働きながら農業を学ぶ! ~いなかパイプのインターンシップに参加するまで~

2018/02/09

 「いなかマガジン」をご覧のみなさま、はじめまして!神奈川県から、インターンシップを経て四万十町へやって来ました谷藤(やとう)と申します。来年4月からの農業研修に参加するために、四万十に来ました。

 

谷藤

 

 ふと気付くと、四万十町へやって来て早3ヶ月。色々ありすぎて、「は?来週ってクリスマスなの?」と気付き、また彼女ナシのクリスマス連続記録が伸びてもうたことにゲンナリしつつ、寮の食堂で夜な夜な何か作ってます。
 ちなみに先日は、地域のおかみさんからキクイモを貰ったのでクリームシチューを作りました。キクイモめっちゃ美味いです。自分が作ったクリームシチューなのに「これお金取れるんちゃうか」と思える美味しさ。いやー、これほんとに美味い。めっちゃ美味い。イモなのにふわっふわの白身魚みたい。

え?キクイモって何?食べてみたい?
じゃあ・・・四万十に来たら食べられますよー!いいとこですよー!みんなおいでー( ゚д゚)ノ

おしまい

いなかパイプの皆さん。記事、こんな感じでいい?

・・・そうですか。はい。もうちょっと書きます。ちぇ。

 んではまず、四万十に来ることを決めるまでの経緯をば。
 私は愛知県丹羽郡に生まれ、香川県小豆島生まれの父に連れられて山へ川へ海へと釣りに行き、へっぽこ釣りキチに育ちました。
 学生時代は東京で過ごし、その頃から何となく都会の暮らしや考え方に小さな違和感を抱きつつ、地元に戻って住宅リフォーム会社で営業をしていました。

 営業って難しいですね。元々、深く考えたり調べたりしないと気が済まない性格もあって、まぁ仕事が進まない進まない。それでも歯ぁ食いしばって何とか必死に耐えたのですけど、あるとき突然、心が折れちゃいました。
 しばらく実家でのんびりしていたのですが、次の仕事を決められない。何をしても、続けられる自信が全くない。

 そんなとき、ふと目をとめたのが「長野県で住み込みで農業しませんか」という求人でした。
 本当になんとなくそこで働くことを決めて、6月~9月まで、長野県の高原野菜の産地で住み込みで農業のお手伝いをしました。

 

高原野菜の産地

 

そこでの体験がとても衝撃で、

「いつか自分も農業で生計を立てたい」

と考えつつ、地元に戻ってフリーターをしていました。それが今から6年ほど前のこと。
 当時から、新規就農にスポットが当たり、各地で自治体やJA主催の相談会が開かれていました。その幾つかを巡って色々なお話を聞き、結局、新規就農を断念しました。
 理由はざっと以下の4点。
 

1.自己資金の問題

「大体1000万くらい無いと厳しいねぇ」
「ハウス1棟で300万くらい」
「でも大丈夫、補助金あるから」
いやいやいやいや、1000万とか無理すぎる。大丈夫、って・・・返済出来るか分からないやん。恐すぎる。

2.独身であること

「奥さんは?・・・ぁそう。。。」
「一人だと、繁忙期に倒れたりしたときに大変だよー」
そうですか。モテなくてどうもすいませんね(#゚д゚)y-~~

3.経験が浅い(農業の師匠が居ない)こと

「やっぱり、何か分からないことがあったらすぐ近くに聞ける人が居るか居ないかは大きいよ。」
「地元の生産部会に入ったら、みんな教えてくれるよ。」
んー…「みんな」ってのが気になる。。。そして、もしもその師匠が自分と合わなかったら。。。

4.「経営」素人であること

「この地域の○○生産農家さんの事業収支だったら、大体こんな感じだよ」
「繁忙期は近所の人をアルバイトで雇ったりして・・・」
 ひぃぃぃ数字の桁が恐いよ・・・というか、「アルバイトを雇う」?今まで雇われる側だった俺が??
 

