新卒捨てて、徳島へ。

 徳島県に地域おこし協力隊として移住してから1年、私には心の中に強く思うものがある。それは、

「ここに来てよかった。自分の選択は間違っていなかった。」

ということです。

 

これまで

 愛知県で生まれた私は、4人兄弟の3番目として、とても可愛がられ、7つ離れた弟からは兄としての自覚のようなものを学んだ。
 真面目だった兄姉、いや真面目すぎる兄姉の背中を見ていた私は、心の中であまり面白くないと思っていた。考えが硬く、セオリー道理な感じがあまり好かなかった。
 弟には、これほどかというほどに愛情を注いだ自負がある。しかし、弟もまたとても真面目な性格に育った。私は、おそらく真面目な性格の一派なのだろうと悟った。

 県外へ出ようとは思ったこともなかったので、大学も地元愛知の私立大学に進学した。この時点でだいぶ自分も真面目だなとは思うのだが、大学4年間はアルバイトに費やしたといっても過言ではない。大学の勉強は二の次でアルバイトを一生懸命した。
 このアルバイトでは、店舗を運営していくことの大変さであったり、責任感、信頼関係の重要性、そして社会の厳しさだったりを学ばせてもらった。

 

アルバイト

 

 就職活動はあっさり終わり、5月には内定が出ていたのだが大学の卒業単位が足らず必死になって勉強をした。勉強の合間にもしっかりとアルバイトをしており、大学の友人からはあいさつ代わりに、単位を心配されるほどだった。
 周りの友人はまだ就職活動をしていたが、私は必死に勉強をしていた。そんな時にふと思ったことが、

「自分の人生このままでいいのか?」

ということ。このまま、大学を卒業して内定をいただいた企業に就職して社会人としての生活をスタートさせることに不安を抱いた。
 まだ、何かやり残したことがあるような気がしたと同時に直感でこの企業には就職してはいけないと思った。
 その日の内に企業へ内定辞退の電話を入れ、辞退理由もいささか理解されないまま、私の就職活動は終わりを遂げた。(今考えても自分はヤバイやつだと思う。)

 

地元で行われたイベント

 

地域おこし協力隊へ

 この先どうしようかと考えているときに、たまたま地元で行われたイベントに母の誘いで参加をしてみた。
 そこでは、いろんな分野でおもしろいことをしている人を交えてざっくばらんに語り合うというイベントが行われており、そこにゲストとして来ていたのが、当時、奈良県で地域おこし協力隊をしていたMさんでした。
 私と年齢もさほど変わらず、大学4年生の時から協力隊を始めたというMさんの話に聞き入ってしまった私は、会の後にMさんに地域おこし協力隊とは何ぞやということを聞きまくり。同世代でここまで幅広い知識を持ち、引き寄せられる人は初めてでどんどん地域おこし協力隊に興味を持ちました。
 両親に、

「おれ、地域おこし協力隊やってみたい。」

と打ち明けたのは、Mさんに会ってからほんの数日後でした。
 両親は最初驚いていましたが、すぐに快諾してくれました。息子のやりたいことに対して今まで一切否定をしてこなかった両親ですから、今回もそっと背中を押してくれました。今でもとても感謝をしています。

 

 これから地域おこし協力隊の任地を選んでいくわけですが、私の場合は四国に絞っていました。なぜなら、亡くなった祖父の出身が四国だったから。しかし、一度も足を踏み入れたことのない四国で地域おこし協力隊の受入れ自治体も多くある中、なぜ徳島県にしたかというと、失礼な話、徳島県の印象が一番薄かったから・・・。

 一番、私にとって未開の地だったのが徳島県で阿波踊りやスダチなど聞いたことはあるけど実際に見たことがない。とにかく情報量として少なかったのが徳島県でした。だからこそ、行ったら面白いと思いましたし、自分の周りの人間にも話せることが多いと思いました。

 徳島県に絞ってから、私は阿南市の加茂谷地区を任地として選ぶわけですが、決め手は、那賀川という一級河川に吊るされた鯉のぼりが宙を舞っている鯉まつりの写真でした。初めて見た光景に目を奪われ、ここは面白そうと思いました。まさに直感です。
 それからは、書類選考、面接を経て2016年4月より阿南市の地域おこし協力隊1期生として徳島県へ移住することになりました。

 

移住してから待っていたもの

 徳島県阿南市の山間部にあたる加茂谷地区は、人口約2,000人で高齢化率は40%のいわゆる過疎地域です。徳島県の南東部に流れる一級河川、那賀川の中流域に10カ町村(熊谷・吉井・加茂・楠根・十八女・深瀬・大井・水井・細野・大田井)が点在し、各町で野菜の栽培が行われています。その内の細野町(人口約20人の集落)で私は築100年の古民家に一人暮らしを始めることになりました。

 最初、暮らし始めたときは、ネズミが走り回り、ネコに襲撃され、ノミが大量発生し、家のいたるところにカビが発生しました。今まで実家で暮らしていて、何不自由なく過ごしていたことが不思議なくらい田舎での一人暮らしに苦労しました。衣・食・住の環境が一つでも欠けると人間はこんなにストレスが溜まることも初めて実感をしました。

 移住してから間もないころは、あいさつ回りに奔走し、各町のお祭りや総会に呼んでもらう機会も多く、自分の事をまずは加茂谷の人たちに知ってもらう所から始まりました。それがよそ者である私がする第一の仕事でした。
 歓迎会ということで呼んでもらった深瀬町では、加茂谷の名所の一つ「午尾の滝」があり、私は酒の席で酔ってしまいこの滝に落っこちるという醜態を晒してしまいました。移住して早々色んな方々に迷惑と心配をかけたのですが、町のいたるところで、名前を知ってもらう良い機会になってしまいました。

