いなかパイプ

当たり前すぎて“ない”と思ってるところに、ある!

 だんだん暖かくなってきた今の時期。私が住んでる旧 古城小学校では窓の隙間で冬を越していたテントウムシたちが目覚め、よく部屋のなかにいるので、まるで一緒に暮らしているようです。

テントウムシ

 大阪に暮らしていたときは「あ!テントウムシや!」と珍しくてかわいかったのですが、こっちにきて大量のテントウムシと過ごすことになりだいぶ見慣れました。
 多すぎると印象もかわるもので、そんなテントウムシとは、寝間着の服の中にうっかり入ってたりして、窓から放り投げる関係性になりました。

 こういうのも小さなことも、「ない」が「ある」に変わることなんかなーと思ったりします。

 なにかをがんばってやろうとしなくとも、ただそこにいて暮らしているだけで、別の場所に住んでいる人にはできないことができるようになっている、ということ。

 同じ日本でも、「いなか」は都会からしたら異国で、環境も人も文化もまったく違いました。
 都会育ちの私には衝撃的だけどこっちの人の暮らしでは当たり前なことは、自分もそこに暮らしている間にいつのまにか慣れてしまいました。
 都会に住むインターン生の方が古城小学校に来られるたびに、たとえば「こんなでかいクモこわくないなんて、すごいですね!!」と言われます。

 自分は、そのすごいと言われることをがんばってできるようになったわけじゃないし、「こわくない自分、すごいぜ!」とも思っていなくて、当たり前になっているだけ。
 だけど、一年半前のこっちに来たばかりの自分が今の自分に会えたとしたら、
 「虫こわくないんですか!すごいですね~!」とおんなじことを言うんだろうなぁと思います。

 そんな風に別の場所に住むということで、自然とできるようになってしまうこともあるし、

 そもそもみんな生まれてきた環境が違うので、その人が当たり前でも他の人にとってはすごい能力、というのもあると思います。

 「才能とは、自分にはあまりに当たり前すぎて、たいしたことないと思って気付かないこと。
 自分には当たり前だから、他の人ができないのがなんでかわからず不思議に思ってしまうこと」
だ!というのを教えてもらったことがありますが、きっとそうだなー!と思います。

 たぶん自分が気付いてなかったり過小評価している「できること」もいっぱいあります。

 そんな「ない」とおもってるなかの、「ある」をみつけに、いなかへの入口をあけてみませんか?いなかパイプスタッフが、あなたとの出会いを楽しみにまっています!

四万十

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