今はいなかのおんちゃんになりたい

2012/08/14

昔は、「地球防衛隊」になりたかったんですよ。

 

でも今は、「いなかのおんちゃん」になりたい、川村聡志です。

 

ぼくは1990年に高知県の野市町(今は香南市野市町ですが)というところの

農家の次男として生まれました。

いなかというほどいなかではないですが、ゆる~く自然が残っていて、

農地もたくさんあったので、幼少のころから田んぼのあぜ道や、近くの雑木林がぼくの遊び場でした。

 

そんなぼくは小さい頃からなぜか「地球を守らなければ!」っておもってたんですよね。

 

それはたぶん、ぼくが生まれたころからことあるごとに、

「地球があぶない!」「環境破壊が進んでいる!」「人口が増えて食糧が!」

「砂漠化!」「酸性雨!」「地球温暖化!」エトセトラエトセトラ。。。

 

地球の危機を叫ぶ声がいたるところで聞こえてきました。

だからなんとなく、「地球のために働かなければいけないんだ!」みたいな想いを

ずっともっていました。

 

そう、ぼくは「地球防衛隊」になりたかったんですよ。

 

そんなこんなで、中学時代になり、小さい頃ずっと遊んでいた雑木林が伐採されてしまったからか、

地球温暖化が叫ばれたためか、なんとなく砂漠に森を創りたいな~と思い、

そして高校時代には日本のエネルギー問題やらが目に入ってきたためか、

木質バイオマスでの発電に興味をもち、

そんなこんなでいつのまにか高知大学の農学部に進学していました。

 

高知大学に進学したからには、折角森が近くにあるんだから!と思い、

高知の森の現場をみなければ!と、丁度大学の掲示板に乗っていた林業見学ツアーに申込んだことが

ひとつ目の大きな人生の転機だったのかなと思います。

 

林業の現場

 

そこで高知の林業の現場を見た時、ぼくの中に衝撃が走りました。

高知は見渡す限り森が広がっていて、とてもユタカな県だと思っていたのに、

実は木材価格の低迷や後継者不足によって、森が荒廃している。

 

今までぼや~っと地球のためになにかしたい、人の役に立ちたいと思っていたココロが、

「人工林の荒廃」という身近な、目に見えるモンダイを前にして、

これをカイケツしなければ!とはじめて思ったんです。

 

そして幸運なことにその場にはぼくの2つ年上の高知大学の先輩が居て

(あ、井上将太さんのことですが)、すでに大学生の身でありながら、

「林業の活性化」を目指して活動されていて、「ワカモノでもなにかできるんだ!」と、

ぼくにススム道を指し示して下さいました。

 

そこから、その先輩にくっついて活動を続け、いつのまにか代表を引き継ぐことになり、

あーだこーだ迷いながらも、「高知の森、日本の森をなんとかしたい!」と思い続け、

3年生になったわけです。

 

3年生。これはまた迷いの年

 

3年生。これはまた迷いの年でした。

「高知の森を守りたい!」とは思うけれども、どんな進路にすすめばいいのか。

周りは就職活動の準備を始めているけれど、それは自分には合わない気がするし。。。

 

そうやってもやもやしながら日々を過ごし、

そろそろ本気で道をきめなければならなくなった11月ごろ、

その先輩からこんな電話がありました。

 

先輩「高知の森をタノシクする84プロジェクトが事務局を募集するらしいけど、川村やってみない?」

 

ぼく「わかりました、やります。」

 

なんとも、本当にタイミングの良い電話でした。

 

この「84プロジェクト」という組織は、

高知県にとってのマイナスの数字として見られてきた「森林率84%」という数字(ニッポンイチ!)を、

逆に「県土の84%も森がある!」というユタカな数字として捉えなおすために、

「84はちよん」という高知県のユタカさを一言で表すデザインをもとに、

「84ロゴ」を広めていく活動をしている団体で、

自分のやりたいことが出来る環境でしたし、

そこに所属しているのはデザイナーの梅原真さんや、四万十ドラマの畦地さん、

などなど高知の地域づくりの第一線で活躍されている方々ばかり!!

 

毎年8月4日に行われる84会議の様子

(毎年8月4日に行われる84会議の様子)

 

いつまで経っても成長していない自分に嫌気がさしていたときでもあったことから、

「ここで成長できなければ、もうおれはダメだ!」と、自分の人生を試すつもりで、

休学して事務局員として働く道を選びました。

 

振り返ると、その当時、ぼくは自分に酔っていたんですね。

「おれが高知を救うんだー!」とか「高知が自分に期待してるんだー!」とか、

今思うとなにカンチガイしちゃってんの?って言いたくなるぐらいに。

 

そして、自分に過度な期待をかけていたためか、

「完璧にならなければ」とおもいこんでしまったんですよね。

 

でもそもそも社会に出たこともない、社会の仕組みもしらない、

通すべきスジも分かってないような若造が最初から完璧にできるわけもなく、怒られに怒られ、

それをばねにできたら良かったのに、そこから逃げることを選んでしまったんです。

 

そこからの1年間は本当に大変でした。

「世界を救いたい」みたいな想いと、それにたいして「できていない自分」。

ギャップを埋めるために頑張りたいけれども、できない自分に出会うのが怖い。。。

 

そんなしょーもない1年を過ごしてしまったんです。

 

そして、本当にもうダメかもしれないと思ったあるとき、

そうやって悩んでグジグジしていた自分を打ち明けたんです。

 

そしたら、そんな自分をまだ怒ってくれたんですよ!!

1年間逃げに逃げて、怒っても怒っても変わらなかった自分に、まだ怒ってくれたんです。

そして、まだいけるだろうって言ってくれたんです。

 

そのときに

「あぁ、本当に世界を救うのは、気にしてないようでいて人をしっかりと見て、

困っていれば他意なく手を貸し、間違っていれば正しく怒る。

そんないなかのおんちゃんのような人なんだな。」

と思ったんですね。

 

ぼくは今までずっと人を見ずに、「モンダイ」だけをずっと見て、なんとかしようとしてきたんですが、

そんなに簡単にカイケツできるようなものならモンダイでもなんでもなくて、

そしてそれをカイケツできない自分をずっとずっと責めてきたんです。

 

でも、そのときから「ここまで自分を信じてくれる人たちのために何か役に立ちたい!」と思うことで

初めて「やりたい!やろう!」って素直に思い、できるようになったんですね。

 

そして少しずつできることが増えていっているのが、今はとても楽しいです。

 

 

そうは思っていながら、できていないこともまだまだたくさんあるんですが、

 

一歩ずつ一歩ずつ、まずはみなさんが気軽に「これやってや~」って言えるようになって、

そして他意なく身近な人を手助けできるような、

そんないなかのおんちゃんのようになりたいなぁと、今は思いゆうわけです。

 

 

 

 

FacebookTwitterLine