茅刈の話。遠野市のギフトが家を作るかもしれません。
2017/02/03
- 執筆者 山田泰平
- 所 属遠野市のギフト制作委員会
茅(かや)って、皆さんご存知でしょうか。「あの家の・・・!」と感じる方はさすがです。一般的に、ススキやチガヤなどを総称して言われるのが茅という植物のようです。
遠野市は、「永遠の日本のふるさと」ということを銘打っているのですが、茅葺き屋根の家を見たことが無くとも、茅葺きのある風景というものは、懐かしみを覚えたりもします。
岐阜の白川郷などは世界的に知られる場所ですが、造りは違えど遠野の家も昔から茅葺きの屋根でした。現存するものとして、市内では、一部の住居、昔ながらの山里を再現した「遠野ふるさと村」という施設、あるいは神社や、水車小屋、はたまた一部地域のゴミ収集所までかやぶきだったりします。ただ、この葺替え作業には、「家を2~3軒新しく建てるほどのお金がかかる」とのことで、住まいとして使う方はほとんどいなくなりました。
遠野市としては、この茅の文化をなくさないために、遠野かやぶき保存協会なんてものが設立されていたりします。あるいは、職業訓練校にて、いわて遠野かやぶき士の技能評価をしていたりしています。
今回は、機会に恵まれ、都会にいてはまず体験できない「茅刈」を体験してきたので、皆さんにお伝えしたいと思います。「家を作るかもしれません。」とタイトルに書いてみたものの、遠野市のギフトとはほとんど関係ないのですが。
重文千葉家の茅刈ワークショップ
今回参加したのは、「重文千葉家の活用を考える会」主催の茅刈ワークショップです。
チラシはこちら。
千葉家というのは、江戸時代に建てられた代表的な茅葺き屋根の南部曲り家で、平成19年に国重要文化財に指定されています。代々千葉家の方々が修繕しながら守り続け、遠野観光の中心的役割を担っており、映画のロケ地として使われる場合もあるので、その関係で足を運ばれた方も多いかと思います。その大きさと貫禄、歴史に圧倒された方も多いのではないでしょうか。
平成28年から4年にまたがる保存修理工事が始まり、残念ながら今は外観からしか見学することはできません。
ちなみに、南部曲り家とは、母屋と馬屋がL字状に繋がる、この地方独特の民家です。人と馬の立場は同じであり、家族として捉えられていたそうです。
保存整備について詳しくは遠野市HPをご参照ください。
この重要文化財千葉家住宅の価値を正しく理解し、地域活性化となる活用を考え、実践することを目的として、地元住民によって設立された組織が、今回の主催団体です。熱心な若手の方も多く、一般の参加も受け付けておりましたが、31名の参加者の多くはその団体の会員でした。
茅の刈り方
さて、前置きが長くなってしまいましたが、皆さんも今後使うかもしれないので、茅の刈り方をお伝えしたいと思います。
遠野市内には、茅場と呼ばれる茅を育てる場所がいくつかあります。今回は、千葉家と同じ町にある茅場に行ってきました。
舗装されていない道を車で行き、そこから徒歩で向かいます。
こちらが茅です。
大きなものは背丈よりもずっと大きく、3、4mにもなっていました。
前述した「遠野かやぶき保存協会」の会長から、ワークショップの流れや茅の刈り方を指導・説明していただきます。
なんでも、茅は、年に2回刈るタイミングがあるらしく、その1回が今回の雪が降る前、それから雪が降った後の春先に、雪に耐えた強い茅を刈るのだそうです。あまり小さいもの、弱いものは使うことができないとお話があったあたりで、家に使うものだったと再認識させられました。雨漏りがあったら嫌ですものね(そもそも、茅の耐水性を発見したり、家の造りを考えた、昔の方々は本当にすごいです。
市内の茅場全て合わせると、年間1万束収穫することができるそうですが、千葉家の修復には、4万束必要であるということで、最低でも4年分を溜めなければいけないそうです。それだけで途方もない作業であるということがわかります。
茅は株でなっているそうで、春になったら焼き畑をして他の雑草を焼き払うそうです。「根っこまでは焼ききれないから、また生えてくるし、高く高く成長するから、他の植物は日が入らず成長できないんだ」とのこと。
よくよく見ると、炭のようなものも見えました。
縦に繊維があり、横に鎌を振っては刈ることができないということで、斜め下から斜め上に、逆袈裟に引くとうまく刈れます。また、鎌を使うときも、実際は「振る」ではなく、茅に当てた状態で「引く」とスパスパスパとまとまって刈ることができました。
上から見るとこのような感じ。わかりづらいですね。すみません。。。
横から見るとこんな感じです。
ある程度の量がまとまったら、結んでいきます。
結び方は、「稲刈りと同じだ」ということで、私や移住者以外の方は皆さん手際よく進めておりました。
結んだ束をさらにまとめて立てて、「シマダテ」と呼ばれる乾燥法で冬を越します。
何人かで立てて、周りを縄で結び、
さらに杭を打ち付け固定します。
先端を窄めることで、雪を積もらせず、耐えるようにするんだとか。春を迎えたら、回収して、茅葺きのために長さを揃え、加工していくようです。
文字にすれば簡単ですが、30人が集まっても広大な茅場、全てを1日で刈り取ることはできません。参加されていた70代の方からは、
「稲の次は馬の餌の萩、そして茅を刈る。 茅葺きは、『結っこ』で、集落みんなでやってたんだ。よその家族も皆大変だから、不平不満言ってる場合じゃなかった。 だから手慣れてるんだ。昔はこんなことを普通にやっていたんだ。」
なんてお話も伺えました。ありがたかったです。
現代の人は、家も、食べ物も、誰かに作ってもらうという生活を送る方が多いですが、昔は全てを自分たちでやっていたと思うと、途方もない作業量ですが、それらはまさしく生きるということではないかと感じました。
また、昔からあったものに価値を見出し、大切なものであると、未来に向けて残していくということは茅葺きという文化以外にも言えるものがあるんじゃないかと思います。
最後に、before afterをば。
開始前
お昼休み
終了時
時には茅刈もする制作委員会がつくった「遠野市のギフト」好評発売中です。