 要はビビったわけです。この気持ち、一度でも農業関連の相談会(特に行政やJA関連のブース)に行かれたことのある方なら、きっと分かって貰えるはず!俺だけじゃないはず!!やはり「自分が経営者としてやってゆけるか」という自信が全く持てなかったです。ビビりまくって、断念しました。

 そんなこんなで人生をウロウロして気持ちに1つの区切りをつけたときに、縁あって食品系の一部上場の大手企業の子会社に入社。やはり「農に何らかの形で携わりたい」という思いがあったので、やはり少しでもそれに近いところで働きたかったという思いもありました。
 そして入社して5年ほどしたときに、会社の事業に暗雲が・・・。そのため、もう一度(もう面倒だからあんまり考えたくなかったのに)自分のこの先に向き合わなくてはいけなくなりました。

 そんな時に、電車の中吊り広告に『新・農業人フェア』(新規就農希望者など、農業関連向け専門の転職フェア)の広告が。日程は、ちょうど仕事が休みの日。

「ま、気晴らしがてら行ってみるか。5年前から雰囲気や制度とか変わったりしてるのかな。」

という軽い気持ちで参加してみて、色々な地域・企業のブースでお話を伺ったり、セミナーの話を聞いてみたりとウロウロ。

 

新・農業人フェア

 

ん?なんかお茶のペットボトルとロールケーキを置いてあるブースが。

 

いなかパイプと四万十町

 

 時計を見るとちょうど3時。よし、行ってみよう。それが、いなかパイプと四万十町を知る、最初のきっかけとなったのであった。

つ づ く
 

 はい、続けます。書いてみたかっただけです。ごめんなさい。
 そのブースの前で物欲しげに興味深げに眺めていると、ブースに立っていたお姉さんに声をかけられ、ポツポツとお話を伺いました。

●四万十町は、言わずと知れた最後の清流・四万十川沿いにある中山間地域であること
●こいのぼりの川渡しの発祥の地であること
●移住者が多く、農業に限定せず仕事は何かしらあること
●既に、移住して農業で生計を立てている人が何人も居ること
●農業以外にも、例えばカフェを開いたり、道の駅で働いたりしている人がいること

幾つか伺ったなかで、特に記憶に残ったのは、

「お茶と栗の加工品がよく売れているのだけれど、作り手が居なくて」
「3年間、給料を貰いながら農業を教えて貰える『おちゃくり農業研修生』という制度がある」

この2点でした。(結局、お茶はディスプレイ、ロールケーキは箱だけで食べられず。)

 それから数日仕事をしていて、今の仕事を遠くから俯瞰的に眺めている自分に気付きました。そして、その目線に立ってみて、自分が積み上げているスキルが社会全体の中でいかに脆弱なものかに改めて気付かされました。
 学んだ知識はどこかで活かせても、このスキルは、この会社の中でしか生きられない。少子高齢化が進むなかで、此処でこの方法で経営に触れていて、自分が満足できない。
 かつて直面した「経営」という壁を、このままでは一生越えられない。ただでさえ安月給の子会社で、そこから出向や転籍になったら余計に昇給も遅れるし…。
 そしたら結局資金も貯まらないままで、そしたらそしたら婚期も伸びるんじゃ…勘弁してくれよぉ・・・(´A`;)

 だったら、もう一度思い切って農の世界に飛び込んでもがいたって同じだな♪(以前に断念したときの4個の問題点は、結局何も解決されてないままだけど…)
 ということで、農業人フェアの翌週には上司に退職届を提出。(上司の顔が完全に古墳時代初期のハニワになってて、不謹慎ながら笑えました。)

 そして、10月末日、四万十町十川駅に降り立ったのでした。

 

四万十町十川駅

 

 長くなりましたので、この辺りで一旦区切りにします。
 また改めて、自分がインターンシップの1ヶ月の中で経験したことや感じたことをUPしてゆこうと思います。ではまた!

続く

 
【関連リンク】

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