馬路村の年の瀬
2013/12/30
- 執筆者 本澤侑季
- 所 属馬路村農協
今年も無事に、ゆずの収穫を終えました。
農協のゆずの集荷は10月21日から12月2日まででしたが、今年は寒くなるのが遅れたせいか、ゆずの色づきが遅く、ゆず農家さんたちは1カ月ちょっとの間に収穫を終えなければなりませんでした。
馬路村では、ゆずを専業にしている人はほとんどいません。
多くの人が村の職場で働きながら、親や先祖から引き継いだゆず畑でゆずを育てています。なので、平日仕事がある人にとってはゆずの収穫ができるのは週末のみ。色づきの最盛期には、猫の手も借りたいほど大忙しです。
といっても、実際は70歳代が現役バリバリでゆずを育てているので、専業ともとれますが。
今の現役世代(65歳以上)も、昔は仕事とゆずの両立に大忙しで、退職してようやっと、ゆずに専念できるようになったという声をよく聞きます。
ゆずに専念できるようになっても、やっぱり収穫期は大忙し。夫婦だけでは間に合わず、週末には街に住む子どもや孫、県外から親戚が手伝いに来る家も結構あります。人の助けも借りながら、励まし合いながら、ゆずの収穫を終えることができます。
ゆずの収穫を終えると、各家庭で決まって見られる光景があります。
『ゆの酢』搾りです。
『ゆの酢』とは、ゆずを搾った果汁のことで、村では『ゆの酢』とか『いの酢』と呼ばれて各家庭に常備されています。このゆの酢が、田舎ずしや五目ずしの酢飯や酢のもの、刺身、焼き魚、鍋…などに年中活躍してくれるのです。
ゆずにも出荷基準があり、大きさが満たないものや、ゆずのトゲで傷んでしまったもの、規定以上に器量の悪いものは出荷に出せません。けれど、味は上出来。ハネのゆずは家庭用のゆの酢として搾ります。
この時期は庭先からゆずのいい香りがぷ~んと漂ってきます。
ゆず玉を拭いて、1つ1つ手搾りです。
『畑があっちこっち多うて難儀したけんど、親戚が手伝いに来てくれてなんとか終わったがよ。』
よしこさんくの畑は、20kmさらに山奥へ入ったところにもあり、収穫にひと苦労です。
『無事終わったき、お世話になった人らぁにゆの酢を渡そう思うてねぇ。』
ゆずの収穫が終わると感謝の気持ちとして、ゆの酢を贈ります。
こっちの庭先からもゆずの香りが漂ってきました。
『昨日でなんとか終わったき、いとこらぁに送る分を搾りゆう。毎年喜んでくれるがよ。』
1つ1つのゆず玉に切れ目を入れてから搾っていきます。
『この搾り方じゃぁないと、板前の知り合いに味が変わった言われるきねぇ。』
『まぁ、ゆずがお歳暮みたいなもんよねぇ。』
ゆずの収穫を終えると、自然と『ありがとう』の気持ちが湧いてくるようです。
収穫が終わると、村の恒例行事、熊野神社の神祭があります。
村の若いしの担ぐ神輿が、神社の境内から村内を練り歩きます。
恒例の川渡り。
『ひやい!ひやいー!』と叫びながら、皆が見守るなか果敢に川へ入ります。
1年の健康を祈って、神輿をくぐります。
神輿がお宮に戻って来た時にはみんなへとへと。
周りをついて歩くおんちゃんたちは、
『昔は神輿を担げるちゅうことは、そりゃあ名誉なことやった。』
『おららぁが若い時はもっと気合いがあったぞー。今の若いしは。』
と、言いつつも嬉しそう。
若者に少しずつ伝統が引き継がれていきます。
そして、神祭といえばお決まりなのが『おきゃく』。(大勢の人が集まってお酒を飲む高知の伝統文化)
神祭の日は1つの家に集まって大宴会です。(おきゃくに専念しすぎて写真撮るのを忘れました)
そしてそして、神祭に欠かせないのが『山芋』。
おばちゃんたちは、おきゃくの為に朝早くからお寿司を作り、おんちゃんたちは神祭でふるまうための山芋を掘りにいきます。この『山芋掘り』が、なんとも面白い山の遊び。
あらかじめ見当をつけておいた芋のつるを頼りに、掘って掘って掘り進めていきます。
初めは外側から、山芋を傷つけないよう慎重に掘っていきます。
掘って掘って、やっと姿を表しました。
上等な山芋が掘れました。
山芋掘りには、長年の勘と経験と粘り強さが必要。
見当をつけていくら掘っても芋がない、ということもよくあります。
読みが外れて、おいしい部分をうっかり折ってしまうこともしばしば。
そして、忘れてはいけないのが山のルール。
いくら良さそうな山芋のつるを見つけても、とりすぎてはいけません。
『えいばぁもろうたき、また来年においちょこう。』
自分たちが必要な分だけ、山から頂きます。
『子どもらぁの代にも、えい山を残していかなぁねぇ。』
こうして、周りの人や山の恵みに感謝しながら
ゆっくりと年の瀬を迎えます。