「田舎」で『仕事』の「理想」と「現実」
2014/01/08
僕が御槇に来て…、
つまり田舎暮らしをはじめて、4年半になる。
元々は脱サラをして、のんびり過ごしたいと思って始めた田舎暮らしだ。
畑で農作業をやりながら、何か自分の仕事を見つけたいと思っていた。
我が家の自然農の畑で育った大根
田舎に来てやってみたいことは色々あった。
実際にチャレンジしたことも色々ある。
そうして色々と経験をしたことで、
少しずつ見えてきたことがある。
今回はその中から“仕事”のことについて書いてみたいと思う。
田舎暮らしに踏み切る上で、
多くの人が悩んで躊躇(ちゅうちょ)するのが、
収入=“仕事”があるかどうかだと思う。
ちなみに、
僕は脱サラする前は建築士だったので、
主にパソコンに向かって図面を書く仕事をしていた。
社内でも数名しか使いこなせない高~いソフトを使って、
パース(建物の完成予想図)を作成するという業務もしていた。
画像ソフトを使って画像の加工やデザイン制作などもした。
ただし、自分の手で絵が描けるわけではない。
パソコンとソフトが絵を書いてくれ、画像編集ソフトで仕上げをする。
実際に自分の手で書けと言われたら到底書くことは出来ない。
そんな仕事の中でふと生じた疑問があった。
「僕のしている仕事は、このソフトや、このパソコンがなくなれば、
途端に何も出来なくなるような、そんな仕事じゃないだろうか?」
という思いだ。
実際にその通りである。
自らの手で何かを生み出す仕事ではなく、パソコンとソフトに依存して成り立つ仕事なのだ。
そのスキルをいくら積み上げたところで、何も手に残らない。
根本的な部分で体に蓄積していくものがない。
もし災害や何かがあって、電気が使えない状況下に陥れば、
僕が積み上げてきた経験はきっと何の役にも立たない。
つまり自分自身が何の役にも立たない人間になってしまう。
そう思うと、
そんな生活を長年続けることへの焦りを感じた。
「このまま何十年と過ごせば、生きていく力の乏しい人間になってしまうのではないか?」
「自分の手に、身体に、成長の証が蓄積していく仕事をするべきではないか?」
そう思った。
だから田舎暮らしをするにあたっては、
なるべくパソコンと距離を置きたかったし、
畑作業などの手仕事に重きを置きたかった。
田舎暮らしをはじめた当初は、割と思った通り出来ていたと思う。
インターネットをつないでいなかったこともあり、パソコンはそれほど使わなかった。
畑や田んぼをする時間も沢山あった。
2年ほどは地元の林業の親方のところに雇ってもらい、間伐などの山仕事に従事していた。
山の下草刈りをしている様子。ちなみにこれは仕事中ではなくプライベートです。
そういう体を使った実体験を伴う作業には、やればやる程に体に蓄積するものがあった。
ちゃんと出来ることが増えていくし、体に筋肉も付いていくし、
現物として何かを生み出すことができるようになる。
コツや知恵などが文字通り“身に付く”のだ。
しかし、
親方が木材価格の低迷と高齢を理由に事業を畳んでからは、
山仕事に行くこともなくなった。
結果的に、現在の収入は、図面の下請けの仕事がメインになっており、
以前していた仕事が今も一番の役に立っている。
パソコンで図面を書く作業をし、前職の職場からソフトを借りてパースを書いていたりする。
「あれ?そんなはずじゃなかったのになぁ???」
と思う自分がいる。
それに、
過疎高齢化が進む集落の活性化イベントなどに取り組んでいるうちに、
そちらの作業が忙しくなり、畑などをする時間もなくなってきている。
その代わりにイベントの企画をしたり、HPを作ったりという作業に忙しく追われていたりする。
今年開催したフォトコンテストの審査会にて
そして気づけば、パソコンと向きあって時間は長いし、割と忙しい日々を送っている。
「これでは元の木阿弥(もとのもくあみ)ではないか。」と思う。
これが僕の田舎暮らしの現状だ…。
…という話で締めくくると、非常にむなしい話で終わってしまい、
田舎暮らしへの夢と希望が折れてしまう(笑)
本当に言いたいことはここから先の話だ。
田舎暮らしを始めてみて気付くのが、
意外なことに…いや、不本意なことにというべきか、
収入の面で生活を安定させてくれるものは、
一度自分が否定した“過去の仕事”だったりする。
移住した人に聞いてみたら、
田舎で自分の居場所を作ってくれるのは、
「“昔とった杵柄(きねづか)”だった…。」
