「地域ってなんぞや?」
2012/08/16
- 執筆者 渡邉真弓
- 所 属四万十町地域おこし協力隊
「地域ってなんぞや?」
それを追い続けている人間
それが私です。
皆様こんにちは!ただいま
「四万十町地域おこし協力隊」十和地区の隊員として活動中の22歳
渡邉 真弓です!
鳥取大学の工学部から
無理やり試験で地域学部に転部
そして現在四万十町の十和地区に無理やり住み始めた
「不思議ちゃん」です。
身元を明らかにしていくにはやはり原点からお話ししたいと思います!
私は愛媛の南予、米どころ宇和町に生まれました。
盆地で雪はごんごん降る
あまり温暖な愛媛イメージとはかけ離れた場所です。
その土地の中でも庄屋や造り酒屋などが連なっていた
江戸時代の宿場町が私の生まれ育った「中町(なかんちょう)」です。
実家はこんなお家
30年以上前の祖父の現役時代には何人もの従業員がいる造り酒屋でした。
もとは庄屋の家で立派な「鳥居門」と呼ばれる門もあります。
小さいころから中町を守る活動をしていた祖父に影響されたのか、
「中町という歴史的町並み」にプライドを持っていた変な子供でした。
「うちは鳥居門やけん!」
としょっちゅう友達をうちに呼んで、得意げに自分の家の中庭や蔵、隠れ部屋
また歴史ある平屋が連なる町並みを見せて回っていました。
「この中町地域はカッコいい。絶対私はここに残る!」そうずっとずっと考えておりました。
「…え、ちょっとまって。あんた
十和でおばあちゃんになりたいんじゃ「ま!ま!先は長いので聞いてってください」
そんな私も大きくなります。もちろん家も年を取っていきました。
私の家である「鳥居門」は実際ぼろぼろで
シロアリに食われたり土壁が崩れたり、状態としては限界でした。
でも、高校生の私はただただ荒廃する家々を眺めているだけのちっぽけな存在でした。
保全するにも当時の技術を用いなければ建物自体に違和感が出ます。
といってもきちんとした職人さんを雇うお金はない…。
老朽化した家に住むような人はおらず、
どんどん中町に空き家が増えていきました。
どことなく町並みがさびしくなっていったのです。
自分の部屋から見えるむき出しになってしまった土壁を眺めながら、危機感を抱いていました。
高校は理数科に通っており、進路選択の際
「これからは町並みをデータとして残すとかしたらどうやろか?」
と考え付いた私は
大学で工学部に入り、「中町の地域」を画像や3D技術で残すことを目標に頑張っておりました。
そんな大学一年目の途中、
「中町」が「重要伝統的建造物群保存地区」に認定されたのです。
文化財保護法により、町並み保存のための補助が出たりするこの制度は
祖父の時代からずっと認定を目指していたものでした。
40年来の目標達成です。
母から連絡が入り、電話口で喜んでいた時
ぼそっと母がこういいました。
「やっぱり、町並みいうんは人がおらんと張りぼてと一緒やけんねえ」
この一言にハッとしたのです。
私が今やっていることは果たして本物の「中町の地域」を残すのだろうか。
私はなんで「中町の地域」がすきなんだろうか。
思い出すのは近所のおじちゃんおばちゃん、元気な子供や通学する中学生。
やってくる魚屋さんの声や醤油屋さんの大豆が香る通り。
「地域って…なに?」
大学で落語研究会に入り、いろんな地域で「出前落語」をしていた私は
「中町」に対する親しみに似たものを
鳥取の行く先々でもなんとなく感じていたのです。
地域の交流センターでやったり
山の中の集会所でやったり
落語をした後は地域のおばあちゃんたちの手作り料理もいただくし、
生活の悩みなんかも聞ける。
子供はいないから、保育園が役割を果たさず
そのまんまおじいちゃんおばあちゃんのサロンになってる地域もありました。
周りは田んぼで畑で山で、これといって目立った建物も無い。
でも皆楽しそうに笑って生活してる。
ここにヒントがあるんじゃないの…?
「地域って…なに?」
自身の立ち位置に疑問を抱き始めた、渡邉真弓19歳の夏。
さてさてどうするのか…
続く!