久礼八幡宮大祭
2012/09/04
いなかマガジンをご覧のみなさま、こんにちは。 まだまだ暑いですね、川村かおりです。
さて、私の住んでいるところ、中土佐町久礼ですが。
漁師町、海もすぐ近く、日中はまだまだめっちゃ暑いです。
が、前回もチラッと紹介しましたが、住んでいるところは”郷(ごう)”でして。 私の職場のある大正町市場からは家まで自転車で10分くらい。
中土佐町近辺では、”大坂の桜並木”で有名?な桜並木が途切れたあたりです。
職場周辺の仲の良いおじさんとか某カフェ・ド・クレモンの店長とかからは”田舎”とか呼ばれてます。
いやいや全部田舎じゃん!と叫びたくもなりますが。
おかげさまで大正町市場周辺、中土佐町の中心商業地域のコンクリートジャングルよりかは、住んでるところは涼しいっす。緑っていいよね。
特に家の中はわりと日中でも。 作りが超むかし風だからだと思います。 傾きかけてますけどね、ビー玉超スピードでころがりまくり。
と、たわいもない挨拶はこの辺で、本日は9月29・30日に行われる、高知の三大祭り、”久礼八幡宮大祭”のご案内、ご紹介をします。
このお祭りの歴史、始りとか、そういったなんか評論家っぽい本格的な紹介とか案内ではなく、あくまで私が目の当たりにした久礼八幡宮大祭を書こうと思いますので、気楽にお読みください。
私が嫁いでからですね、姑がことあるごとに言うのに、もうすぐ久礼八(くれはち・久礼八幡宮大祭のこと)があるからね、うちが当家(とうや)で大変やきね、と。
あたしはさっぱり???なんのことかわからなかったので、割と気楽にスルーしていたのですが、嫁いできて2年ほどして、うちがその当家となる久礼八がやってきました。
お祭りは旧暦の中秋の名月の頃です。 その年も今年と同じくらいで、9月の終わりか10月の頭、割と涼しくなってからお祭りがありました。
でも、準備は1年前からすでに始まっており、毎年お祭り本番前から”お神楽(かぐら)”を町内の集落ごとに順番で八幡様にて行われ、そのころに次の年の当家が
「来年はお宅が当家ですから受けてくれますね?」的な儀式があったりしました。
「久礼八の当家」というのは神様のいる土地の地主で、町内に18戸あります。 当家から大松明(だいたいまつ)を出し、八幡様に納めます。
当家のある集落の住民がみんなで、直径40~50cm、長さ4~6mの松明を作ります。重さは1tくらい。
男手で松明を作り、女手で賄いを作る。 お祭り当日は、明け方に八幡様に到着するように時間をみながら、太夫さんやら総代?さんなどが当家へ来て神様にお祈りします。
松明に火を付け、太鼓がドンドン打ち鳴らされ、町内を大勢の担ぎ手(当家のある集落の人たち)で運びます。
行列は一番前に袴姿の当家の主やら大榊を担ぐ人、小松明を担ぐ人、などそれぞれ神事に係る人など大勢から成ります。
奥さん連中は、行列で落ちた松明の燃えカスを行列の周りで拾ったり、燃えすぎるのを防ぐために水をもって付いて歩いたり、
休憩のときに行列の人たちにお茶をくばったりとサポートをしています。
明け方4時くらいですかね、八幡様に到着し、いよいよ松明を納めます。がっ!
”納める”っていうとなんか神々しい、神聖な感じがするじゃないですか。明け方のだるま朝日を背に静かにみんなで神様に松明をささげる・・・みたいな。
私が悪かった、”納める”って書いた私が悪かった。言いなおします、見た感じのとおり、見たままを話します。脚色なしに。
松明を境内(神殿?)に放り込むんです!しかも火のついたまま!
境内に放り込んで外に放り出し、また放り込んで放り出し、を数回くりかえし、最後に境内から放り出したとき、松明がバラバラになり、
お祭りを見ていた人たちはそれをこぞって拾います。 餅投げばりに!
この燃えカスを拾うと1年の無病息災を得られるという言い伝えがあるらしいです。
いやーすごい、拾いこそしませんでしたが目の当たりにしました、その様子を。
行列の先頭付近をはかま姿で歩いてた夫と平行に、私も道の端っこを邪魔にならないよう付き添って歩いて参加したんですけどね、当時。
途中、酔っ払いに、その酔っ払いの古女房に間違われ、飛び蹴りとか喰らいましたけどね、えぇ。
(何でも自分の女房がよその男(うちの夫)にお茶なんか差し出してイチャイチャしやがって的な誤解らしいですけどフザケンナですけど)
松明行列の周りではお酒片手にそういった酔っ払いの人も見てるし、町内の集落から太鼓も出て、いわゆる喧嘩太鼓で、ウリャーオリャーコリャー叫びながら
太鼓をぶつけ合ってまして、そのうちマジの喧嘩になってたりもして・・・ これは久礼八に限らず、祭りは男の血が騒ぐんでしょうか。
お祭りもピークの頃、境内の横で松明の神事を一通り見ていてハタと気付いたことがありました。
久礼八というのは神様の結婚式らしいんですよ。 八幡様が女の神様、当家が男の神様だとか。
松明の出し入れて!まさに!(ここから先は言わんとしていることをわかっていただきたい!)
お祭りの観客が松明の燃えカスをきれいさっぱり拾って帰ってしまうと、今度は行列に参加した人たちと太夫さんたちと境内で神聖な行事が始まります。
太鼓や鈴の音に合わせて巫女さんが踊って、太夫さんがお祈りしている。
その日の神事が全て終わるころには夜も明けきって朝になっています。
夜通し行われてた神事なので、家に帰り着くと同時に眠りこけましたが、その晩は花火と夜店。
次の日、昼間に”おなばれ”という神事が行われます。
”おなばれ”は神様同士の新婚旅行の意味があるそうです←これは太夫さんに聞いたので確かです。
八幡様前の浜へお神輿を出し、海の前で玉ぐしを捧げ、巫女さんが舞います。
天狗の踊りとか少年たちの踊り、獅子舞もこの”おなばれ”で行われます。
おなばれが終わってお祭りも終了。 当家の役目も一応その年は終りなのですが、次の年は大松明を迎えに、次の当家へ小松明を持って行列に参加します。
久礼八のお祭りはこうして年々、次の年の当家へ継がれてゆくって感じで続いていくのですが、お祭りの雰囲気は伝わったでしょうか。
さて、今年の久礼八ですが。
夜通し行われる、これぞ男の祭り!大松明の行列は、28日の夜中(日付は29日になってるかも?)当家を出発します。
神様の新婚ご旅行”おなばれ”は、30日の昼間です。
当家の場所はここ、
おなばれは八幡様から前の浜辺まで続いていきます。
ぜひ、見に来てみてください。
久礼八をそばで見て、姑の言ってた「当家は大変」というのをこれでもかと実感できました。
皆さんも酔っ払いには注意ですよ(*^ー゚)b(そうじゃない)
※今回の写真は”ぶらり大野見四万十川”ブログの管理人、せいさんから拝借しています。
せいさんはアマチュアカメラマンですが、商店街にあるいっぷく小屋にて現在展示している中土佐町の文化的景観の写真は、ほとんどがせいさんの撮ったものです。
文化的景観のパンフレット、ポスターもせいさんが作りました。