四万十革部その後~師匠はさらになめしを極め「四万十革屋」になっていた!~
7年前に活動していた「四万十革部」。四万十で獲れる鹿の皮をなめして革を作りたい!という私のおもいつきで始めたもので、2013年に書いた下の記事が「皮なめし」「自作」で今でもよく検索されているようで恐れ多い。
この記事のおかげで、ジビエブームの流れもあってか各所から問い合わせをいただいたりして、取材されたりもした。
取材された本。「漁師が教えるシカ・イノシシ利用大全」(出版元:農文協)表紙右下にある革細工が四万十革部でなめした革で作ったもの。
その後私が結婚を機に四万十市に移動してからというもの、害獣に関わる機会が極端に減り、四万十革部としての活動は休眠状態。
が、心のどこかに革への思いは抱えたままで「子育てが一段落したら~」と考えていた。
そして時は流れ2020年になり、今度は今治に引っ越すことになってしまったので、挨拶がてら久しぶりに革なめしを教えてくれたようちゃんの元を訪ねてみた。
四万十革部で革なめしを一緒にやってくれたようちゃん(大久保陽平さん)
この7年の間で、ようちゃんは革なめしの技を極め、「四万十革屋」としてなめした革の販売をスタートしていた。
みせてもらった革にまず驚いた。とっても柔らかい! 四万十革部でなめした時とはくらべものにならない程の高いクオリティの革に仕上がっている!
しぼ(立体的なシワ模様)もとってもキレイだ。
「柔らかく仕上げるの大変だったよ~」
とはにかみながら話すようちゃん。
時間をかけてなめした革への愛おしさがあふれていた。私はそんな革たちを鼻息荒めにたくさん見せてもらった。
悩みに悩んで夏の鹿の毛皮を購入させてもらった。座布団にするか、バッグにするか、財布を作ろうか、あ~悩む悩む。
なめした革は少しワイルドな匂いがするが、薬品などを使っていない証でもある。
「あれさ~、塩抜きがちゃんとできてなかったんだよね~」
7年前の四万十革部でのなめしの方法は、十分に塩抜きができていなかったらしい。
確かに当時、最終工程で乾かしているはずの革が湿度によって水分が多くついて乾かないということが起こった。これが塩のせいだという。
納得いくなめしができるようになりたいという思いが、この失敗から続いていたのだ。
四万十革部の活動がようちゃんに火をつけたきっかけとなっていたならば単純にうれしい。
ようちゃんは、その後納得のいくまでなめしを試行錯誤で行った。塩と少しの油、あとは太陽、川の水、風の力を借りてなめしの技を確立させた。
また白なめしの発祥の地といわれている兵庫県姫路市まで行き、本場の白なめし職人に革をみてもらったらしい。
挙句には
「白なめしの継承者になってほしい」
とまで言わせたそうな。それぐらい熱心な思いが相手にも伝わったのだろう。
革だけじゃなくタヌキ・鹿を削る際に取れるあぶらも販売していた。うん、自然の恵みを無駄なく頂こう。
四万十革屋が大切にしていること
“機械は使わず、手作業で” なぜ手間のかかることをやるのか。
日常できるだけなんでも効率よく省ける手間は省きたいよね。うん、私もそう。でも自然の力をかりて自分でできることを試行錯誤やってみて、そしてとても素敵なものが完成したならば、愛着が沸いて、それは手間という価値観では測れないものになる。
また、四万十川という雄大な自然に囲まれた地に住んでいなければ、こうはならなかったものかもしれない。
ほんの数年しか住んでいない私が言うのもおこがましいが、この豊かな自然の恵みに感謝が湧き上がってくるような感覚を知っている。
言葉で説明すればするほど薄っぺらい感じがして嫌だが、自然に寄り添う暮らしで得られるものはお返したくなる。
川や山に負担をかけることはしたくないのはもちろん、自然への感謝が生き方にも大きく影響してくると思う。
四万十革屋が大切にしていることは、自然に寄り添って生きている人々の中では当たり前のことなのかもしれない。そういう価値観にふれるきっかけの1つとして四万十革屋があるんだと思う。
四万十革屋 ようちゃんこと大久保陽平さんの連絡先はこちら
Facebook:https://www.facebook.com/yohei.okubo
話は飛びますが、今コロナ禍の中で、生きづらさを感じている人が増えている。
都会だから不安だとか、田舎だから平気とか、そんな単純なことでは決してないが、田舎にいる人の得体のしれない「安心感」というものを感じてもらえる機会があれば、不安に思っていることがすっと晴れたり、自分の価値観を見直すきっかけになったりするのではないか。自分がそうだったように。
四万十革部のその後を書き進めるうちに、そんな想いがふつふつと湧き上がってきた。
このタイミングで再会できたことにもきっと意味がある。
最近は子育てに追わる生活で、ないがしろにしがちだった自分の思いを呼び起こすいい機会となった。
今度はできあがった革細工をもって、また会いに行こうと思う。