はじめての航海(後悔)

2012/08/17

みなさま、はじめまして!!
「ど久礼もん(どくれもん)」の清岡(きよおか)という者です。

 

「ど久礼もん」とは、会社の名前で
正式には、「企画・ど久礼もん企業組合」と言います。

 

高知県西部にある中土佐町久礼(なかとさちょうくれ)という小さな漁師町で
地場産品を使った商品開発や販売、中心商店街の活性化事業などなど
元気に活動しています。

 

中土佐町久礼は、
高知県西部にあり、「カツオの一本釣り」で栄えた潮の香りが漂う小さな漁師町
2011年に日本で初めて「漁師町」として重要文化的景観に選定されました

 

久礼全体
大人気の温泉施設

 


夫の釣ってきた魚で干物をつくる奥さんの写真

 


明治時代に魚や野菜などの物々交換から始まったとされる昔の風情たっぷりの「大正町市場」

 

と、まぁこのマガジンで、
生まれ育った地元のことを紹介できればなぁ~と考えておりますが・・・

 

なにぶん、文章を書くのが大の苦手でありまして、今回は、一番書きやすい「自分の体験談」を
思うがままに書かせていただきます。

 

生まれも育ちも中土佐町久礼
一度は中土佐町を離れ、サラリーマンをしておりましたが
またUターンで戻ってきたのはこの体験があってこそ

 

最後まで読んでいただければ幸いです。
よろしくお願いします。

 

【はじまり】

私の親父はカツオの一本釣り漁師です。


鰹の一本釣り 大型船の様子。

 

昔から当たり前のように海や魚、船を見て育ちました。
勉強が好きではなかった(得意ではなかった)ので17歳で高校を中退、
親父とともに船に乗ることにしました。

 

親父の船の名前は「盛漁丸(せいりょうまる)」。
カツオ船の中でも小型にあたる船で、親父と私を含めて6~7名で操業。
カツオの餌(生きたイワシ)を入れ、その餌、又は人間の餌がなくなるまで
海の上でカツオを探し続ける日々

 

期間にして1航海、2日~3日程度
主に、久礼の港を拠点に2月~8月ごろまで航海(カツオを追いかける)を続けます。

 

初めての仕事が漁師(カツオの一本釣り)。

 

学生経験しかなく、親の収入で人生を謳歌していた私に「罪と罰」の意識を与えるには
十分な仕事でした。

 

私が漁師デビューしたのは、少し肌寒い春先

 

―3月末 夜10時―
「盛漁丸」出港準備
買ったばかりのピカピカの長靴をはき、手さげ袋に数日分の着替えを持って船に乗り込む。
真っ暗な船に明かりをつけ、機械のセルを回すと、エンジン音が大きく鳴り響く。

 

家が港の近くで、生まれたときからこの音に馴染みがあり、一人前の働く男になった気分に酔
いしれたことを今でも覚えています。

 

「俺は今日から船乗りだ~!」なんて、気合いを入れている間に船はあっさりと岸壁から遠ざかり

 


久礼の港から出航する漁船

 

しばらく船のトモ(後ろ)で、久礼の町の明かりをボーっとみて
思っていたより不安や嫌な思いはなく、むしろ明日からの仕事を楽しみにして就寝

 

―翌日 午前4時ごろ―

 

地獄がやってきた。

船酔い。
船に酔うと書いて「ふ・な・よ・い」。

 

なんとなく気持ちが悪い感じがして目を覚ますと
大きく揺れる、狭くて、臭くて、うるさい寝床にいる自分?

 

(自分)「なんじゃこりゃ~ここどこ?」

 

少しして現状を理解する。気持ちが悪い。
とにかく、寝床の外に。といっても、船の上。船は海の上。

 

空は少し明るみ
まわりをみると、360度、水平線。(まったく島らしいものが見当たらない)

 

走っている船の風にあたりながら
「いかん、頭痛もしてきた」
「帰りたい」
「揺れのないところで横になりたい」
考えれば考えるほど、どうしようもない状況であることに気がつく。

 

船の上で数時間、漁場を目指して進んでいる。

 

漁師のおんちゃんらぁ(おじさん達)は生活をかけて船に乗っている。
自分の都合で、カツオを釣らずして、引き返すわけにはいかない。

 

しばらくして、親父や他の漁師のおんちゃんらぁが起きてきた。

 

(漁師A)「こうじ(私の名前)。おはよう!!早起きやねや!!」
(漁師B)「お母ちゃんが恋しゅうなっちゅうがやないか(笑)」
(漁師C)「船に酔うちゅうにや。しんどいろうが。学校におったほうが良かったろうが(笑)」
(自分)「・・・」
(親父)「そんなに気持ち悪いがやったら、仕事はえいき、少し休んじょれ!」
(自分)「・・・!?」

 


親子でウルメ漁などを営む竹下さん
少し休む!?どこで???

