生い立ち話後編: ニュージーランドでのワーキングホリデー

 みなさんこんにちは。ニュージーランドは11月中旬になりすっかり夏の陽気。暑いです。海で泳ぐ人やカヤック、SUP、釣りなどのウォータースポーツが賑わいを見せています。

 あまりに暑いので(といっても最高気温23℃)リアルタイムの話から始めてしまいましたが、ネルソンの近況は記事後半に紹介することにして・・・

 前回の続き、私の過去にタイムスリップして、ニュージーランドに渡航したところからお話をします。

 

生い立ち話前編はこちら

 

オークランドのホームステイ先の周辺の景色

 

ニュージーランドの生活の始まり

 勢いよくニュージーランド行きを決意したものの、それまで英語は大の苦手だったため、最初の数ヶ月の過ごし方については、保守的に、日本のワーキングホリデー専門の大きなエージェントに言われるがまま、1番一般的な方法を選びました。

 

●一番大きな都市オークランドで、日本人スタッフ在中の語学学校に始めの12週間(後に現地で4週間延長)通う

●滞在方法は、到着日から4週間はホームステイ

 

 日本を発ち、直行便ですんなりとオークランドに到着。海外旅行に慣れていなかったので入国手続きも手間取り、語学学校が手配してくれていたタクシーをだいぶ待たせました。

 一番時間がかかったのは、私のトレッキングシューズのせい。

 

 アウトドアギアのチェックがあると事前に聞いていたのでシューズの底は簡単に洗ってきたつもりでしたが、検疫スタッフが確認をすると充分ではないようす。

 没収されてしまうかとヒヤヒヤしましたが、そのスタッフの方は一度部屋の奥に私のシューズを持って行ったと思ったら、何と洗浄して持って帰ってきてくれて

「次回からはこのくらい綺麗にして持ってきてね」

と言い笑顔で私に手渡してくれました。

 英語でのコミュニケーションもいまいち出来ないこの外国人にこんなに優しく接してくれる国があるのか、と入国早々に私は感激していました。

 

※担当者によっては実際に没収されてしまうこともあるようです。また国際線到着後に国内線に乗り換えする場合には、検疫で確認に時間を要して国内線に乗り遅れてしまう恐れもあります。

 そのため、アウトドアギア(シューズ、ポール、テントなど)は必ずご自身で洗浄し泥が全くない綺麗な状態にしてお持ちください。最近私は、トレッキングシューズは履いた状態で国際線に搭乗しています。そうすると入国時の確認のためにカバンからシューズを取り出す必要がないので。

 

オークランドでの生活

 久々に「学生」に戻り、日本の中学生英語レベルの語彙での会話をしながら、数え切れないほどの新しい物事の数々を感覚的につかみその場所に馴染んでいく、なんだか子供の頃に戻ったような感覚でした。

 

語学学校

オークランドには広々とした公園がいくつもあります

 

 同じ文化背景や言葉をもつ日本人同士での会話とは違い、少ない語彙で様々な話をその背景から説明することは難しさを感じることも多かったものの、留学生同士は同じくらいの語学レベルですので、簡単に打ち解けることができました。

 家に帰った後はホストマザーにその日の出来事、友達のこと、先生のこと、自分が日本人として感じたことなど、本当に初めて小学校に通い始めたばかりの子供のように毎日毎日たくさんおしゃべりをしました。

 

 オークランドのホストファミリーは、留学生から得られる滞在費のみで生活をしているシングルマザーと成人している娘2人のみの家庭でした。

 決して完璧な住環境ではありませんでしたが、私はいつでも必ず家に居て私が帰宅するとテレビを消して私の拙い英語での話をいつまでも聞いてくれる優しいホストマザーが大好きでした。

 不便がないことはなかったと思いますが、それよりもこの新しい生活が楽しく、ホームシックを感じることは一切ありませんでした。

 ホームステイ先での生活は好きでしたが、家が学校の位置する市街中心部からバスで1時間かかる場所だったために交通費が余計にかかること、食費も含まれるホームステイは他の滞在方法に比べて費用が高かったこともあり、5週間の滞在後より中心部に引っ越しました。

 

 引っ越した先は日本人ご夫婦の住むお家。自分専用のベッドルーム+キッチンやバスルームは共用の、日本で言う「シェアハウス」のような滞在方法です。ニュージーランドでは地域を問わずとても一般的で「flat(フラット)」と呼ばれます。

 ニュージーランドに来たら語学の向上のために日本人とはあまり接せずに暮らそうと、渡航前は意気込んでいたのですが、様々な国籍の人々が共同生活をするフラットで予期せぬ出来事が頻繁に起りすぎて勉強に集中できなくなるよりも、信頼出来る人達と一緒に快適な環境で暮らすことを選びました。

