研修レポート:リーダーとのきき方、話し方 ~中編(2日目・午前)~(2017/10/18-19)

見守る参加者一同

 
 マッピング、テルペン、影舞…と「リーダーとのきき方、話し方」において、“在り方・態度的な要素”を体験した1日目が終わりました。(前編はコチラから)
 
 在り方や態度というと少々伝わりづらいかもしれません。わかりやすく表現すれば「その時その時の感じ方」とも言えるのでしょうか。
 方法というフィルターを通さず、目の前に起きている確かなことを自分自身で感じ、捉えていく。ここに大きなヒントがあるように思います。
 料理に例えると、よほど難しいものでない限りレシピ通りつくればだいたい間違いのない味に仕上がります。一方、その時その時の素材を目の前にして、
 
「でも、こういう状態だったらもしかたらこうしたほうがより美味しくなるかもしれない」
 
という感覚的な部分も同時に失ってしまう可能性、つまりレシピという方法だけに頼らず“逸れていく先にあるもの”を感じとる機会が減ってしまうようなことに似ています。
 
 他者から与えられる手法はあくまで“外から”であり、それが例え素晴らしいものであったとしてもその人自身の“内側”から湧き出ている、感じとっているものと必ずしも一致するとは限りません。
 非構成ワークの醍醐味といえる部分は、場に色がないこと。集まった人たちでキャンパスに絵が描かれ、そして一人一人が色彩を放っていきます。

 
乾杯

 
 宿泊施設につき、「ハ~っ」と一息つく皆さん。夜の懇親会では恒例、地元の方々が作ってくださった郷土料理を囲い、参加者それぞれ親睦を深めながら研修の振り返りや自身の地域のことなどを語り合いました。いやぁ研修の後のお酒は沁みますね!

 

ワーク・PMPミーティング

 
 明くる早朝。再び四万十の山と川に囲まれた研修会場(廃校を利用したシェアオフィス)に皆さん集まりました。
 1日目は「きき方、話し方」の見直し。野球に例えれば、改めて「で、野球って何だっけ?」ということでバットもボールも使わずにグラウンドで駆け回りました。
 2日目はノックや練習試合ような形で研修は進んでいきます。
 
 朝一番に行ったのは「PMPミーティング」。
 PMPとは、「子どもたちに良い教育を受けさせたい」という親が数名集まり自分たちで作っていったことから始まったアメリカ・ロサンゼルスにあるフリースクール「プレイ・マウンテン・プレイス」の略。主体的に子どもが学び、遊べる場として運営されています。
 PMPミーティングとはそのフリースクールで実際行われているもので、これを使って研修は進んでいきました。

 
PMP

 
 特に難しいことはなく、まずはホワイトボードに、
 
「困っていること・気になっていること」
「やりたいこと・知りたいこと」
「分かり合い・何気ない話」
 
という3つの項目を設けます。
 その空白の欄に「書きたい!言いたい!」と思った方は名前を書いてもらいます。そしてだいたい皆さん出揃った後、記入した人はそれについて発言していく。というシンプルなものです。
 
 このミーティングのポイントは、
 
●集まった方、全員が参加すること
●順番は左から「困っていること」「やりたいこと」「分かち合いたい話」
●発言する内容はコト(事柄)でも、気持ち(感情)でもどちらでもよい
●書きたいと思った人が書く。無理にするものではない
●言いたいその内容に適しているであろう項目に「名前だけ」を記入する。複数発言したいことがある場合はその数の分だけ名前を書く。忘れそうになる場合、例えば「体調が良くない」と発言したい場合、「(体)」など名前の後に一字メモをする。
●話をきく人(ファシリテーター)がいる
 
といったところ。
 皆さん思い思いのタイミングでホワイトボードに名前を書きに向かいます。

 
記入

 
「皆の前だしなんか良いことを書かなきゃ、言わなきゃ!」
 
などは特に問いません。その時に感じていることを記すだけ。
 実際に、「困っていること」の欄に「喉がガラガラで全然声が出ない」と書いてくださった方がいましたが、そういった具合です。
 どんな些細な事柄・気持ちでも本人にとってはモノ凄く大事なことであり、また一つの空間を皆で共にする「場」にとってもそれは同様に欠かせないものとなります。
 
