いってきます
2013/04/17
- 執筆者 亀崎祐也
- 所 属TERVE テルヴェ
お久しぶりです、亀崎です。
すっかり遅咲きの桜も散り、出会いと別れのシーズンも一段落といったところでしょうか。今年度はどんな新しい出会いが待っているのか、楽しみでなりません。
四万十町古城地区の桜は本当に奇麗でした
さて、みなさんは出会いや別れの場面でどの様な挨拶をしますか?今回はこの“挨拶”をテーマに記事を書いてみました。最後までぜひおつきあいください。
これは“東京のいなか”、世界自然遺産に登録されている小笠原諸島・父島での話です。私は2012年の夏に小笠原ユースホステル(以下:ユース)でヘルパーをさせていただきました。
泣き、笑い、歌って、踊るのが小笠原ユースホステル
小笠原諸島へのアクセスは通常、定期船おがさわら丸(通称:おが丸)のみです。東京港竹芝桟橋から父島までは所要時間が25時間半と、世界的にみても長距離の離島航路です。
デッキでお酒を飲みながら過ごすのが好きです
出航日から24時間が過ぎた翌日の昼前頃、遠くに小笠原の島々が見え始めます。そして、船はやがて父島の二見港桟橋に接岸します。そこには宿のお出迎えの人たちが、長旅を終えた旅人の到着を待ち構えています。
宿ごとにオリジナルの看板を持っています
「お疲れ様です」
「いらっしゃい」
「ひさしぶり」
様々な挨拶が二見港桟橋を飛び交います。そんな中、独自の挨拶をしているのがユースです。
「おかえりなさい」
ユーススタッフはリピーターのみならず、はじめての宿泊者に対しても「おかえりなさい」と挨拶をします。看板にも「おかえりなさい」と書いてあります。ユース的には「はじめまして」ではないのです。最初はちょっと戸惑います。僕が初めて父島を訪れ、ユースに宿泊した際もそうでした。
ユースの看板を持つ筆者、誇らしげです
しかし、父島を離れる際にその謎が解けます。
「バイバイ」
「さよなら」
沢山の思い出を胸におがさわら丸に乗り込む
笑顔で手を振る人、涙をながす人の中で、小笠原ユースホステルのお見送りの一団から、また変わった挨拶の声が聞こえてきます。
「いってらっしゃい」
見送る側はこの言葉に“内地でも元気で過ごしてほしい”、“また、父島に帰ってきてほしい”など様々な想いを込めて全力で叫びます。それに対して見送られる側は
「いってきます」
と返します。ここでは「さよなら」や「バイバイ」という言葉は使いません。人生何があるかわかりません、確かな再会の約束は難しいのが事実です。でも、再会を願って心からそう叫びます。また父島を訪れた際に「ただいま」と叫び、「おなえりなさい」と返してもらえるように。
そう、ユースのお客さんは父島についてすぐに、この“挨拶の連鎖”の中に入っているのです。私はこのユース流の挨拶がとても気に入っています。せっかくの出会い、一期一会では寂しいですから。
旗を振るのはユースのオーナーさん
私事ではありますが、2013年3月31日をもって一般社団法人いなかパイプを卒業し、4月14日に地元・埼玉県に戻ってきました。
今回、西は沖の島から東は安芸市まで、沢山の高知県民の方とお会いする機会に恵まれました。中でも私がプチ移住していた四万十町古城地区の住民のみなさんには、プチ移住期間中に“まっこと”お世話になりました。
採れたての山の幸をいただく毎日を過ごす
ご飯や“飲みけ”にお招きいただいたり、しいたけや山菜採りはもちろんのこと、地域の神事や祝い事にもお招きいただき、1日1日の密度がとても濃く、本当にあっという間の5ヶ月間でした。
神事のあとは“飲みけ”が待っています
やり残したこと、やれなかったことも多々ありますが、私なりに駆け抜けることができました。全てはいなかパイプメンバーはもちろん、日々の生活をアシストしてくださった古城地区のみなさんのおかげです。
おかあさん達の手作り料理はどれも大好物です
プチ移住最終日の夜のこと、古城地区を出発する際に“四万十の両親”的存在のおんちゃん、おかあさんへ挨拶をしにいきました。その際に私はユース流に「いってきます」と挨拶をしました。それは心からまたここに戻って来たいと思ったからです。
もはや私の人生において、高知県はきっても切り離せない存在です。また、必ず高知県に、四万十に帰ってきます。その際にはぜひ「おかえりなさい」と声を掛けていただけると嬉しいです。
手作り料理と山間屋さんのケーキで誕生日をお祝いしました
さて、今後はいなかマガジン初の関東地区在住ライターとして、埼玉のいなか情報を発信していきます。いなかマガジン愛読者のみなさん、高知でお世話になったみなさん、今後とも宜しくおねがいいたします。
とりあえず、ここで一区切りということで・・・
茅吹手沈下橋にて