虫送り

2013/07/31

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執筆者 本澤侑季
所 属馬路村農協

 

馬路村の日浦地区では、初夏に『虫送り』という行事が行われます。

『虫送り』とは、主に稲の害虫を追い払う行事で、鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らしながら掛け声をあげ、田んぼの畦道などを練り歩きます。

 

今年の開催は6月29日の土曜日。

日浦地区の昇さんから、『土曜日の10時半から虫送りがあるき見にきいや。』と誘ってもらい、朝10時半前に出ていくと、日浦地区の集会所前にぞろぞろと地区民が集合し、羽織を着たり笹でできた旗を持ったりと、虫送りの準備で賑わっていました。

 

 虫送りの準備で集まる地区住民

虫送りの旗をもつ地区住民

 

 虫送りの旗

 

 

 虫送りで地区民が集合

 

白い羽織には襟や背中に

『斎藤別当実盛』『稲の虫は送った』『大豆の虫はひしゃいだ』『柚子の虫はつぶした』などの言葉が書かれていて、これは田畑を練り歩く時の掛け声でもあります。

『斎藤別当実盛』とは平安末期の武将で、昔は非業の死を遂げた人の霊が浮遊霊となり害虫となったと考えられたため、虫送りの掛け声として定着しているようです。

 

 虫送りで田畑を練り歩く

 

 田畑を練り歩きながら掛け声を掛ける

 

『きみえさんは来たかねぇ?』

『ほれ、来た来た。』

全員がそろったところで、銘々が旗や太鼓を持ち、虫送りが始まりました。

 

 虫送りの始まり

 

 虫送り

 

トンカラチンドン

トンカラチンドン

 

斎藤別当~さ~ねもり

い~ねの虫は~送った

柚子の虫は~つ~ぶした

 

トンカラチンドン

トンカラチンドン

 

日浦地区の小道を通り、一行は田やゆず畑のある谷へと入って行きます。

 

 虫送り

 

 虫送り

 

ここは一谷(イチダニ)と呼ばれる谷で、傾斜が強い為、ゆずの畑も田んぼも石垣を作って段々になっています。ここの谷の畑を持つ人たちは特に手入れに熱心で、草が生え盛ってくると『みともない。』と言ってすぐに手入れをします。

 

 旗を田畑にさす

 

田や畑にくると、手に持っていた旗をさして害虫の追放と豊作を祈ります。

虫送りに参加できなかった人の畑にも、『○○さんくにもさしちょいちゃろう。』と言ってさしていきます。

 

 旗を田畑にさす

 

 虫送りの旗

 

虫送りの途中では、日浦地区の住民が管理し守っている2つの祠にお参りもします。

『はなじょうりさま』と『べら池さま』と呼ばれる祠で、昔、長宗我部元親に率いられ馬路蔵人頭(くらんどのかみ)を攻めてきて討たれた安田軍が祭られています。

 

 祠にお参り

 

昔から、『イボができた時はべら池様の池の水を塗ると治る』と言われていて、今でもイボができてべら池様の池の水を塗ったら治ったというのを聞いたことがあります。

約束として、治してもらったらそのお礼に生きた魚を池に放流するそうです。

 

 

谷を一回りしてくると、皆が手に持っていた旗も無くなり、虫送りはひと段落。

日浦の集会所へと帰ります。

 

帰る途中、日浦地区で世話焼きのゆきこさんが『お昼かまえちゅうき寄っていきよ。』

と、皆に声をかけていきます。

虫送りの後は、女性たちが作った料理がふるまわれ、お楽しみの宴会が始まります。

 

 お楽しみの宴会

 

昔は食べ物も少なく宴会はできなかったけれど、参加した時にもらえる飴玉やふかし芋が子どもたちにとって楽しみだったようです。

今年もおいしい料理とお酒を囲みながら、『おつかれさん。』『また来年も。』と、労をねぎらいます。

 

実はこの虫送りは、高齢化などでしばらくの間やまっていた行事なのですが、地区民の間で『復活しよう。』という声があがり、村の教育委員会の後押しもあって数年前に復活し、今年で4回目となります。

 

地区民たちは、『昔はやりよった行事じゃったき、復活してよかった。』『来年も続けよう。』と存続の意気込みは充分で、その半面『でも年寄りばっかりじゃき、この後続いていくろうか。』との心配もあります。

せっかく復活した伝統行事なので、なんとか残っていってほしいと思います。

日浦地区の若い世代は少ないですが、年配の現役世代に教わりながら続けていけたらいいなと思います。

 

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