 面白いものでこの「声が出ない」方。もう一つ気になることに名前を書いてくださったのですが、ガラガラ声にも関わらず話し出したら止まらないくらいのエネルギーで熱弁し始めました。しかも、一見研修とは特に関係もないように思える「四万十を走る汽車の話」。
 しかしその熱量の高さに皆さん惹きこまれていきます。
 
「予土線が気になる」
「全国でも有数の赤字経営路線だから」
「僕は電車が好き。何とかしたい」
「じゃあ将来買い取ったらいいんじゃないか」
 
と、「えーっ!何の話なのコレ?!」という意外性もあり、ドンドン話は広がりを見せはじめたのです。
 
 推測にしかすぎませんが、もし彼が「声が出ない」と言わなかったら(言いたいと思って言わずに抑えてしまったら)この話はこういった展開にはならなかったのかもしれません。
 まず自身でとどまっている「声が出ない」状態から、皆に発言することでその人の状況が場に発現される。そして本人の中にも「まぁでも言うことはできるのだ」という常態へ繋がっていく。
 それが雪解けのように、つまりキッカケの一つにもなり、続く「汽車の話」がより溢れだしてくる。そんな印象でした。
 
 些細な事柄、何だかわからないけど言いたくなる気持ち。そのホワイトボードに書かれるモノは直接研修に関係あるかどうかは問われません。というよりそれが関係あるかないかなど誰だってわかるはずがないのです。その場で湧き上がってきたものが頼りです。

 
PMP2

 

皆でやりたいことを決めよう!プログラムをつないでいく

 
 では、2日目のプログラムを皆さんが空白のホワイトボードに書いてくださったもので組み上げていきます。
 基本的には「やりたい・知りたいこと」がメインで構築されていきますが、「困っていること・気になっていること」、または「分かち合いたい話」も実はやりたいことに繋がっていたり、その両方だったり色々なパターンもあります。
 
●四万十の地理を知りたい
●コミュニケーションをとる上で、障壁となるものってなんだろう
●地域の物産を知りたい
●色々な方の人生論を聞いてみたい
●みんなの夢を聞いてみたい
●体を温めたい
●教室を使って先生をやってみたい
●「言う」体験
●川原で気分転換
●反対、敵対する人と話をすること
●「言いづらさ」とは何か、話し方学びたい
 
一人一人が書いたそのお話を丁寧にきいていく田中さん
 例えば、「体を温めたい」といった単純なことでも、
 
「常日頃から冷えやすいのだろうか」
「それは、どんなふうに温めたいのか」
 
などその人が感じている、見ている景色を「きくこと」によって、よりやりたいことがどんなものなのか明確になっていきます。
 2日目の研修は約5時間。都合により途中までしか参加出来ない方もいる中、限られた枠組みでどんなふうにプログラムが出来上がっていくか。一つ一つ湧いて出たやりたいことを皆さんと一緒に繋げてつくっていきました。
 
 さらにまとまっていったプログラムは以下のモノ。

 
プログラム

 
●人生論トーク
●「言う、伝える」体験
●みんなの夢「何しとん?」
●教室をつかう
●川原で気分転換
●体を温める
●反対・敵対する人と話をすること
●思っているけど言えない、言わない。どうしたらよいか
●コミュニケーションの障壁とは
 
プログラムを組む際も、四万十の自然のごとく刻一刻と状況は変わっていきます。「川原で」というやりたいことも急遽雨が降り出したため検討し直しました。
 
「教室を使って何かしたい」→「音楽室あるよ」→「音楽やっている参加者の方がいるよ」→「即興で何か音楽のワークできないかな?」→「皆さんがやりたかったらやってみましょう」→「ついでに体も温められそうかな?」→「さっき話していたら温まってきた」→「でも面白そうだからやってみたい!」
 
の流れで急遽「音楽室を使って体を温めよう!」という企画も生まれました。果してどうなるか?!
 
