進化を続けるチャレンジャー 佐々木茂則さん
2016/06/25
- 執筆者 鈴木陽子
- 所 属一般社団法人 ピースボートセンターいしのまき
牡鹿半島に30以上点在する漁村。小渕浜はその中でも有数の大きさを誇る浜です。周りの浜のほとんどが家族単位で漁業を営んでいるのに対し、この浜は漁師さん一人ひとりが自宅とは別に大きな作業場を持ち、家族以外にも従業員を雇って大規模に漁業を展開しているのが特徴で、特に牡蠣とワカメの養殖が盛ん。漁業の機械化も進んでいるので、小渕浜に行くと「へー!この作業も機械でできるの!?」と驚かされることもしばしば。また、浜の中に民宿が三つもあることからも、規模の大きさが伺えます。
そんな小渕浜で常に新しいことへとチャレンジし、進化を続けているのが佐々木茂則さんです。佐々木さんのことを紹介するには「人との繋がり」という言葉なしでは語れません。
佐々木さんが地元・小渕浜で漁師をとして働くようになったのは30歳も半ばになってからのこと。それまでは大型漁船の無線通信士として世界中を回っていました。佐々木さんの隠れ技・スペイン語はこの頃覚えたものだそうですが、気の利いたジョークで場を和ませる陽気な性格は生まれ持ったものでしょうか。
周りと比べて規模が大きいとはいえ、それでもご多分に漏れず震災前から限界集落に近い状況だったという小渕浜。その状況は震災後、さらに厳しくなりました。震災前と同じことをしていてはだめだ。漁業をもっと希望の持てる職業に代えていく必要がある。佐々木さんは、震災後にボランティアやアルバイトとして出会ったたくさんの人たちと話をするうちに、自分たちが井の中の蛙だったということに気づいたと言います。
震災前は、収入を上げるためにとにかくがむしゃらに働いてきました。あの頃は目の前のことしか見えていなかったと振返ります。津波がやってきて何もかも流されて、それまで何十年の努力が文字通り水の泡になったような気持ちでした。そしてそれを機に外から来るボランティアの人たちに頼らざるを得ない状況になりましたが、その人たちとの出会いが新しい価値観を与えてくれることに気がついた佐々木さんは、作業を手伝ってもらったあと、いわゆるアフターファイブの時間を使って外から来てくれた様々な背景を持った人たちと語り合う時間を大切にしてきました。その時間は、佐々木さんにとっては仕事を見直すきっかけとなり、その場にいる人たち同士にとっても刺激になっているといいます。
「ヤマダイ」というのが佐々木さんのお宅の屋号なのですが、佐々木さんのお宅で働くと仕事以外にも様々な意味で「勉強」になるので「ヤマダイ大学」と呼んでいる人もいるくらいです。
震災当初、漁師を諦めようと思っていたという漁師さんはたくさんいます。佐々木さんもそのうちの一人だったそうですが、外からボランティアとして入ってきた人たちの姿に勇気付けられ、気持ちが前を向くようになりました。
たくさんのボランティアから力をもらい、2011年の秋にはワカメの種付けをスタート、翌2012年の3月から収穫が始まりました。その時から佐々木さんのところではすでに、外から来てくれた人たちにボランティアではなくアルバイトとして働いてもらい、お給料を支払うという形をとり始めていたというから驚きです。
「マイナスからスタートして再び採算の取れる漁業を目指すわけだから、本気でやるためにはおんぶに抱っこではいけない」。
そんな考えがとても早い時期から佐々木さんの中にはありました。とはいえ実際採算が取れるかどうかはやってみないとわかりません。その時期からアルバイトを雇うのは賭けでもありましたが、幸いその年のワカメは育ちも相場もよかったそう。
そしてアルバイトやボランティアで外から来てくれた人たちに、せめて作業以外の時間くらいはできるだけ居心地よく生活して欲しいという想いから、自宅の一部を改修し、寝泊りできる場所を作りました。みんなと家族みたいに生活をともにしたと、その頃のことを今も懐かしそうに振返ります。
そして、その「家族」の輪は今も続いているばかりか、どんどん拡大しています。佐々木さんのところでは今でも、震災当初からの繋がりだけでなくそこから新たな繋がりが生まれ続けているんです。それはひとえに、佐々木さんご夫妻の「人との出会いを大切にする」気持ち故でしょう。
それからもう一つ佐々木さんを形容する言葉があります。それは冒頭でも書きましたが、進化を続ける「チャレンジャー」。
佐々木さんのお祖父さんは、小渕浜で牡蠣養殖を一番最初に始めた人だそうです。ですが佐々木さんのお父さんは、そんなお祖父さんの後は継がずにトロール船の乗組員になりました。そして佐々木さんご本人は船の通信士で世界を回ってから牡蠣とワカメの養殖業へ。この流れを見ただけでも、一筋縄ではいかないチャレンジャーな血筋を感じずにはいられません。
佐々木さんが漁師になってからは、ほとんど手作業で行われていたワカメや牡蠣の収穫・出荷作業の機械化に一役買ってきました。溶接の技術をもっている佐々木さんは、手作業で行われていた部分を次々と独自で機械化していったのです。そのほかにも牡蠣をボイル加工し冷凍させた形で出荷したり、震災前から自分で販路の開拓に乗り出すなど、革新的なことにどんどんチャレンジし自分のモノにしてきました。
そんな佐々木さんが目指すのは、若い人が興味の持てる漁業です。
「震災後に特に注目されるようになった品質管理、ブランド化。本当はとっくに手がけていなければいけなかった。そしてもっと工夫する余地があるはずなんだ。そういうところを目指していかないと、漁業改革はしていけない。」
佐々木さんは現代の漁業に一石を投じるべく、まだまだチャレンジと進化を続けていきます。