ずぼらの献立
2012/08/03
- 執筆者 新井みなみ
- 所 属菜食土源
「ずぼらの献立」
今日もとりあえず台所に立つ。
お米を研ぎながら、献立を決める。
玄関に雑多に置いてある野菜を思い浮かべ
この頃炒めものが多いなと思えば
煮たり蒸したりすることを考え、野菜を選ぶ。
では、みそ汁の実は何にするか、
それならダシは、こぶかかつおか
はたまた煮干しからとるか、などと考える。
こうやって毎日を過ごし7年と4カ月になる。
信号もない、コンビニもない、このマチでは
お惣菜を買うことはもちろん、
今日はしんどいから外に食べに行こうかということも
ほとんどできない。
必然的に家で料理をすることになる。
採れたてのオクラ!
毎日料理をするからと言って
料理の腕が上がるとは限らない。
それは何故か?
きっと私に研究心というものがないからだと思う。
もっとああすれば、こうすればと思い
日々研鑽することで料理の腕は上がるはずなのだが
元来のもの忘れ病で、次に料理をする時には
その改善点を忘れている。
それでも知らず知らずの内に積み重ねられた勘で
とっさの内にみじん切り、細切り、乱切りなどと
料理によって切り方を変える。
日々の料理は、甘い・辛い・酸っぱい・しょっぱい・苦い。
などの味のバリエーションは勿論
焼く、炒める、煮る、蒸す、生で食べるなどの加工方法。
それから切り方による歯触りなど
たくさんの要素から出来上がっている。
私がいつも不思議だなと思いながら作る
じゃがいものサラダがある。
蒸してつぶして作ったポテトサラダは、
ねっとりとした口当たりがおいしいが
じゃがいもを千切りにし、
沸騰した湯に酢を少し垂らし、さっと茹であげ
好みの味付けをしたサラダは
シャリシャリとした歯触りが最高においしい。
同じじゃがいもの料理でも
こんなに違う口当たり、歯触りになるんだなと
いつも感心してしまう。
自家製のじゃがいも(アンデスレッド)
そんなことを思いながら、
味付け、加工方法、切り方の組み合わせを考えるけれど
結局いつも同じ献立になってしまうのは
やはり私の努力不足なのだろうか。
たまには献立に悩むことのない日もある。
先日の土用の丑の日。
隣のおんちゃんが、今日はウナギを食わないかん。
俺は高瀬(鮮魚店)で1匹、頼んだと言う。
では、ウチも頼もうかと言うや否や
携帯で鮮魚店に注文を入れてくれた。
後は焼き上がりの3時半に、ウナギを取りにいくだけ。
庭にあるかぼちゃの葉っぱ
つけ合わせは、きゅうりとみょうがの酢のもの。
きゅうりは斜めに薄くスライス、みょうがは千切りにした。
みそ汁の実は、なすとしそ。
体を冷やす夏野菜のオンパレードだが
きっと滋養のあるウナギが帳尻を合わせてくれる。
今日もこうやって、献立の落としどころを探りながら
米を研いでいる。