 

 さて約3ヶ月の語学学校の期間が終わり、私は自然が多いと言われている南島に行くべく、就活をしていました。

 そこで「ニュージーランド アウトドア 南島」というネット検索でヒットした、リアルニュージーランドという旅行会社に惹かれ、スタッフ募集はしていませんでしたがメールで問い合わせをしました。

 社長の藤井さんが日本からネルソンに戻る途中のオークランド空港での乗り換えの際に面接をしてくれ、その後ネルソンのオフィスからSkypeでマネージャーとも面接し、翌年以降の就労ビザのサポートも可能と言うことで雇ってもらえることになりました。

 このとき、オークランドの家のフラットオーナーには少し心配されていました。

 

「その会社本当に大丈夫なの?なんで日本人向け旅行会社なのにマイナーなネルソンにあるの?ビジネス出来てるのかな? 友人が経営しているクイーンズタウン(有名な観光地)の会社を紹介してあげようか?」

 

と。確かに名のある大きな会社に雇ってもらったり、日本人旅行者に人気の観光都市で安定した仕事量を得られる環境の方が安心というのはもっともで、信頼出来る会社を紹介してくださるというのも本当にありがたいお話でした。

 でも私は逆に、リアルニュージーランドの人達の「自分たちの好きな場所で、好きなことを体験しながら、それをお客様にも体験してもらう手伝いをする」という考えに惹かれていました。

 

ここで、ワーキングホリデー制度について改めて説明します。

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 ワーキングホリデー制度で取得できるワーキングホリデービザは、1年間の滞在期間中に観光、就学、就労ができる特別なビザです。

 国内のどこに滞在・旅行をしても、語学学校に通っても、またどこで働いても良いという素晴らしい自由度の高いビザです。

 通常ニュージーランドでの滞在が3ヶ月以下であれば短期訪問のための電子渡航証NZeTA(2019年10月より導入された制度)のみ取得をすれば観光や語学学校に通うことが可能ですが、働いてお給料をもらうことは出来ず、お金の代わりに労働の対価として食事や宿を提供してもらうことも禁止されています。

 ワーキングホリデー制度を利用する以外に、海外で雇用者を限定せずどこでも働くことが出来る機会はあまりなく、一生に同国で原則一度だけ利用することが出来るとても貴重な制度(ビザ)なのです。

※3ヶ月以上国内の農園で労働をした場合に限り3ヶ月のビザ延長が可能

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 私はニュージーランドに来る前、このワーキングホリデーは1年きりの予定でした。しかし実はオークランドにいる間に、約10年付き合っていた日本の彼に振られてしまったのでした。そのためもう日本に戻る理由がありませんでした。

 ニュージーランドで少なくとも何年かは暮らしたい。そのためには確実に就労ビザのサポートをしてくれる会社に雇ってもらう必要があり、興味のある旅行の仕事を得るには今しかない(夏が始まる前、10月)と思っていました。

 

 しかし実はこの彼に振られたことはとてもショックで、この時私は自分の判断に自信が持てなくなっていました。

 悩むことや挫折の少なかった私の人生。悩んで自分の道を決められないなんて、人生で初めてのことでした。

 進学、就職、恋愛、これまでそこそこ自分の思うようにいっていたので、完全に信頼しきっていた自分のニュージーランド行きの決断が原因で、大切な彼を失うことになるなんて、正直全く予想しておらず、青天の霹靂でした。

 

 そんな放心状態の中、自分に自信が持てなくなり、自分のやりたいこと(働きたい場所)も決められなくなってしまったことに涙しながら、

人生初、姉(10歳年上、生真面目で、厳しくて、自由奔放な妹にとっては恐怖)にSkypeで相談し、話をするなかでようやく私は自分にとって未知の可能性を秘めているように感じた「リアルニュージーランド」で働いてみたいという自分の気持ちが整理できました。

 ネガティブな感情に取り巻かれた状態でも(だからこそ?)、将来を考えたときにはちょっとした<好奇心><冒険心>に従い、それに向かうことでそのワクワクがモヤモヤをカバーしてくれたように思います。

 

 心配するフラットオーナーをよそに、私はネルソンに向かいました。

 

トンガリロ公園

ネルソンに行く前に北島で旅をした場所のうちのひとつ。トンガリロ国立公園 トンガリロ・クロッシング

 

ネルソンでの生活

 当時のリアルニュージーランドの会社のオフィスは創業者藤井さんの邸宅内。場所はネルソン市内中心部から車で40分ほどのアッパーモウテレという内陸部の地域のさらに山の中(とはいえ藤井さん宅は山の頂上にあるので海まで見通せます)。住宅はほとんどない、農地ばかりのエリアですので宿泊先を見つけることは難しい場所です。

