「地域を活性化する」という仕事とは
- 執筆者 佐々倉玲於
- 所 属一般社団法人いなかパイプ
2012/07/15
みなさま、こんにちは!レオっす!
自分が思うがままに、好きな文章を書く。
僕が最も不得意で、めちゃめちゃ時間がかかるので、嫌な作業。
でも、「いなかに暮らす人に、1ヶ月1回文章を書いてもらうようにお願いして、30人協力してくれる人がおったら、毎日日替わりで1年間、いなかのリアル現状が情報発信できるやん!」
と言ってしまったのは、僕でして・・・
「いなかマガジン」の企画が、30名を越えるいなかに暮らすたくさんの仲間の協力を得られ、スタートできている現状があります。感謝!!
そこで、みんなが書いているのに僕が書かないわけにはいかず・・・
今日は、僕の番。
書きますよ、書きますよ!
こうやって書くのも、そう、沖縄におったときに、団体のサイトをリニューアルするということで、メンバーそれぞれで書いたのを思い出す。
何を書いたか。まずは字数稼ぎに、コピペ。
▲沖縄・那覇の商店街の入り口。祭りのあと。
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「まち」と「まちわく」と「私」
佐々倉 玲於
「地域が活性化した状態とは?」その答えを体感したくて、活動しているかもしれない。
「地域活性化」「商店街活性化」など「活性化!」「活性化!!」と、気軽に使われるこの言葉。この言葉を発している人たちは、どういう状態になることを求めているのだろうか?
人がたくさん来るようになること?人口が増えること?儲かること?景気がよくなること? 「活性化している状態」が、明確にイメージできているのであれば、その戦略も考えやすいのだろうけれど、そこが共有されていないことが多いのではないかなと思う。
▲学生時代の仲間たち
学生当時、自分なりに「地域が活性化した状態」を定義したことがある。
その定義はこうだ「ある地域に、自分が『本当にやりたいこと』をやりながら、『活き活き』メシを食って『生きて』いけている人がワイワイたくさんいる状態」。
逆に、何か社会的、個人的な制約があって、自分が本当にやりたい仕事や活動、生活ができず、今の暮らしややっていることに満足できず、やりがいも充実感、生きがいも感じられない。さらに、飯を食っていくこともままならない、死活問題が起こっている。つまり、自らの生活が脅かされている状態。こういう人がたくさんいる地域は、ヤバイでしょう!病んでいる!!
でも、「活性化を!」という言葉が出てくる地域は、程度の差こそあれ、自らの生活が何らかの原因によって脅かされている人が多いということなのだと思う。
▲学生のとき最初に立ち上げた団体その名も「地域活性化協力隊」が新聞にとりあげられた
では、「地域が活性化した状態」を誰がつくることができるのか?
それは「その地域に暮らす人自身でしかできない」というのが自論である。「この地域、なんとかしなければ!」という想いを持った人が動き出さないことには始まらない。そして、そういう人が1人でも動き始めたなら、そういう人を応援したい、サポートしたい。
それが私自身のやりたいことでもある。
その「サポート」は、例えその地域に暮らす人間でなくても、その地域に愛着を持っていなくてもできる。「地域」という「土地」ではなく、そこに暮らす「人」の考えや想い、行動に共感できるから「サポート」もできるし「サポートしたい!」と思う。
▲まちなか研究所わくわくの仲間
まちなか研究所わくわくは、「組織」という仕組みを使ってその地域に暮らす人々の「サポート」ができる。つまり、私個人がやりたいことも実現ができる。だから、この「組織」で活動するのだ。
まちなか研究所わくわくは、一般的な「病院」のように身体的な「病」を治療することはできないが、地域に暮らす人々が抱えた「病」と一緒に闘う「診療所」「病院」みたいなものだと思う。私自身は、そんな診療所で働く「まち医者」だと思っている。これからより一層経験を積んで、地域の人々に親しまれる立派な「まち医者」になりたい。
※「まちなか研究所わくわく」http://www.machiwaku.com/ 通称「まちわく」は、10年前に沖縄で立ち上げたNPO法人。