 

船の上にいるかぎり、この揺れを回避する場所なんてない。
つまり、どこにも休む場所なんかないやんか~~!!

 

と、心の中で叫んだことを覚えてます。
さらに、「早く帰りた~い!!」「お母ちゃ~ん!!」なんてことを
小声で連呼していた記憶もあります。

 

学生時代の自分がいかに恵まれていたのか、大いに反省しました。
しかし、いくら反省しても、時間は戻らず。船も港に戻るわけもなく・・・。

 

さらに、このときは不漁で平均2~3日の航海に対して、7日間沖を漂流しました。
自分の記憶の中では、数カ月間、漂流していたような・・・。

 

食事に関しては、初日は全くのどを通らず、2日目からもお腹は減るものの
食べては「○×□~(リバース)」の繰り返し、
みんなが楽しそうに晩酌をしているのを見るだけで
「○×□~(リバース)」の状態でした。

 

そんなこんなで
初めての航海(後悔)は、カツオを釣るどころか・・・船酔いとの死闘が全てでした。

 

そして・・・ついにその時はきた!!

 

待ちに待った帰港。

 

―帰港前日 夕暮れ時―
親父から「明日は久礼に帰るぞ~」っと神様のような声。

 

このときは、大漁で帰港というよりは、
人間の食糧が底をつき始めたので帰港という感じだったので、
実際の親父の声は神様というより悪魔のような不機嫌な声だったはずですが

 

自分にとって、待ちに待った帰港。
喜びのあまり、不機嫌な親父の声も神様のような神々しい声に聞こえました。

 

―久礼に帰港 午前2:00―
船を岸壁につけると、すぐさまジャーンプ。
そのまま、地面に横たわり、ゴロゴロごろごろ~。

 


岸壁で船の帰りを待ちわびる奥さんと子供。

 

あ~生きてて良かった。

 

地面があるのがこんなに幸せなことなんて。
さ~、早く家に帰って、ゆっくりお風呂に入って、
揺れない、広々としたなあったかい布団で眠ろう!!
なんて、ごろごろしながら幸せを噛みしめていたら・・・

 

親父から「今日は船で寝るがぞ」っと一言ぼそり。

 

「・・・えっ!?」]

 

なにゆえ?
家はすぐ近く。
ここは陸地。
その気になれば逆立ちしてでも家まで帰れる距離。
親父!?まさか、お母ちゃんと喧嘩でもなさったので?
なんて、バカなことを考えていると、

 

(親父)「もう夜中で、お母ちゃんも寝ゆうし、
お母ちゃんには朝5:30から水揚げを手伝いに来てもらわんといかんき、ゆっくり寝らいちゃい。
それに、今から家に帰っても寝るだけやき、船で寝たほうが楽やろうが」

 

確かに親父が正論であった・・・が、今振り返ると恥ずかしいことだが、このときの私は、
(自分)「やだやだやだやだ・・・ぜっ~~たい、やだ~~~」

 

17歳春。まさかの幼児返り。

 

そのまま、走って家に帰り、ピンポンの連打。しばらくして出てきた母親の顔も、天女様のように見えて

 

(自分)「お母ちゃ~ん。ただいま(満面の笑顔)」

 

すぐに、お風呂に入って何度心の中で呟いただろう(生きてて良かった)。
そして、少しの仮眠を取るために、お布団へ。

 

「・・・!?」

 

まさか・・・この感じは?
そう、この数日間、しっかりと味わったことのある感覚。

 

頭が痛く、口から内臓が出そうな感覚。目を閉じても、体が揺れている。
ここは、陸の上。まさか・・・。

 

しかも、数日間耳に入ってきていた雑音(エンジン音)がなく静かなので
よけいに、自分の感覚が研ぎ澄まされる。

 

結局、船の上で過ごした感覚(体の揺れ、気持ち悪さ)が抜けず朝まで、眠れず「○×□~」の状態でした。

 

―そして翌朝 朝5:30―
船にもどり、カツオの水揚げそのまま、船は漁場(太平洋)へ向かうことに・・・

 

僕の2航海(後悔)目が始まった。
【おしまい】

 


船からみた船。

 

【追記】
この体験談を書きながら、久しぶりに20年前の自分を思い出していました。
この当時
・揺れない地面。
・雨でも濡れずに座ってご飯が食べられること。
・寝返りができる布団
などで、幸せを感じることができていた事それが、今では当たり前の感覚になっている自分に気が付きました。

 

「初心忘るべからず」と昔の人はイイことを言ってくれてますね。

 

また、改めて、漁師さんが命がけで釣った魚のありがたみを感じながら、これからも地元久礼
に少しでも貢献できるよう再度決意をしました。

 

ありがとう。船酔い。

 


漁師が井戸端会議をする場所で海をながめる末喜おんちゃん。

 

私のお気に入りの場所。

 

 

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