あの日夢みた未来が今と違っていても

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執筆者 上田知子
所 属ハンター民宿 BA-BAR

2018/12/25

 こんにちは!鳥取のハンター民宿BA-BARの上田知子(旧姓:梅野)です。 ただいま男児3歳と女児1歳の絶賛子育て中。

 

子ども

 

 彼と彼女がこれからどんな未来を歩むのかはまだまだわかりませんが、今はとにかく、日々心身健やかに育っていくように奮闘する毎日です。子育てをしながら自分の小さい頃はどうだったかなぁと振り返ることもあります。

 そういえば、小さい頃から今まで、将来の夢というものは、いくつか大きくも小さくも変わってきたなぁとしみじみ思います。今回は、いろんな雑談エピソードを踏まえて、振り返って思うことを書いていきます。

 

(1)幼稚園の頃に描いた将来の夢  

 そういえば、幼稚園の頃、将来の夢を書く機会があって、書いたのは「かんごふさん」でした。そして、看護師の服を来た自分の絵を小さく描いていたような気がします。今思えばなぜそれを書いたのだろうと思うと、看護師の服に憧れていたのかもしれません。そして、私は学生時代にプリクラで看護師のコスプレをして撮り、その小さな夢は叶ったのでした(笑)

 また、私は大変不器用なので、採血や点滴が上手にできる気がしません(汗)なお、限られた時間の中でテキパキ臨機応変に動くのがとっても苦手である私は、ならなくて正解だっただと思っています(笑)

 

(2)小学校の中頃に描いた将来の夢  

 私は小さい頃、テレビゲームがとっても大好きでした。スーパーマリオとか、スクウェア(今はスクウェアエニックスになっていますが)のRPGとか。そこで、知る人ぞ知る「ライブ・ア・ライブ」というゲームのイケメン忍者キャラに憧れて、無謀なことに忍者になりたい!とか、ほんの少しの間だけ思っていました(笑)そんな私はジャンプしても低くしか飛べず、ドテッ、と音を立てて着地するような運動神経レベルです。そう、運動が大の苦手なんです私。今思えばどうしてそのような夢を見たのだろうか。。。

 

(3)小学校高学年に描いた将来の夢  

 絵を描くのはちゃっかり好きなんです。クオリティはこんな感じですが・・・(これは最近描いたゴリラの絵なのですが、クオリティは小学校の頃とあまり変わらないです・・・)

 

 

 このようなクオリティの絵で漫画を描くのも大好きで、休み時間は外で友達と遊ぶことよりも、教室にこもって漫画を描くことに没頭することも多かったような気がします。そして、このようなクオリティの画力にも関わらず、本気で漫画家になりたいと思っていたんです・・・!

 ただ、卒業式の日に全員の前で「〇〇になりたい!」とか「〇〇をしたい!」等、将来の夢を一言話す場面があって、なぜかその時、「漫画家になりたい!」と話す気分になれなかったのです。当時、「AQUAZONE」という熱帯魚を育成するPCゲームに熱中しておりました。そのゲームで赤ちゃん魚が生まれ、赤ちゃん魚に名前をつけては愛着が湧き、その魚が大きくなっていくのが楽しかった。それで、自分も子ども欲しいなぁと早い段階から憧れていたりしました。

 そこで、「子どもを産んで、しっかり育てたい!」と卒業式に堂々と言いはなったのでした。当時、いろんな保護者の方からの失笑声が聞こえてきたのにはちょっと、というかだいぶん傷つきましたが(笑)あ!今その夢、絶賛叶え中だ!と今思ったり。

 

子育て

 

(4)高校生の最初の頃に描いた将来の夢  

 私は、なぜか高校生の最初の頃、「医者になりたい!」と思っていました。そして、身の程知らずもいいことに、「私、医者になりたいから、〇〇大学の医学部に行きたい!(入るのが医学部の中でもかなり難関なところ)」なんて、いろんな人にしゃべっていた高校1年生でした(汗)

 しかし、高校生活を歩むうちに、私は勉強への意欲がどんどん低下し、成績もガタ落ちしていろいろな先生から指摘を受けることが多かったです。そして不登校の一歩手前まで気力が減退したこともあり、将来の夢どころではなくなったのでした。

 進学校だったので真面目に勉強する人たちも多く、「なぜこの人たち、こんなに勉強頑張っているのだろう。」とか思っていたり、不必要に他人の粗探しをしたり等最も性格最悪な時期でもあり、私にとって最も暗黒時代は高校時代だったかと思われます。自分の子どもに似たような時期がきたときも、ゆったりと構えられる器の親になりたいなぁと今から思っています。

 そういえば、医者になりたい、と思っていたのは、白衣に憧れていたからなのかなぁとも思ったりはしました。もし、そうだったのであれば大学時代に実験の際に白衣を着る機会も多く、その小さな夢も叶ったのかなともとれます(^_^;)(安易でスミマセン)

 