11:15 「言う、伝える」体験ワーク
11:30 「何しとん?」みんなの夢を聞く
12:00 お昼休憩(個人的に知りたいことがあれば空いている時間にトーク)
13:00 音楽室を使って体を温める?!即興音楽セッション
14:00 グループセッション「コミュニケーションについて」
15:30 「参加者お一人お一人の声をきく」クローズセッション
16:00 終了
 
ちなみに、「みんなの夢を聞いてみたい」とやりたいことに書いてくださった方の刻限は12時でした。普通に考えると、準備体操の要素を持った「体を温めるワーク」から始まりそうなものですが、
 
「体を温めてからサヨナラ!っていうのもアレかなぁと思って」
 
と、田中さん。こういった何気ないけどハッする一言でプログラムの立体感、奥行きが変わっていきます。もちろん「体を温めたい」と発言した方のタイミング等もきっちり聞いてのことでした。
 テーマである「きき方、話し方」とは若干逸れるかもしれませんが、このあたりも実は学ぶポイントの一つではないかと感じています。プログラム全体が出来上がっていく風景をどんなふうに眺められるか。その人の視点に立って感じてみる。そんな在り方を田中さんから学びとれたりするのかもしれません。
 
 ご自身が活動する団体の会議にもぜひこのPMPミーティングを用いてみてください。自分の名前を自分で書いて発言する。書かなくともその場にいる。これだけでも会議はグッと中心によったものになっていくのではないでしょうか!

 

「言う・伝える」体験ワーク

 
 「やりたいこと・知りたいこと」の欄に「言う・伝える体験」と書いてくださった池澤さん
 別の角度からも実験的に「きき方・話し方」を感じとってみようとのことで、池澤さん主導のもと、「丹田を意識して、きく、話す」というワークを行いました。
 
 男性ならおへそから約5cm下、そこから5cm内部。女性なら10cm下、そこから10cm内部。そのあたりに「丹田」という箇所が存在するようで、古来より日本の武道などにおいてもこの丹田を意識することはとても重要視されていたそうです。
 
「腹黒い」
「腹が立つ」
「腹を決める」
 
などの言葉が示すように腹(丹田)に何かポイントがあるのでしょうか?
 
 まずブラブラと歩き回り、立ち止まって出会った方同士で二人一組となります。最初は何も意識せずに「朝ここに来るまでの話」を交互に1分間ずつ話し合いました。
 ポイントとしては聞き手と話し手にしっかり分かれること。特に聞く方は質問などは挟まずに耳を傾けていきます。
 普段会話する中で話すほうもそうですが聞くほうも一方的に聞くということはあまりないためか、不慣れな様子も見受けられました。

 
傾聴

 
 何気ない四万十での朝のことをお互い1分ずつ語り終えた皆さん。
 今度は丹田を意識して行います。何だか難しいもののように聞こえますが、違いを感じても感じなくとも構わないので何となく丹田を意識すれば充分効果はあるとのこと。
 
 一度目を閉じていただき、じんわりとその部分を感じてみます。
 では、再び同じことを話し合っていきます。さてどんな違いが生まれたのでしょうか?
 
●若干落ち着きが生まれた
●話の臨場感が高まった
●生き生きとしたものを感じた
 
 「よくわからなかった」「同じ話を2回したので単純に落ち着きが生まれたのかも」という意見も出ましたが、丹田を意識した後のほうが皆さんゆっくり丁寧に話されていた印象がありました。
 個人的な感想を述べれば、体に(丹田に)何となくでも意識を巡らせることでしっかり自意識を保ちながら相手と対面することが出来るなぁと感じました。聞くほうはわからなかったのですが、実際に2回目のほうが話しやすいという感覚がありました。
 
「腹を据え、腹を割って、腹に収める」
 
日本人にとっての「腹」。切腹など今の時代にはとても考えられませんが、その言葉からするに昔の人々は今を生きる私たちよりもずっと「腹に覚悟を決めて」目上の人と対面していたのではないか、と想像してしまいます。
 ですので、しっかり相手と向き合いたい時にそれはとても大事な身体感覚なるのではないか。と改めて考えさせられるワークとなりました。

 
良子さん

 

