イナカのイキルミチ-田舎が善で都会は悪の二元論を超えて-
2016/01/29
- 執筆者 大西正泰
- 所 属一般社団法人ソシオデザイン
こんにちは。ソシオデザイン(徳島県上勝町)のおおにしです。さて第4回目の原稿です。
前回の記事で、田舎が目指すのは、GNH(幸福量)を増やせ、そのためのイノベーションを起こさねばという話でした、端的にいえば笑
しかし、じゃあなんで若者が都会に行くかといえば、田舎がつまらなく、閉塞的で、魅力的ではないからで、日々メディアに見る<TOKYO>が都会が魅力あるように思うわけです。また、勉強ができる子ほど、野心がある子ほど、上に行きたいので、当然都会を指向します。考えれば、当たり前のことで、都会は楽しく魅惑のある場所なんです笑ということは、都会だって、面白くて幸福度数も高いんです。
じゃあ田舎と都会の幸福度は同じ質のものか。そして量は?当然、「質」は違います。消費によって幸福を感じることができるものがたくさんあるのは、もちろん<都会>です。そして、選択数が多いということは、「量」も多いというころです。しかし、決定的に抜け落ちているのは、<田舎が持っている幸福の質>です。
つまり、コンクリートジャングルがもたらす環境。里山里海がもたらす環境。この違いがもたらす環境差。これが幸福の質と量の差異を決定づける要素になります。だから、田舎は自然がもたらす幸福度の高さが一つの強みです。
しかし、これは田舎と都会の両方を経験しないと差異がわかりません。ですので田舎しか知らない子供は都会を目指し、都会しか知らない子供は田舎を物珍しく思えるのです。
とはいえ、国土の7割が山で、海に囲まれた日本で自然は、都会以外にありふれているものです。ですので、自然がもたらす幸福度数というのは、田舎同士を比べてみても、それほど変わりません。つまり、団栗の背比べ程度の差でしかありません。また、特別に美しいところは、すでに観光化されており、ここも違った意味で、田舎ではありません。ということは、田舎の幸福度数を高めていくにあたって、この<どこにでもある自然>を前提にどのような幸福度の質と量を高めていくのか、そこにアイデアと戦略性をいれていく必要があるのです。ここが地方創生の<キモ>になります。
もう一つ、都会と田舎の違いであげられるのは、<人情>です。けれども、都会にも田舎にもいい人はいるし、わるい人もいます。田舎には、外からくる人を毛嫌いするところだってあります。そういう意味では、人も等価です。
では何が都会の人の心をくすぐっているかといえば、<異文化同一民族>の持つホスピタリティなわけです。田舎の多くは<方言>を用い、都会にはない<祭り>や<風習>があります。つまりは、<異文化>なわけです。とすれば、異文化をどれだけ押すことができるのか、異文化を演出できるのか、そこに人情味をより活かすポイントがあります。
しかし、ただの異文化ではまったく意味がありません。というのも、若者が、時間軸で遠い異文化である歌舞伎や狂言などに興味をビシバシ感じるかといえばほとんどの子が持てません。国語で学ぶ古文や漢文に興味をいきなり持てないのと同じようなイメージです。とすれば、異文化同士でありながら、何かしら、<興味を持つ>ための仕掛けがないといけません。つまりは、都会の人にもわかりやすい<通訳>する作用をもつものを間にはめなければなりません。それの一つが、<かっこよさ>だと考えています。
例えば、異文化の英語を使うことを<かっこよさ>と感じています。お店の名前だったり、お客様のことをクライアントといったり、ゲストといったり。クラウドファンディングやインフルエンサーだとか、まあ、いろいろあります。
ひらがなで書くと、またダサくなるのもおもしろくて、くらいあんと・げすと・くらうどふぁんでぃんぐって書いてみるとよくわかると思います笑
つまり、かっこいいと認識すると、その異文化を取り込もう、身に着けよう、触れてみようと考える習性にあります。これは日本だけでなくて、漢字が他国の人にとって、かっこよく見えるのと同じです。つまり、<かっこいい>と思えるかどうか、自分の価値を引き上げるものであるかどうか、そういう観点で我々は、異文化を消費しようとします。
とすれば、田舎文化を<かっこよくさせる>。これが、一つの解法のように思います。例えば、全国の田舎で受け入れられている古民家リノベーション物件などを思い出してみてください。
どこもデザイン性の高い<かっこいい>ものが受け入れられているはずです。しかし、このかっこよさも、かっこいいだけを都会と同じようにやっても、ダメです。
異文化 + かっこよさ + 人情味
この方程式です。
田舎に求めるのは、都会にはない、濃密なコミュニケーションです。そして田舎の人が持っている<よそ者への優しさ>。もし、東京のおしゃれなお店がそのまま移築して、マクドナルドのような接客をしても、たぶん、山奥の田舎ではウケないと思います。
さて、復習です。田舎が都会と異なる幸福度数を高める意味で、
+++++++++++++++++++++++
<自然>+<異文化>+<かっこよさ>+<人情味>
+++++++++++++++++++++++
この方程式を上手にいかすことが、ボクにとっての一つの地方創生方程式です。ただし、これをイベント(=非日常)でやるのでなく、日常化させておくのがポイントです。地方創生の方程式は、日常を非日常化させる<祭り化>ではなく、非日常を日常化させる<祭りの日常化>という試みです。多くの先進地域は毎週のように毎日のように、何かしらイベントがあったり、人が溢れていたり、つまりは、<日常=非日常>になっています、ほかのエリアに比べると。
そういう意味では、イベントを町おこしと考える手法はボクにとっては<地域活性>ではあっても、<地方創生>ではないです。例えば阿波踊りみたいに4日間110万人訪れたとして活性化したとしても、残りの361日がダメならば、それは地方創生じゃないという考え方です。つまりは、地方創生というのは、田舎の文化をより成熟した異文化として日常を変えていくものだと思うのです。ですから、僕が取り組んできた、シェアハウス、シェアカフェ、シェアバー、ゲストハウス、古民家レストランなどはすべて<日常を変える装置>です。cafeのなかった街にカフェができ、レストランとゲストハウスができることで、街の雰囲気が変わる。また、この数年で新規事業がどんどん生まれる文化になってきました。
こういう日常の営みを切り替えていくことが、ボクにとっての地域再生方程式の土台です