お国自慢
- 執筆者 小林恵子
- 所 属おばあちゃん文庫
2015/07/27
私は、地元の岡山で、~えん(縁)もたけ(竹)なわ~ 竹藪を活用しながら、認知症の人の『居場所』と『出番』と『役割』づくりに取り組んでいます。
祖母たちは、桃や葡萄、お米に野菜を作っていました。5年前、その祖母たちが認知症になり、被害妄想、物とられ妄想がさかんであったときに、よくよく話にでていたのが、「畑や竹藪を荒らしたらおえん(荒らしたらよくない)」とのこと。その当時、仕事で京都に住んでいた私には、そんなん分かってるけど、私にはどうにもならん。お手上げ!!とも思っておりました。
祖母たちが、山のことを、あまりにも深刻に言うもので、調べてみました。予想以上の、農業従事者の高齢化(JA新聞が白髪の紳士だらけ)、日本の食糧自給率の低下、不耕作地の増加、放置竹林による生態系の破壊など、山や畑は本当に深刻な社会問題になっていることを知りました。驚きでした!!
農業については、近隣やテレビや本。学ぶ機会も多々あります。竹藪については、その当時は全くお手上げでした。竹藪のことを話す友人もおりませんし、No知識です!!
そんな中、葉っぱビジネスでお元気なおばあちゃんの町、徳島県上勝町の「そうだ葉っぱを売ろう」の本に出会いました。電撃の一冊でした!!葉っぱを地域の資源として活用していらっしゃる。狐につままれたように感じられました。その当時、私が、一番厄介でお手上げだと思っていた「放置竹林」は、実は大きな大きな自然の恵みでなのではないか?!ということに気づき、一筋の光を見ました。
地元のものを生かしていくためには、その土地の歴史を自分の足で調べることが大切であるとのことを、ある方からアドバイスをいただき、地元の歴史を調べております。歴史はだれかに教えてもらうのではなく、自分で調べることが一番身につくとのことで、地道に図書館などで調べ、散策をしてます。
それまで地元のことは、なにもかもが当たり前すぎて、良さも悪さもよく分からず、普通としか思っておりませんでしたが、歴史をしらべることで、地元への愛着が、ぐぐぐぐっとわくようになりました。
岡山市中区(岡山駅から車で15分くらい)に「操山(みさおやま)」という山があります。操山の中に、うちの小さな竹藪があります。
丘のようなゆるい山じゃな~と思っていましたが、歴史を調べ、散策するうちに、今では、歴史ロマンあふれるロマンの山に感じられます。以前は、竹藪のことは、どうしようもない厄介な荒れた竹藪。困ったものだと思っておりました。今では、先人たちの努力のおかげで、自然の恵みいっぱいのお宝の山であると感じられています。
その「操山」。はるか古墳文化から栄えております。十数個の古墳があります。うちの竹藪の近くには、こんな神秘的な石の古墳もあります。
岡山は晴れの国ともいわれ、日本で一番晴れの多い県だとのことです。温暖な風土で、朝鮮半島から近いこともあり、古くから朝鮮半島からの人々の出入りもあり、古くから栄えていた地域であるとのことです。
「操山」のすぐふもとには、「百閒川」が流れています。小説家の内田百間は、郷里岡山の百閒川に由来するペンネームだそうです。百閒川。うちの近所では、河川敷に沢田遺跡、兼基、今谷遺跡があり、弥生時代から栄えていたようです。土器がたくさん出てきています。
「操山」には、神社仏閣、跡を含め21か所あります。鎌倉仏教の時代には、特に祈りの山であったようです。岡山藩主池田家の菩提寺である「曹源寺」という禅寺があります。修行僧のほとんどが外国人ともいわれる禅寺でもあります。毎週日曜に座禅会もあり、蓮の花もきれいで、とても心落ち着くお寺です。
「操山」には岡山市の施設「里山センター」があり、豊な自然も守られています。初心者から上級者まで。さまざまなトレッキングコースもあり、老若男女問わない憩いの場となっています。
竹藪についてですが、郷土史によれば、操山の竹藪は、江戸時代に、先人たちが、産業のために、中国の孟宗竹を移植したのが始まりだと言われています。竹材や食用のタケノコ用に移植されたようです。この地域のタケノコは、白くておいしいと、以前は評判であったとも聞いています。(もともと、食用の孟宗竹は、日本にはなく、中国から入ってきたものだそうです)
また、国有林であった場所が、戦後に下賜され、果樹園になったとのこと。葡萄や柿の果樹園もあります。竹藪に、果樹園。今では、竹の子農家が減り、山の一部で荒れた竹藪になっています。果樹園は、農家の高齢化、後継者不足により、農業をやめることで、果樹園が荒れ、結果、生命力の強い竹藪が広がり、放置竹林が広がりつづけているという現状もあります(もちろん、きれいに保全されている竹藪もたくさんあります)その竹薮が広がりすぎて、竹しかなくなり、もともとあった植物が追いやられ、生態系が崩れるなどの深刻な問題はあります。
うちの竹藪は40年ほど前に、祖母が葡萄の棚のために竹材を使おうと竹藪を買ったとのこと。真偽のほどは定かではないですが、家と竹藪との出会いのルーツであったようです。葡萄の棚に使うために竹藪を買う。フルーツ王国岡山をうたっている岡山の歴史を感じます。
歴史ロマンの山も、うちの近所の部分では、葡萄畑に行くまでの道が荒れ果て、葡萄を作るのをやめる、やめたら竹藪が広がり続けている。山は荒れ果てていく。後継者はいない・・。道も山も荒れる・・。の悪循環がみられています。
うちの祖母たちの憂えてやまない山。これまでは、時代の流れじゃから、荒れても仕方がない。私らの時代で終わりじゃ。などと言っておりましたが、呆け呆けになってから、本能があらわになるのか、山のことをしつこく憂えてやみません。
最近は、竹細工をしたり、家のものと竹藪の整備をしたり、よそ様に来ていただいて、竹藪のみならず、操山まるごと楽しめるイベントを企画したり、少しは山も祖母たちも喜んでるのではないかと思っております。
まだまだ楽しくなる可能性を秘めている、可能性無限大の竹藪。いろいろな人と楽しんでいきたいと準備中です。
いなかファンの皆様の活動に励まされながら、毎回各地の素晴らしさをワクワクしながら拝読し勉強させていただいています。そんなか、拙い微々たる活動のなか、失敗は、成功に変えればよいのだと自らを励ましながら、日々取り組んでおります。長文をお読みいただき、本当に本当にありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願いいたします!!!