 そのため藤井さんと当時のマネージャーが、私のために地元のとっても温かいホストファミリーを事前にアレンジしてくれました。もうそれはそれは素晴らしい家庭でした。

 

 家に帰るとマザーが笑顔で迎えてくれて、オーブンから仕込まれているディナーの良い香りがして、テーブルには庭で摘んだばかりの綺麗なバラが生けられていて、懐っこい犬と猫がいて、農園から戻ったファザーが泥だらけの服装のまま真っ先にマザーにただいまのキスをしに来て、ディナータイムには息子もやってきて皆でテーブルを囲んでお話しをする・・・ まるで平和な美しい映画の世界に居るかのような日々でした。

 他民族都市のオークランドと違い、ネルソン郊外の田舎の方は英語が母国語ではない人がほとんどいません。ホストファミリーもそれまで留学生を受け入れたこともない家庭で、私が初めてまともに接するアジア人のようす。いよいよ「生」の英語環境に入りました。

 

 オークランドではそこそこ会話が出来るようになったと思っていたのですが、発音が悪いせいでネルソンでは言葉が通じず、発音を直されるばかりで言いたいことを伝えるまでに至らないこともしばしば。

 そして日本人として日本のことをあれこれ聞いてもらっても、特にファザーからの質問は戦争のことや政治のことなど、私の知識不足で全然答えられないことばかり。そんな私に本当によく優しく接し続けてくれたなぁと感謝しています。

 そんな言葉の壁にもどかしく思う事はたまにあっても、家庭やネルソンの地元の人々の温かさはひしひしと感じ、本当に幸せいっぱいでいつまでもここで暮らしていたいと思うような居心地の良さがありました。

 

農園

家の庭から農園を見下ろす。当時はブラックカラント(カシス)畑。現在はホップ畑になっています。

 

 その時リアルニュージーランドでしていた仕事は・・・ すぐに仕事らしい仕事も出来るわけもなく、ニュージーランドについて勉強しながらSNS投稿を毎日する程度で、後は毎日他のスタッフの人達やオペレーターとのやりとりを共有してもらったメールを読んで、皆がやっていることを把握し、使えそうな英語のフレーズをメモっておいたり・・・。

 そして藤井さんに

「リアルニュージーランドは旅行会社だから、まずは自分が旅行した方が良い」

と、別事業でお世話をしていた成人留学生の皆と一緒に10日間の南島一週の旅に同乗させてもらったり、

「アウトドアを売りにしている会社だから、地元のクラブに入ってアクティブに過ごした方が良い」

と言われ週1でサイクリングクラブの活動に参加しオフィスには午後から出勤したり・・・ と、ほぼ働いていませんでしたね。

 それでも少しずつマネージャーから仕事を任されるようになり、来シーズンからは就労ビザをもらって本格的に活躍出来るね、と言われていた矢先・・・

 

 リアルニュージーランドは旅行事業を閉めることになりました。

 

ネルソンの夕日

ネルソンの夕陽…

 

 事情は割愛しますが、藤井社長の決断により、会社は旅行事業を閉めもうひとつの留学事業のみを継続することに。同時に私は翌シーズンの仕事はなくなってしまいました。

 2014年11月末にネルソンに来て、翌年の2月中旬にはもう仕事が4月末までしかないことを告げられたのです。

 これが私の人生で2回目の青天の霹靂。またショックでしばらく途方に暮れていました。

 

 ワーキングホリデービザの期限が残り3ヶ月ほどしかなく、さらにこれからニュージーランドのほとんどのビジネスがスローダウンする冬に突入することも有り、就労ビザ取得を目的とした職を新たに得るには絶望的なタイミング。

 就活をしてみるも決まることはなく、結局就職は諦め、ビザの期限が切れて日本に帰国する前にやりたいことをやろう!と、雇用期間が終わった翌日にネルソンを出て、冬に突入する前にトレッキングをするべく、急いで南島南部に向かいました。

 

 このときにほとんどの時間を過ごしていたのはテアナウという小さな町。フィヨルドランド国立公園の入り口に位置し、たくさんのトレッキングコースへの拠点になります。

 トレッキングや現地の人達や旅人達との出会いを満喫し、最後の1ヶ月をまた大好きなホストファミリーと過ごすために、ネルソンに戻ってきました。

 そして、いつかホームパーティーで会った、ホストファミリーの息子の友達がりんご農園の人だったことを思い出して、りんごの収穫の仕事でもさせてくれないかと思いコンタクトを取りました。

