2年前の話です。
 

 弟子屈町に出会ってから4年目、9回目が片道切符です。溢れる想いを持って、弟子屈暮らしを始めたのですが、頭でっかちの私はお客さんから町民になり、現実を知って打ち砕かれるのですが、このお話はまた次回。地域おこし協力隊としてのメインフィールドである弟子屈のなかでも「いなか」南弟子屈地域の暮らしと合わせてお伝えします。

 

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