「夢。それは生き方という果て方」人の底にある想いをきいてみる

 
 と、そうこうしているうちに一区切りの12時が迫ってきます。

「残り時間的にもそうですが、皆の夢を聞きたいと書いてくださった方自身の夢が聞いてみたい」

という提案があり、「今皆なにしとん?それで皆の夢も聞きたい」は「その方の夢を聞きたい」に生まれ変わりました。
 円になり、皆でじっくりその方の言葉に耳を傾けていきます。
 
「今は農業で生計をたてているけど、野菜と交換でお金をいただくようなものではなく、お金を関係なしにして生活したいのが夢」
「諸先輩方には怒られるかもしれんけど、60歳ぐらいになったらお金関係なしに、ヨーロッパが好きなので古城とか道とかを修復作業のような、いつ終わるかわからへんけど人生の中でそういったところに参加していってみたい。夢というか生き方として、あんまりお金関係なしにやっていける生き方をしたい」
 
と、ゆっくりご自身の夢を語り始めます。
 
「そんなことを思っていらっしゃったのですか?!という想いで、そのお話を聞くのと聞かないのとで印象が全然違ってくるなぁとお聴きしていました」
 
と池澤さん。
 確かに、表情なども含めて柔らかさを帯び、これまでご一緒してきた印象とはまた違った一面を垣間見た気がしました。
 
 話は今ご自身が携わっている仕事へと展開していきます。
 
「『農業で頑張りたいんです!』でもやめていってしまう若者の話をどうやって聞けばよいのか」
「実現できないけど夢なのか、それとも実現するための夢なのか。『農業で頑張りたい!』という言葉はどっちの意味合いを持っているのか」
「『こいつホンマ農業やりたいんかなぁ』と感じることがある」
「一方で地域と関わったり、農に触れたり『農業ってこんなに大変なんだなぁ』とわかってくれるだけでもいいという想いもある」
 
新規就農者を受け入れる中でそんな気持ちも生まれてくるようです。
 しかし、「それは二つあるようにきこえます(相反する想いが)」と田中さん。
 
「2番手を自分の代わりに上手いことつくったりする人もおります」
「その一方でそういう人は手に入らないという考えに立つ人もおるし、巣立っていくもんでもあるんです」
 
その方が二つの世界両方を見てきたからこそ生まれる価値観。そこにご自身の想いとの共存が混ざり合い、今後の就農者との関わり方を模索していらっしゃるようにも感じました。
 
「それに、田舎は1回失敗したら立ち直られへん。都会では人に紛れてやり直しはききやすいかもしれん」
 
少し間をおいて、
 
「――居場所的な軸がその人その人にあるんかなぁ」
 
住んでいく、生きていく“居場所”という言葉が浮き出てきました。
 「居場所的な、とは…?」と池澤さんが訪ねます。
 
「選択肢が多い大都市、それに比べた田舎。あと、人の多い少ない集落において役割の負担度合いが違うこともある。都会では人が多くゴミ当番すらないけど、田舎には生きるってことに介して地方に行けば行くほど役割が増えてくる」
 
その方は途中に何度か「なんだか取りとめもない話ですいません」とおっしゃっていましたが、何かと何かが底のほうで繋がっているような、そんなものを感じずにはいられません。
 
「関心でまくりです。道を修復したい話、意外でビックリしました。農業で最後まで食っていきたい方なのかと思っていたからです」
「修復というのは直していく、元あったモノの姿を取り戻していくようなこと。どんな経緯でそれが夢になっていったんだろうなぁと」
 
と田中さん。
 その方はその言葉を受け、「ああーっ」というパッと明るい声をもらし話は続きます。
 
「学生の時に国際ワークキャンプという、全世界の学生が過疎地やお寺などに集まってプロジェクトをするものに参加し色々なところに行ったんです」
「これいいなぁっていう感じがあって。家族みたいにお互いの国を行き来したり。そんなんがキッカケかなぁ。考えずにできる、いや損得抜きにしてできることなんかなぁ」
「それと、もともと農家ではないし、ずっとやれるんかなぁというのもある。個人的に農業が人口知能に取って代わってやる仕事になったら、あんまり面白い仕事ではなくなるんかなぁと思う」
 