という感覚を抱いている人も多いのではないだろうか。
田舎に来る前に否定したはずの自分の“ライフスタイル”や“仕事”…なのに、
意外なことに、田舎に来てからそれが役に立つ…というか、
それこそが役に立つという感覚だ。
それもそうだろう。
都会の人間が田舎に身を置けば、
そこにいるのは“田舎素人”であり、“田舎1年生”である。
田舎で新しいことを始めたいと思っても、そんな自分は“田舎新入社員”なのである。
何も知らないぺーぺーが、
たった1年や2年の経験で食っていけるほど、世の中は甘いものではない。
新入社員で一人前の仕事が出来る人なんてそうそういないだろう。
薪を事業化しようと模索していたころの写真
「自分の仕事を見つける」
「新しい事業を起こす」
というハードルは、都会と同じく田舎だって高いのだ。
いや、むしろ経済的なパイが小さく消費者が少ない分、
その面に於いては田舎の方がハードルが高いかもしれない。
やはり新しい分野においては、
それなりの経験を積んで一人前にならなければ、
しっかりとした収入を得ることは、ままならないないのだ。
そして、
そうやって経験を積み成長するまでの間をつないでくれるのは、
自分の中に蓄えた経験でありスキル…
つまり、“今までやってきた仕事”なのではないかと思う。
一度は否定した自分の仕事に、何となくの迷いがありながらも助けられる。
これは何ともいえない気分ではあるのだが、抗っている余裕もなく、
自然とそれを受け入れるべきなんだろうなという感覚が湧いてくる。
結局これまで歩いてきた道のりが自分なのだ。
それを否定してしまうより、そんな自分と正面から向き合って、
「少しずつ変化していく」、「少しずつシフトしていく」、
という寛容な姿勢が、大事なのだろう。
そもそも、
田舎に越してきたばっかりの“田舎新入社員”の自分が、
お世話になる周りの方々にもっとも恩返しが出来るものや、
もっとも期待されているものというのも、これまで経験して得たスキルと知識だと思う。
それこそが田舎で当面の居場所を用意してくれるありがた~い財産なのだ。
とはいえ、
以前と全く同じかと言えば、一つ大きな違いがある。
それは雇われのサラリーマンではなく、
自営業、つまり小さいながらも社長さんとしてやっているということだ。
この違いは大きい。
自分の裁量と責任で仕事が進む。
仕事のない時の厳しさも現実的な危機感として感じる。
故に仕事があることの有り難さもわかるし、忙しくても昔と違った意識で働ける。
時間の融通も効く。
そいうことを一つずつ経験しながら、最終的に落ち着くべき場所に落ち着くのではないだろうか。
下の子の出産時。助産院に1週間も一緒に寝泊まりできる時間の自由度はすごい。
田舎暮らしを始めて数年経つと、自分はどんなスキルや技術があるのか?
何が出来る人間なのか?
何が出来ない人間なのか?
という“自分の査定”をする機会が、自然とやって来るような気がする。
子供を背負って薪割り
よく“自分探し”という言葉があるが、
どこか他所に行って自分を探すのではなく、“自分の中に自分を探す”場面が訪れる。
そこで一度、
過小評価も過大評価もせず、今の自分を見つめて、先の自分を見定めるのだ。
話を僕の話に戻すと、
今はパソコンに向かって作業をする時間がとても多くて、
田舎暮らしを始める前に一度否定した状態が、今もここにある。
でもそれは、一度自分を査定した結果だ。
自分が出来る事、
自分が求められている事、
自分がやりたい事、
それらを見つめて、
今ここに立っている。
だから、そんなに嫌悪感はない。
別に現状に満足していてこのままで良いと思っている訳ではなく、
“今は”これが僕のするべきこと、立つべき位置なのだと思える。
今の自分が“一番お役に立てる方法”で、田舎の中で生きている。
都会にいた時のように、今後そのままの状態がずっと続く不安はない。
将来への芽も頭を覗かせてもいる。
具体的に今の仕事のことを少し書きたいと思う。
いま僕は福田百貨店というお店をやっている。
古民家カフェ兼、
地域の産直兼、
ギャラリー兼、
情報発信スペース兼、
田舎の商店。
そんな感じで営業している。
金・土・日・月と開けていて、火・水・木が休みの週休3日という変なお店だ。
福田百貨店が出来たことで、
外部から御槇に来た人が立寄るお店を作ることが出来た。
今まで御槇にはそういう機能を持ったお店がなかったので、
御槇の活性化や情報発信に一役買っていると思う。
店番はいつも3才の娘とやっている。