 

滝に落っこちる

 

協力隊の活動

 地域おこし協力隊としての活動は受け入れ団体である「加茂谷元気なまちづくり会」と共に、彼らが行っていることのサポートや加茂谷の年中行事に積極的に参加すること。さらには自分たちで加茂谷のことを考え、加茂谷の中に転がっている様々な声を具現化していくことです。

 

加茂谷の鯉祭り

 

●加茂谷の鯉祭り

 今年で29回目を迎えた加茂谷の鯉祭りは、徳島県の南東部に流れる一級河川の那賀川に鯉のぼりを吊るし、川原ではカンドリ船やSL、ミニユンボ体験などを楽しむお祭りで、29年前の平成元年から地域住民主体で行われてきました。私が協力隊としての任地を選ぶ際に写真だけでも、その壮観さに感動し心を奪われた鯉祭りに参加できたことを心から嬉しく思いました。

 この祭りは人口2,000人しかいない小さな集落で住民が一致団結して作り上げたもので、お祭り当日は4,000人もの人を集客します。川にワイヤーを通し、一本一本括り付けられた鯉のぼりは風に揺られて気持ちよさそうに泳ぎ、その傍らでは「こどもの日」らしく加茂谷内外の子供たちが川原で遊びまわります。

 加茂谷の強みはチームワークです。このお祭りもそうですが準備から片付けまですべて地域の人間で行います。駐車場の整理は消防団が行い、出店は婦人会や老人会、農協関係者、さらには加茂谷に移住してきた移住者の方々も出店します。お祭りを通して横のつながりと縦のつながりができ、より強固な繋がりへとなっています。

 

武蔵野大学農業ボランティア受入れ

 

●武蔵野大学農業ボランティア受入れ

 今年で4回目を迎える武蔵野大学との農業ボランティアは、毎年80名の学生を加茂谷で受入れ、各農家で民泊を交えながら田舎体験をしてもらう活動です。
 この取組みが始まった2014年8月、加茂谷は今までに経験したことのないような洪水被害を受けました。一度は大学生の受入れは困難ということで受入れの断りを入れましたが、大学側から何でもいいから復旧作業を手伝わせてくれという返事があり、受け入れることになりました。
 倒壊した栽培ハウスの除去作業や水没した機械の運び出しなど泥だらけになりながら作業を手伝ってくれた大学生には恩があり、このボランティア活動をきっかけに加茂谷と武蔵野大学の中では絆が生まれ、今日まで至ります。

 

カモ~ン加茂谷かもかもフェスタ

 

●カモ~ン加茂谷かもかもフェスタ

 かもかもフェスタは、加茂谷に移住してきた移住者が始めた音楽のイベントです。休校中の小学校の体育館と運動場を借りて行われます。
 休校中という事で普段ここには人が集まることもほとんどありませんが、ただそこに置いておくだけでは建物は老朽化していきますし、こういうイベントを通して休校している学校を利用することはとても良い事です。

 私もそうですが、移住してきた新しい土地には知り合いは少ないです。そこで周りの住人に自分の事を少なくとも知ってもらう機会は必要だと思います。普段からのコミュニケーションもそうですが、イベントを通して移住者と地域の人間が関わりを持つことはとても大事なことだと思います。
 そして、加茂谷の人たちは移住者主体で行う、このお祭りにも準備や片付けの手伝いを主体的にしてくれます。一人ではできないこともみんなが寄ればできることは沢山あります。加茂谷には否定よりも肯定、まず、やってみたらという雰囲気が溢れています。

 

1年が過ぎて

 地域おこし協力隊として2年目を迎えて、今思うことは、地域に溶け込むことは自分をさらけ出すことだと思います。
 1年間を通して多くのイベントや行事に参加させてもらい、畑仕事などのお手伝いもして一緒に汗を流したりすると自然と相手がどんな人であるのか、また、自分はどんな人間なのかわかってきます。都会にいたら、自分の周りの人間のことだけ考えていればいいかもしれないですが、田舎では、そうはいきません。

 田舎は、噂話が大好きで、SNS全盛期の現代にも負けないレベルで村中に情報が広まります。でも、自分が真っ当な人間であるならば村の人たちは理解してくれるし、まず口よりも行動を見てくれています。
 都会にいたら気づかなかったコミュニケーションの大切さや、今までならメールでいいやと思っていたことも電話で聞いたり、直接聞きに行ったりすることの重要性。顔と顔を合わせることで時間はとられるかもしれませんが、今までよりも濃い人間関係を構築することができる。
 田舎は不便であったり、煩わしいイメージがあるかもしれないけれど住めば都で、住み心地は抜群です。野菜は自分でも作れるし、ご近所付きあいがしっかりしていれば、1年間、スーパーで野菜を買うことはない程です。

 普通に就職していたら得られなかったはずの体験を私は23歳でしています。今までは敷かれたレールの上をただ走っている感じがしていましたが、今はそうではありません。自分で決断して地元を離れ、今は自分の考えで動いています。日々新しい発見があり、新しい能力も得られる今の環境は私にとってかけがえのないものになっています。
 これからも協力隊として任期を全うし、少しでも加茂谷に貢献していきたいと思っています。

 

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    • 渡辺 敏郎