(5)高校卒業の頃に描いた将来の夢  

 あの頃の暗黒時代もちょっと落ち着き、受験勉強の合間で図書館で本を読んでいた頃。動物には興味があったので、動物園の本を見ていた時のこと。その中で、「動物の仕事には、絶滅動物の保護・繁殖などといったこともあります。」的な記述があって、その記述にビビビッときて、「これかっこいい!面白そう!野生動物保護のために世界に出よう!」と思ったのです。

 その頃のビビビッが紆余曲折して今につながっております。しかし、とても大学には入れる成績ではなかったので1年浪人して大学へ!そして、農学部で畜産学を専攻する道へ歩みました。

 

(6)大学時代に肉付けされてきた夢  

 動物福祉サークルに所属したり、海外経験のために短期留学に出たり、夢に向けてちょこちょこアンテナを探っておりました。そのような中で、研究関連でアフリカのザンビアに行かせていただける機会があり、住人の立場や観光資源など、野生動物課題は多面的であることを学び、「野生動物保護」という視点から「人と野生動物の棲み分け」に視点を転換。その課題は世界に出なくとも日本にもあると気づき、獣害対策に関わろうと決意。

 そのタイミングで北海道にて開催される狩猟セミナーの情報を見つけ、参加。そのセミナーの中で、猟師さんがエゾシカに向かってライフルを発射し、見事に命中した瞬間に感銘を受け、参加者とともにエゾシカを解体し、夜は鹿肉BBQしながら想いを語り合う。かっこいい!シカ被害で困っている人の役に立てる!肉が美味しい!それを通じて人と語り合える!そうだ、狩猟をやろう!と思い、勢いで狩猟免許を取得しました。夢は、「名ハンターになる!」でした。このエピソードは、コチラ  にも書いております。

 

(7)鳥取へ移住、そして現在  

 NPO法人学生人材バンクへの就職を機に鳥取へ。そして、いろんな人のご協力で田舎で空き家を借り、ハンター民宿BA-BARの創業。複業という働き方、地域の人と連携しながらの事業、結婚・出産・子育て。詳しくは、コチラ に書いております。  

 今思えば、いろんな夢を見てきたなぁとか、身の程知らずだったなぁ自分とも感じたりします。。激不器用で運動が激苦手なのにもかかわらず、名ハンターになりたい!という夢をもつようになり狩猟免許をとってハンターになった!

 ちなみに、私のハンターとしての実績は、6年間のうち、
・イノシシ3頭
・アナグマ1頭
・タヌキ2頭
・イタチ2頭  

 

狩猟

 

イノシシ

 

という微々たるものです。(いずれも私1人の力ではなく、地域の方と力を合わせてしとめました。)

 そのような小さな実績なのに、なぜハンター民宿BA-BARでは獣肉料理体験をたくさんできるのかというと、弓河内ハンターチーム三矢弓援隊の名ハンターさん方が頑張ってばりばり獲っているおかげです。(売上の一部を狩猟活動のための罠代・その他備品消耗品にあてております。)    

 今は、大学時代の「名ハンターになる!」という夢を追うことよりも、今自分にできることかつ価値を生み出せそうなことを優先して打席に立ち、積み上げているところです。

 

●情報発信

 大学時代にゼミや論文などで文章を書く機会やパワポを使う機会があったり、当時流行っていたSNSのmixi等に文章を想いのまま書きなぐったり、仕事で人への説明資料を作ったりの繰り返しで、そのような力はなんだかんだで身についている気がします。それを活かして人に発信していくことをやっていくことをコツコツやっております。(クオリティはまだまだですし、量もまだまだ足りていませんが、コツコツコツコツやっていきます。)

 また、ハンター民宿という尖ったツールや、私はとっても個性的らしく何かと覚えてもらえやすいのもあり、発信イベント等にもお声かけいただくこともあります。そこで、活動の紹介もしております。家庭と調整のつく限り、そういった場にも出向いていこうと思っております。

 

 情報発信

 

●人が集まる場の企画  

大学の頃から集まってワイワイするのが大好きで、仲の良い仲間で集まる呑み会・ご飯会はよく企画しておりました。

 

集まる場

 

 それが少なからず今でも活きており、弓河内で人が集まる場を度々企画運営させていただいております。

 

集まる場2

 

今、夢は何かと聞かれると、まずぱっと出てくるのは、

①心身健康な家庭をつくっていくこと

 

家庭

 

②できることを積み重ねながら人と笑っていられる場をつくっていくこと

 

集まる場3

 

 いろいろ振り返って思うのは、 夢を見ることも、できることに集約していくことも大切なこと。 それが笑って生きることにつながる!私はあまり、「こうじゃないといけない」という概念に縛られない性格です。(コイツまじ適当!と思う人もいるかもしれませんが(笑))「〇〇になりたい!」とか「〇〇をしたい!」等という想いは、夢というより手段であり、真の夢は「こうありたい!こう生きたい!」ということなのではないかと悟っている今日この頃です。私は、たくさん笑って生きていきたい!そう思っています。

 わが子もこれからどんな夢を見ていくのか、どんな得意分野を身に着けていくのか楽しみにしておりますが、ゆったりと見守って応援できる親でありたいです。

 

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