尾道散歩日誌 vol.1 満月夜の海辺
- 執筆者 中尾早希
- 所 属フリー
2021/10/19
季節は刻々と移りゆき、気付けば外の方が涼しい日が増えてきました。これを読んでくださっているあなたは、いかがお過ごしですか?
私は海風を浴びたくなったので夜道を散歩しました。
2021 年 9 月 21 日
ちょっとだけだから・・・と、電気をつけたまま家を出る。
少しの背徳感と 350 缶のビールを片手に、いつもより暗い飲み屋街を突っ切った。
換気扇からはごま油の香りが少し。なんにも気にせず飲み歩けた頃を思い出して、少しだけ感傷的な気持ちになった。
街の暗さのおかげとでも言うべきか、ふと、道に落ちる影が濃ゆいことに気がついた。
空を見上げると建物越しに大きくて明るい月が浮かんでいるのが見えた。
今日は中秋の名月だった。
夜間工事の音と工事灯で、賑やかな路地もあった。
夜型のおじさんたちに「こんばんは」と挨拶をし、できるだけ澄ました顔をして通り抜けた。
私はまだ酔っていない、だろう。
海辺についた。
防波堤に腰をおろし、五感を使い今の状況を観察してみた。
つややかな夜の波が、石の階段にあたって弾ける音がする。
それと共に磯の香りも弾けて漂う。
遠くの方では虫たちが大合唱している。
ほとんど鏡みたいな海面に、向こうの島の小さな街灯や満月がうつっている。
時々船が勢いよく通り、夜の静けさを破り、海面を揺らす。
湿度のある潮風が緩やかに右から左へ流れ、私の体の右側ばかりを冷やしていく。
目を瞑れば、夜が私を包み込んでくれた。
海沿いにしばらく座り、虫の声や波の音に耳を傾けました。
確かに尾道の、確かに満月の美しい夜の時間に私はそこにいたはずですが、急に宇宙の果てに放り出されたような不安とも安心とも言い難い感情が溢れでてきました。
子宮の中に戻っていったとでも言いましょうか。そして、その体験こそがいいのだと、妙に納得した気持ちがうまれました。
毎日(いや、毎分)のように SNS で目にする多くの情報、社会的立場や肩書きなどに翻弄され気づかぬうちに自分を疲弊させてしまうこともある世の中に私たちは存在しています。
しかし自然を前にしたらそんなものはどうだってよくて、今の自分や、自分が届く範囲のものを愛でながら、大切に暮らせばいいじゃない・・・と、夜の海は気づかせてくれたのでした。
ただ気の向くままに歩くだけ、ただ心地よい場所を見つけるだけ、ただ目を瞑って今を感じているだけで良かったのです。
それは「今このときの私」にしか体験できなかった、感じることのできなかったものだから、誰とも比べる必要はない特別な時間でした。とても愛おしいものでした。
今回の散歩ではそんなことに気づいたのでした。
文 / 中尾早希
宛てもない旅、映画館で映画を観ること、いい感じの石を拾うことなどが好き。
肩書きは特になく、コンセプトを考えたり、イベント・ワークショップの企画運営、商品開発、広報活動(写真を撮ったり文章を書いたり)などを生業としています。
instagram :https://www.instagram.com/so_sakinakao/