心想事成(しんそうじせい)
2013/06/19
ことしは空梅雨なのか、雨が降らず
畑山川の水量も随分少ないような気がしています。
とっても蒸し暑く、
三十路を迎えたのに
直ぐにでも川へ飛び込みたい衝動にかられています(-_-;)
そんな欲望を抑えて
川のすぐ近くにある事務所で
一人モクモクと原稿を書いています(笑)
水の流れる音と鳥のさえずりを聴きながら
風が揺らす木々の葉の動きが自然と目に入り
とても心地よい仕事場なので、泳ぐのはもうしばらく先伸ばしに。。。
数ヶ月、いなかパイプの原稿を書く時間がなく
すっかりご無沙汰していましたm(_ _)m
全国放送のテレビ番組で「はたやま夢楽の土佐ジロー」が
30分も紹介されたり、
その後もテレビやラジオ、雑誌の取材があったり
お肉の注文が殺到したのに、
売るお肉が無くて、ひたすら頭を下げていたり
高知新聞への連載がスタートしたり、
自分で企画しているレシピコンテストや婚活イベントの準備が始まったり
畑山温泉へのお客さんがいつもよりは増えたりして…。
と、なんだか分からない状態が続いていた数ヶ月。
慌ただしいけれど、充実した期間でもありました。
特に、島根県の石見銀山から
石見銀山生活文化研究所の松場登美さんを
畑山へお迎えできたことは
私の夢の一つだっただけに
とても嬉しい出来事でした。
登美さんに初めてお会いしたのは
8年前、石見銀山で。
すごく山奥なのに、とてもおしゃれで素敵な空間が
創り出されていることに感動を覚え、
しかも、事業として石見銀山を主に全国展開されて
たくさんの雇用を生み出されていることに衝撃を受けたのを
今でも鮮明に覚えている。
8年前の他郷阿部家の台所。
とても懐かしくなるような居心地の良い空間。
今は宿として運営されている。
今回、登美さんには、
畑山の自然美を気に入ってもらい
私の描く夢を喜んでもらい
次への繋がりも与えてもらいました。
(道は険しいけれど、無数の植物が息づくこの道を登美さんは、羨んでくれた。)
特に大きかったのは「心想事成」という言葉を教えてもらったこと。
「心に強く想うことはきっと叶う」
3年前の6月。
畑山に来ると覚悟を決めた時、
無数のやりたい事、夢が次から次に浮かんできました。
畑山には無限の可能性が秘めていると思いました。
例えば。
土佐ジローを鶏らしく育て続けたい。
土佐ジローの味を本当に求める人に届けたい。
土佐ジローを理解してくれる人と、繋がりたい。
土佐ジローの飼育現場を見てもらいたい。
畑山に遊びに来る回数を増やしてもらいたい。
畑山に若い新規定住者を増やしていきたい。
旧畑山小中学校の古本図書館をもっと楽しく、子どもの集う場所にしたい。
学校のピザ窯、燻製窯を使って、大人も子どもも楽しめる空間を作りたい。
蕎麦をまいて、交流イベントを開きたい。
畑山の自然を生かした句会をやりたい。
自給自足の生活に近づけるよう米や野菜を育てたい。
炭を焼きたい。
アメゴの泳ぐ池を作りたい。
川で遊びたい。
山で遊びたい。
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けれど、自分の時間を作ることが難しいことに
早々に気づくことになりました。
畑山温泉では、食堂も宿泊も受け入れています。
なので、朝起きれば、お客さんの朝食準備。
お客さんを送り出すのが9〜10時。
人数が少なければ、片付けは従業員に任せて
ジローの受注管理や飲食店、卸やさんとの商談、
お昼は食堂に戻って調理・接客、
その後、ジローの仕事、
夕方にはお泊りのお客さんが到着して、夕食。
片付けが終われば10時ごろ、遅ければ深夜…。
お客さんは毎日ではないにしても
週の大半は家に帰れない日々。
去年からは子育ても加わり、
畑に出られる日も減り続けています。
そんな中、描いていた夢を
忘れかけていたことに気づきました。
登美さんに「圭子さんの夢は」と聴かれ
あれもしたい、これもしたい…と夢がぶり返してきました。
一番の大きな夢は
各世代・老若男女のいる集落にしたい
ということ。
50年前の畑山には、老若男女800人が暮らしていました。
今は60人。平均年令は70歳をゆうに超えています。
小松家以外に若い人は見当たりません。
それでも、畑山に住みたい、
はたやま夢楽の仕事をしたい、
と高知から移住した若者が2人。
加えて、私と尚太郎と。
地域おこし協力隊の岡くんと。
これから、もっと増やしていきたい。
昔できたことが今できないということは無いと思います。
昔暮らせたということは、
これからもまだ人が暮らせる地であることに変わりはないと思うのです。
でも、都会と同じ価値観、今までのやり方では
人は集まって来ないと思うのです。
畑山らしい暮らし
畑山の魅力の再発見、追求
はたやま夢楽の土佐ジローが、
25年かけて築きあげてきたものが
その方向性の土台になり得るはずです。
どこにも無い畑山。
畑山らしさを磨いていきたい。
そう思います。
畑山では一人の力の小ささは暮らしてみると痛感させられます。
人の知恵、協力が必要なんです。
いろんな知恵を授けてくれる人だけでなく
畑山で共に汗を流してくれる人の必要さを感じています。
共に夢を語れる、夢を実現していける
仲間の存在を切望しています。
その仲間を得るにはどうすれば良いか。
夢を言葉にすることが一番かも知れない。
そう思うようになりました。
忘れかけていた夢。
もう一度、描き直し、
言葉に出していきたいと思っています。