全国広しと言えど、3才の娘と一緒に仕事が出来る職場はそうないだろう。
僕はこのお店で週4日店番をしながら、娘の教育をしている。
直接的に遊んであげたり教えてあげたりすることも出来るし、
それだけではなくて、
お店でいろんな人とやり取りする姿を、娘は見て育っている。
お店に買い物に来てくれる近所のおばあちゃんたちも、娘のことをとても可愛がってくれる。
お店をしていなかったときと比べて、娘が接する人の数は比べものにならないと思う。
お店のカウンターに陣取る、
よくお客さんや近所の人に、
「小さい子が少ないからお友達がいなくて寂しいね。」
と言われているが、実はそんなことはない。
これだけ多くの人とコミュニケーションをとれる環境にいるのは、むしろすごいと思う。
娘にとっては、
いつも買い物に来てくれるおばあちゃんたちも友達だし、
取材に来てくれるテレビ局の人も友達だし。
イベントで出店してくれるお店の人も友達だし、
集落活性の市役所の担当者の方も友達だ。
保育所に預けるわけではなく、
そういう環境で育つことが出来るうちの娘は、
とても恵まれていると思う。
みまきマルシェというイベントにて、出店者さんに絡んでいる。
正直なところ、お店の収益はそんなにない。
お店に来たお客さんに良く聞かれるのが、
「このお店だけの収入でやっていけるの?」
という質問だ。
答えは当然NOである。
お店自体はほぼボランティアみたいなものだ。
だから、
「本業は図面の下請けで、店は趣味みたいなものです(笑)」
といつも答えている。
お店が閉まっている閉店後や定休日、
お客さんのいない時間などが、僕の本当の仕事の時間だ。
その時間にパソコンで図面を書いている。
そうなのだ。
今この生活を可能にしてくれているのは、
一度拒否したパソコンと、図面の仕事なのである。
これがなければ、
このようなライフスタイルをとることは出来なかったし、
福田百貨店というお店を始めることは出来なかった。
福田百貨店に干していた干し柿をほお張る。ちゃんと田舎っぽい暮しもしている。
自分の理想として田舎でのんびり畑をしたいというのはあるが、
今の僕に求められていること、やるべきことはそれではない。
たぶん田舎の山奥でお客さんもそんなに多くない福田百貨店を、
常時開けることが出来る人は、そうはいないだろう。
こういう働き方をしている人間でないと、現実的に不可能だと思う。
だから、今はパソコンで仕事が出来ることにとても感謝している。
ただ、ずっとこのままというつもりもない。
やはり畑や田んぼもしたいし、
図面の下請けの仕事だけで一生やっていくつもりはない。
自分が理想とする働き方を探りながら、今を過ごしている。
田舎暮らしを始めてから思うことだけど、流れに逆らわずに身を任せていると、
やるべきことが向こうからやって来るし、会うべき人に会うべきタイミングで出会う。
自分からガツガツしなくても、ちゃんとやることをやっていたら、
勝手にいろいろなことが流れてくる。
だから今の働き方に全く不安はない。
今はパソコンの前で不健康な仕事をしていても、収入がそんなに多くなくても、
それがずっと続くわけではないという、漠然とした確信があるからだ。
もちろん、
「何かが向こうからやってくる保障はあるのか?」
と聞かれれば、そんなものはない。
ただし、
自分の居場所・求められる場所というのは、
田舎においては案外存在するのだという感覚はある。
きっと今僕が福田百貨店を何らかの理由でやめたとしても、
他に僕を必要としてくれる場所や立ち位置が、御槇の中であるだろうと思える。
当然そんな保証はないけど、確信はあるし、きっとそうなるだろうと思う。
田舎に移住するにあたって、
「仕事があるか不安だ」
と考えている人はとても多いと思うけれど、
「贅沢言わなければ仕事はあるし何とかなる。」
と僕は思っている。
迷っているならば、とにかく一度田舎に身を置いてみることだ。
自分に出来ることや仕事はきっと見つかるだろう。
特に若い人であれば、
生きていくということは、そんなに難しくはないと思う。
その土地で数年暮らせば、
仕事も含めて生きて行ける“生活スタイル”がきっと出来上がるだろう。
最後に余談だが、
“仕事”という言葉の語源を調べてみたら、
「すべきこと」「為すべきこと」という意味もあるそうだ。
そう考えると、
“仕事”はあるかないかと探すものではなく、
今の自分が「すべきこと」「為すべきこと」に、
自然と導かれるものなのではないだろうか。