と、その夢に至っていく経緯を話してくださいました。

 
聡さん

 
「改めて見渡したときに将来の暗さというか『ほんまにこれでええんかなぁ』というところがあって、その道の中でもともと学生の頃からやっていた関わり、活動から修復ということが夢として見えるわけですね」
 
田中さんはこれまでの話からその方が夢に至った全体像をつないでいき、その認識がズレていないか確認しました。
 
「今の仕事もそうだけど、短期間で成果がみえるモノなんで、修復でいうとガウディのファミリア教会なんてまだまだつくっとる。終わりのないものをやってみたいなぁっていうのはあるかもしれませんね」
 
キーンコーンカーンコーン。と、チャイムが響き渡り、ここでちょうど12時になりました。
 
 田中さんは「言うと無粋になるけども、一応研修なので」と一言挟み、
 
「ここまで10分程度語りおろしていただき、人生の一端に触れたような感覚があります。こんなことを考え、こんなことを過ごしながら生きてこられたんだなぁと。本当にロマンを感じました」
「わずかな時間でも関わり、触れ合いが出来るんだなぁと何回も思いました。そしてこういったことを現場でもやってみたい、というのが僕の試みでもあります。ありがとうございました」
 
と、締めくくりました。その場にいた方それぞれに受け取り方はもちろん違ったと思いますが、と添えて。
 
 そして、最後にその方がお帰りになる前に何かこれだけは伝えたいという方はいますか?という池澤さんのアナウンスを受けて、ある一人の女性の参加者の方が、
 
「修復という、『自分の人生一つでやりきれないことにロマンを感じる』というのは自分も一緒のものを感じる。宇宙のような、果てがみえないことにロマンを感じるのがスゴくわかりました」
「自分は林業にスゴく興味があって、それはスパンの長い仕事で自分一人の人生ではちょっとやりきれないことだと思っています。なんだか似ているなぁというかとても共感できました」
 
と、語ってくださいました。

 
四万十

 
 全部を書くわけにはいかず途中カットしてる部分はもちろんあるのですが、この10分間に起きた出来事をなるべく正確につづりました。
 一見何でもない話のように思えるかもしれません。でもよくよく聞いていくと様々なことが繋がってその場に現れているような気がしました。
 
「関係ないことなんて一つもないなぁ」
 
と、田中さんがおっしゃっていたように、私自身改めて録音したモノを聞き直してレポートを書いているとその時は見えてこなかった発見、景色がたくさんあることに気がつきます。
 
人に聞いてみたかったこと、それは自分にも聞いてみたかったことではないか。
自身の夢と自身が携わる仕事でおこる、ズレ。
住んでいく、生きていく、そして死んでいく居場所。
お金、役割、自分の考え…。損得をこえたこと。
道の修復。終わりのない、果てがないものに感じるロマン――。
 
農作物が育っていく過程も春夏秋冬、1年を通してみると長いスパンのように感じますが、さらに果てのないものにロマン馳せる。それはご自身の果ての姿と果てのないものを重ねているのでしょうか。
 自分の根底にある「夢」という「生き方」。生まれを種とし夢の根源が根とすると、育っていく幹は今。そして実りは果て。果実、幹、根っこ、そして種と辿っていく時に人はまた自身の夢、生き方を再確認していくものなのかもしれません。
 そしてそれに共感、共鳴する人。その深い底の想いに出会うと、それはほんの10分という短い時間であっても人と人は通じ合ってしまうものなのでしょうか。
 
 ここまで人の話をじっくり「きく」ことが出来たら、リーダーとの会話ももしかしたら違ったものになるのかもしれませんね。

 
音楽

 
 と、またまた長くなってしまいましたので、前編後編予定でしたが中編とします!
 後編は、分かり合いを超えた溶け合い?!「音楽室を使って体を温める?!即興音楽セッション」。
 そして本題、「リーダーとのきき方、話し方」とは何か?円坐を用いたグループセッション「コミュニケーションについて」をレポート予定です。
 
 長いなぁ…と思わず!お付き合い頂けたらこの上なき幸せであります。
 
 後編(2日目・午後)へつづく
 ※前編(1日目)はコチラから
 
(レポート作成 寺嶋紀人