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今読み返して、恥ずかしい気もするけれど、昔と想いは変わらない。
「まちなか研究所わくわく」という部分を、今の団体「いなかパイプ」にして、「まち」を「むら」とか「いなか」に変えたら、自分の言いたいことを十分言い当てていると思う。
沖縄・那覇の大都会から住まいを移して、今は、高知・四万十の中山間地域の山の中に住んでいるけれど、僕が接しているのは「地域コミュニティ」「地域共同体」であることに代わりはなく、それらが抱える課題はほとんど変わらないと思える。
この課題に立ち向かうために地域の人たちと一緒に考え解決していく。
課題を解決した先に「活性化!」があるのだろうけれど、「課題」はそう簡単には解決できるような代物ではなく、10年くらいたって振り返ってやっと解決したかも~と思うけど、そのころには、次の「課題」は現れていて、地域の人たちは、次の「活性化!」に向けて動き出している。
だから、地域課題は永遠に存在して、「活性化!」に向けて永遠に取組みを続けることになる。で、それが「地域づくり」「むらづくり」「まちづくり」というものなんだと思う。
インターンシップに来る若者に多いのが「活性化に関わりたい」「活性化につながる仕事をしたい」という参加動機。
「わかる!」でもね「活性化につながらない仕事はないよ」「あなたの思う活性化ってどういう状態?」「海・山・川フィールドはどこでもいいの?」・・・どんどん突っ込んでしまい、「もっと深く考えようぜ」って言いたくなる。
でもでも、そこは実体験なく考えても、理解しにくいことも「わかる!僕もそうやった!!」ので、考えを深めるために、まず自分でやってみて感じとるしかないだろうなと思う。
「活性化とは何なのか」「自分がやりたいことは何なのか」そんな問いを自分自身に問いながら、インターンシップなどを活用して「いなか」での体験、地域コミュニティに関わる体験を1ヶ月もすれば見えてくるものがあると思う。
楽しいことも、やりがいがあることも、そんな簡単にはいかないことも、時間がかかることも・・・ それがなんとなく見えてきて、じゃぁ次に、自分はやはりそっちの道に進むのか、やっぱりそんな大変なことはできんと思って方向転換するのか・・・
▲僕の実家がある高知の西の端・大月町安満地
僕は、こんな田舎の漁村に生まれ育った。
けれど、うちも例に漏れず過疎・高齢化・少子化で、自分が卒業した小学校は5年前くらいに休校になり、20年後、30年後この集落はあるのか、と問われたならばわからない状況がある。
そんな状況があるのに、地域づくりに関わっている者として何もしないわけにはいかない。結果として、自分が生まれ育った集落がなくなったとしても、「僕は、やるだけのことはやった」と言いきれるだけのことをやりつくしてそのときを迎えたい。
僕はこう思うので、他の地域に同じ想いで動いている人に出会うと共感するし、応援したくなるし、自分も関わりたくなってくる。そうやって僕のフィールドは広がっている状況がある。
今のこの動きは、将来必ず、自分が生まれ育った地域に役に立つ。今は、直接的にどれだけ役に立っているかと問われると、まだあまり役に立っていないかもしれんけど、将来必ず役に立つという確信が、なぜかある。
自分が生まれ育った集落が生き残っていくためには、その周辺の地域も生き残っていないといけないわけで、市町村などの行政区域は、あんまり関係ないかなと思っていて高知の西、四国の西をなんとかする!というくらいのエリア感で思っている。
10年後、どんな変化が、地域に起こっているのか、自分に起こっているのか。どんな風景が、地域に残っているのか。楽しみに思いながら、その成果をひっそりと体感できるように、地道な仕事を地域の人たちや仲間たちと一緒に、毎日やっていくわけです。
ここまで書いてみて、わかったような、わからないような文章ですね、相変わらずすみません。文章を書くのが苦手なもので・・・。でも、僕は、自分の仕事について毎月書いていくようにしようと思います。なんだか何をやっているのかよくわからない僕の仕事。儲かってるのか、儲かってないのか?! 書いていく中で、あぁそういう仕事ね~とみんなにイメージしてもらえるようになったらいいのかもしれない!ということで、これから引き続き、どうぞよろしくお願いします!!