 それが今の夫マットです。

 

ホストファミリー

ホストファミリーとその家族とマット(上・左から2番目)と私。ここは今ではニュージーランドの実家のような場所です。

※写真は2年前のもの

 

マットのこと

 マットは、100年以上ネルソンで農園を経営する家族の4代目。農場で働いているのはニュージーランド人だけではなく、トンガ、サモアなど南太平洋の小さな島国から来る、いわゆる出稼ぎ労働者の人達が多く居ます。

 普段から彼らの生活の面倒を見ている彼は、当時の私の拙い英語での話に辛抱強く耳を傾け、分かりやすい英語でたくさん話をしてくれました。

 

 彼は、生まれつき手足の関節に障害があります。(先天性多発性拘縮症という病気) しかし彼はとってもポジティブでハッピーで、とても自然に誰とでも気持ちよく対等な態度で接することができる、自信に満ちた人です。

 彼は四肢の関節が普通の人ほどには曲げることが出来ないのですが、日常生活で特に不便なことはなく、何をするにも工夫して「自分のやり方」でやります。

 たまに高い場所にあるものを取るときなどは人の助けが必要なこともありますが、彼の友人達は、本当に助けが必要なときだけ、自然に手をさしのべ、マットも、友人や周囲の人に対してとても親切で、自分に出来ることはいつでも喜んで手助けをする、そんな彼の人格と周りの人達との関係を見て、感動しました。

 

 これまで障害のある人と関わったことのなかった私は、彼自身の努力はもちろんですが、彼を支え、認め、彼の人格を作り上げる手助けをしてきた家族や友人達、そしてこのニュージーランドという国の素晴らしさに胸を打たれました。

 ビザが切れる1ヶ月前にこんな素敵な出会いに恵まれた私。その半年後には彼と一緒に暮らすためにまたネルソンに戻ってきました。

 いつか結婚すると思い込んでいた日本の元彼に振られ、仕事が会社の事業縮小よりいきなりなくなった、この2つのショッキングな出来事は、1年間という短いワーキングホリデーの期間でマットに出会うために仕組まれたことだったのかも、と今では思っています。

 それからは、自分が予想もしていなかったことが起こることは珍しいことではなくなりました。

 

 さて、生い立ち話後編、ワーキングホリデーで過ごした1年間を熱く語りすぎてしまい長くなってしまいました。まだ、話は5年半前までしか進んでいませんが、長くなってしまったので続きはまた今度。

 次回は生い立ち後編の続編(混乱を招いて申し訳ない!)。なぜ今私がリアルニュージーランドの代表をしているのか、という話をしようと思います。

 

 

 おまけ。今のニュージーランドの様子を少しだけお伝えします。

 

11月のニュージーランド

 ニュージーランドには四季がありますが、南半球に位置するため、日本とは季節が真逆になり、11月は春から夏の気候に変化していく季節です。

 

りんごの実

2020年11月6日撮影:りんごの花が終わり実が膨らみ出しました

 

ラビットアイランド

2020年11月14日撮影:天気が良く暑い日だったのでネルソン郊外のラビットアイランドへビーチ散歩へ。ラビットアイランドは島ですが橋があり陸路でアクセス可能。ピクニック出来る場所がたくさんあり、広い広いビーチは混み合うこともありません。ネルソン市民の憩いの場です。

 

サイダーフェスティバル

2020年11月7日 サイダーフェスティバル

 

 サイダーとは日本で「シードル」と呼ばれる、りんごの発酵酒です。

 ニュージーランドにはチューハイはなく、甘めのお酒を好む人はこのサイダーを飲むのです。シンプルなものはりんご味、ベリー系や他のフレーバーのものも全てベースはりんごのお酒。りんごの一大産地であるネルソンはサイダーも本格的なものが揃っています。

 毎年11月初旬に開催されるサイダーフェスティバルでは全国からサイダー屋さんが集まり、普段ネルソンでは目にしない珍しい種類も色々と飲むことが出来ます。

 この写真のフードカートは私達がランチにバーガーをゲットしたところですが、なんとこのフードカートの車両、日本で移動図書館として使われていたバンを改装したんですって。綺麗に塗装されていたのと忙しそうで中は覗けず面影が残っているかはよく分かりませんでしたが、なんだか嬉しくなりますね♪

 

サイダーフェスティバル2

サイダーフェスティバル メインテント(サイダーをゲットする場所)の中。

 

 曇り空だったにも関わらず、会場はものすごい混み様。ネルソンにこんなにたくさんのサイダーファンが居たのかと驚かされる。。。ライブミュージックなどもあり、盛り上がっていました。

 

 最後までお読み頂きありがとうございました。

 

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