はなしょうぶに気づかされて
- 執筆者 渡辺敏郎
- 所 属阿南市地域おこし協力隊
2018/05/14
突然ですが、皆さんは自分が何歳まで元気に動けているか想像できますか??この質問で大切なのは「元気に」という部分だと私自身は思っています。医療の発達により、人間は昔よりも長く生きられるようになりました。厚生労働省の調べでも一目瞭然ですが、平成になってから男女ともに5歳ほど平均寿命が延びています。では、長生きしたら人間は幸せなのでしょうか??
(厚生労働省 主な年齢の平均余命 2018.3.29調べ)
私の祖父は、76歳の時に大腸癌で亡くなりました。僕が高校1年生の頃で、小学生だった弟は、両親と祖母、親戚と祖父の最期をみとりました。祖母は大変悲しみ、手術をしていればもう少し長生きできたのにと言いました。しかし、私の母は弟に対して「おじいちゃんの最期をみとることができてよかったね」と言いました。私の祖父は、最後まで手術をすることを拒んでいました。手術をしたら、病院での生活をすることになるからです。健康には誰よりも気を遣い、畑をし、趣味では居合道までしていた祖父。口癖は「よく笑え」でした。
そんな祖父が76歳でこの世を去るとは、私自身思ってもいなかったことですから驚きましたが、祖父が亡くなる前に「迎えが来た」と言ったそうです。人間には、誰にだって寿命があります。その寿命をわざわざ伸ばそうとはしなかった祖父。そして、最後の最後まで弱り切った姿を見せなかったじいちゃんの生き様に孫として、敬服しました。そんなじいちゃんの最期の姿をわずか9歳でみとった弟に対して、母は良い経験ができたねと伝えたかったのだと思います。
私が思うに、祖父は自分の人生に悔いはなかったと思います。迎えが来た時に行くことができ、家族に最後まで寄り添ってもらいながら天国にいけたのですから。やりたいことをやり、元気に過ごすことができ、最期を迎えた。これはこれで素晴らしい人生だったのではないかと思います。
ピンピンコロリ
地域おこし協力隊として、徳島県の加茂谷に来てから早2年。任期最後の年を迎えるわけでありますが、中山間地域であり、基幹産業が農業であるこの地域でよく聞く言葉があります。それが「ピンピンコロリ」
ピンピンコロリとは、病気に苦しむことなく、元気に長生きし、最後は寝付かずにコロリと死ぬこと、または、そのように死のうという標語です。
役者は舞台の上で死ねるなら本望という言葉を耳にしたことがありますが、加茂谷のとある農家さんは、『我々は死ぬまで農業を生業としていかなくてはいけないから、「死ぬまで現役」「ピンピンコロリ」でないといかん』とおっしゃっていて。ものすごい人だなって思いました。そして、ここの農家では、なんと93歳のじいちゃんが現役で農業の手伝いをされています。
ちなみに88歳のばあちゃんも現役です。
どうして、こんなにも元気なのかと、この2年間近くにいて考えてきましたが、思い当たる要因が2つ見つかりました。
一つ目は、野菜をしっかり食べていること。
私自身、家が近所のためごはんを食べさせていただく機会が多いのですが、見事なまでに野菜がふんだんに使われています。それも、朝、昼、晩すべてにおいて。そして、ばあちゃんの味付けが薄味にしてあって、肉や魚などのたんぱく質もきっちりと摂取することができます。ドクダミ茶をいただくことで、体の中の毒を出すことも忘れてはいけません。とある研究で、草食動物の方が肉食動物よりも長生きするという結果も出ているようです。(諸説あり)
二つ目は、やることがあるということ。
じいちゃんもばあちゃんも8時半には、作業場に来て野菜の袋詰めをし、種まきから、収穫、庭の手入れなど一日を通して、家でゆっくりしている時間は夕方から寝るまでの間しかありません。それ以外の時間は常に動いている状態なのです。散髪をしたかったら軽トラふかせて散髪屋まで行くじいちゃん。石垣が崩れたら重い石でもなんのその。来客あれば自分の健康法を講演するばあちゃん。二人とも老いても、自分のしたい事に忠実に行うことが大切であり、家でテレビを一日中見ているということはないのです。
以上の二つが、私がとりあえず見つけた元気の要因です。口では、もう動けなくなったと言いますが、長年の習慣で体が覚えている限りは、いつまでも元気でいてくれると信じています。
人生の先輩たちから学ぶもの
中山間地域の現実として、若者は都会に出ていき、年寄りが地域に残される。という少し地味で、暗いイメージを持たれることがあると思います。でも、地域に入ってみると案外若い人いるじゃんって思ったり、むしろ、ここにいる高齢者は若者よりも明るいなと思うことがあります。
桜祭りのために会場である公園のクリーン作戦を行う頭巾部隊。
東京の大学生の農業体験を受入れてくれた、学生たちの心の支え。
常に笑顔の何でもできるスーパーマンたち。
加茂谷最強のムードメーカー。
加茂谷地区には、人間性含め素晴らしいパーソナリティを持っている方々が多くいます。この方々から学ぶことは多くあり、お話しする機会も沢山あります。皆さん素敵な笑顔をされていますが、苦労をしてない人は誰一人としていません。若い時に多くの苦労をしてきている人たちばかりです。ですが、年を取った今も人のため、地域のために汗を流し、人前では常に笑顔でいる、ものすごい人たちだと若い自分は思ってしまいます。
若い時は、色々なことで悩んだり、辛い思いをしたり、時には他人の事を悪く思ってしまうこともあるかもしれません。そんな時に詩人である星野富弘さんの「はなしょうぶ」という詩を見つけました。
はなしょうぶ
黒い土に根を張り
どぶ水を吸って
なぜ きれいに咲けるのだろう
私は
大ぜいの人の愛の中にいて
なぜ みにくいことばかり
考えるのだろう
この詩を読んだときに、ハッと思わされました。
私は、こんなにも素敵な人たちに囲まれていて、それだけでもなんて幸せ者なのだろうと。愛知県から徳島県に急に協力隊として来た私を受入れてくれ、仲間にしてくれた加茂谷の方々。この地域で、地域の一員として元気に笑って活動できていることほど素晴らしいことはないなと感じた24歳の春でした。