田舎の学校に求められる感度とは?
2016/03/07
- 執筆者 大西正泰
- 所 属一般社団法人ソシオデザイン
こんにちは。ソシオデザイン(徳島県上勝町)のおおにしです。さて第5回目です。今回のテーマは、教育です。いま急速に過疎地での教育で求められているのは、なんなんだろうかと考えています。
当然、学校の存続=地域の存続という意味では、「ふつうの学校」では、おおよそ生き残らせてもらえないわけでして。そこって、普通のままではいさせてもらえない宿命のようなものがあります。
もし、普通のままで存続を求めるならば、いくら地元が陳情しても、必要性がわかっていても「ない袖はふれない」。逆に子どもの数が増えていくならば、必要だから生き残る。残す意味がある。と判断されるわけです。
とするならば、過疎地の教育は、「魅力のある教育」が行われ、通わせたいと思う教育内容が好むと好まざる関係なく、「求められざるをえない」のだと思うのです。過疎地教育の未来を考えるうえで、島根県の海士町の教育プログラムなど、「魅力のある教育」で存在感と必要性を出すことに成功した好例です。そういう意味でいえば、今後の過疎地教育は、「普通の公立ではいけない」わけでして。言い換えれば、制度としては「公立」といえども、生き残るためには、
「私学の内容とサービスが求められる時代」
だと思っています。
まとめると、過疎地教育で考えていかねばならないのは、魅力のある教育を作っていくというこの方向性で、どこまで勝負できるかという点です。
が、教育そのものの基本は、「目の前の子どもの可能性を引き出す」ところにあって、外部状況から求められる高い教育が、「望まれていない」もの(例えば、受験教育を求めていないのにゴリゴリにやるとか)であってもならないわけです。
また、最大の悩みは、子どもの数が少ないということは、提供できる教育内容には経済限界があって難しいので、どれぐらい「学校のそと」の力を借りられるのかにもかかっています。地域の力だけでなく、「そとの力」も重要な要素です。ドラゴンボールの元気玉じゃないですが、ありとあらゆる「ちょっびっとのヘルプ」にあえて甘えて行きたいと思います。どれだけ教育サポーターの数を増やせるのか。子どものやる気スイッチやギアチェンジを入れるのには「きっかけ」となる「誘惑人材」に会う必要があります。誘惑人材にどんなヘルプをしてもらうのか、子どもも誘惑人材もメリットになる中身も大事だなあと思っています。
最終的に教育の原点って、どれだけ魅力のある人がかかわっているかだと思うのです。そこさえ満たせれば、ほっておいても魅力ある教育は生まれ出てくると思っています。
あと、いま妄想しているのが、
①「技術家庭科室」をおもしろくできないか?
子どもの20年後を想像するに、「ものづくり」と「場づくり」の二つの力は必要かなと思ってます。こんなものができると、こんな素晴らしい空間=居場所ができるという発想です。
いろんな未来像が描けると思うのですが、いま自分のなかでもっとも公立私立ともに学校が取り組みに遅れているのが、このものづくりの部分です。というのも、3Dプリンターに代表されるように、どんどん低コストでできるようになって、扱いやすくなった潮流の影響です。そのときに、自由に放課後使える、ものづくりのスペースがいるなあと。
例えば、いま日本で最も注目を浴びているモノづくりの基地として、DMM.make という施設があります。 ここは、一流企業が商品を作るうえで必要なものが多くそろっていて、それが格安で借りることができる。教えてくれる有名企業出身の職人型インストラクターがたくさんいて、サポートしてくれます。カフェもあって、投資家も集う。こういうオープンなものづくりの環境はとてもワクワクと夢を与えてくれます。
これまで無理だと思っていた、小規模予算で電気メーカーになれるというのを、あの巷で有名なホテルのようなトーストを出すことができる製品で有名になったバルミューダ社が証明してくれています。中高校生ぐらいのものづくりの天才がどんどん出てくるようになるんじゃないかと思うし、それまでものづくりをあきらめていた女性や、中年、高齢など関係なしに、アイデア次第でおもしろい世の中になる可能性に満ち溢れています。
②サドベリースクールやシュタイナーやバカロレアなどの自律や探求などの自由教育思想で育った人たちをあえて一か所に集め、学校作らせてみたらどんなもの創るのかなあと。
サドベリースクール について
シュタイナー教育 について
バカロレア について
*純粋な興味です。各自こだわるのか、融合するのか、楽しいだろうなあ。教育話でお酒が飲めるおもろい教師が「勝手に育つ(自生的秩序)」場を作り、各人に自由に教育環境をなかでもそとにも創らせてみたいなあと。やりたいこと、いっぱい出てきたなあー^^