池谷集落の村人に聞く! 冬の暮らしとタバコ栽培の話がおもしろい

 こんにちは。十日町市地域おこし実行委員会 福島です。
 私たちが活動拠点にしている、池谷集落は現在11世帯24人。そのうち、5世帯が80歳前後の方々です。
 戦前に生まれ、戦後・高度成長期を経験してきた村の人の話は、とにかくおもしろい!!
 昔の暮らし、農業、除雪方法、出稼ぎ、お祭り…。今では博物館で紹介されているようなこと、展示されているような物を、現実に経験し使用してきた人たちです。
 現在31歳の私にとっては映画や小説で見聞きしたことが、リアルな実体験として当たり前のように話に出てくるので、村の人の話はわくわくと驚きがいっぱいのエンターテインメントです。

 今回、池谷集落の庭野功(つとむ)さん、ヒサさんご夫婦に昔の話を伺う機会があったので、ぜひ紹介したいと思います。

 

ヒサさんご夫婦

 

 功さんは池谷集落生まれ・池谷集落育ち。普段は無口で控えめな方ですが、ポロっと出る言葉が面白く、そして記憶力抜群で昔のことをスラスラと教えてくださいます。
 ヒサさんは、十日町市内の中手(なかて)集落からお嫁にきました。功さん同様控えめですが、明るくて笑顔がチャーミング♪
 屋号が「隠居」なので、村の中では「隠居さん」と呼ばれています。
 屋号という風習は、日本全国の地域でよくみられると思いますが、十日町でもまだまだ根強く残っています。ちなみに、私が今まで聞いた中では「隠居」がよくある屋号No.1です笑

 

昔の雪かきは、村の共同作業

 
 さて、まずは昔の雪かきについて教えてもらいました。
 十日町は全国でも有数の豪雪地帯。中でも標高300メートルのところに位置する池谷集落は、多い時で4メートル近い雪が積もります。
 ここ2年ほど小雪傾向で積雪2メートルいかないくらいですが、昔はそんなもんじゃぁなかった。森林総合研究所十日町試験地の記録では、昭和20年(1945年)には最大425センチの積雪があったそうです。身長の2倍以上の積雪なんて想像がつかないですね!
 今でこそ山奥の池谷集落でも道路除雪が行き届いて、生活に大きな不便はありませんが、除雪車がなかった時代はどうしていたのか? 伺ってみました。

 

三人

左から、功さん、ヒサさん、福島

 

功さん 「冬になると若い男しょ(=たち)は出稼ぎに行って村にいなかったから、除雪は女性や子どもの仕事。大変だったと思うよ。」
 
ヒサさん 「家を建て替える前は、茅や屋根で雪掘りも大変だった。今の屋根と違って傾斜がきついから、下からじゃなくて上の「ぐし」(屋根の頂辺)の部分から円をかいて掘る(=雪かきする)んだよ。やり方はおじいちゃんに教えてもらったね。あと、池谷分校の屋根の雪おろしもみんなでやったよ。」
 
功さん 「昭和40年(1965年)頃に、ようやく県道から池谷までの市道を圧雪車が通るようになった。それが2~3年続いたかな。そのあと昭和45年(1970年)頃から除雪車が通るようになって、今みたいな無雪になった。そうなるまでは、村の人が順番で県道までの道付けをしていたんだ。」
 
ヒサさん 「今、十日町博物館にあるんだけど、道つけの当番を書いた板があってね。雪が少ない時は1人か2人で、雪が多い時は3人でやっていたね。男しょはいないから、家にいる年寄りや女性の仕事だったんだよ。2時間くらいかかる時もあったよ。」

 

ミチフミバン
十日町博物館に展示されている、ミチフミバン。屋号が並んでいる

 

子どもには嬉しい? 雪国ならではの行事

 
 今とは比べ物にならないくらい、昔の冬の暮らしは大変だったのが伝わってきますね。
 当時中学生は、池谷集落から車で5分くらいのところにある飛渡(とびたり)第一小学校に併設されていました。生徒は集落からそこまで歩いて行って、到着するころにはもう昼になっていて、昼ご飯だけ食べて帰ったんだ、なんていう笑い話もあります。そんな子ども時代を過ごしてきたからこそ、今の80代の村の人は丈夫なんだなぁと思います。
 冬は大変な面も多いですが、楽しいこともあります。それが、小正月行事やスキーです。

 

ヒサさん 「1月14日の午後は「鳥追い」といって、子どもたちがかまくらを作って、その中で餅を焼いたりみかんを食べたりしていたね。」
 
功さん 「翌日の15日の朝は、『もぐら追い』というのがあった。柔らかくするためにワラを叩く木の槌を紐で結んで腰にくくりつけて、家のまわりを『どけどけ、つつぢ(槌)のお通りだ』と言いながら引きずって歩いたんだ。鳥やもぐらを追い払って、豊作を祈る行事なんだけどね。15日の午後は、道楽神(どんど焼き)もしたね。」
 
ヒサさん 「昔は道楽神は集落のお墓があるあたりでしていたね。人が少なくなって、そこまでカンジキ履いて道をつけるのが大変だから、鎮守様(神社)の下でやるようになったんだ。あと、池谷分校に子どもがいたころは、分校の裏の坂でスキー大会なんてのもしたよ。本校の飛渡第一小学校の子どもたちも来たりして。雪の中にみかんを埋めて、宝探しもしたね。」

 

スキー大会をしたという分校裏
スキー大会をしたという分校裏。当時は今ほど木が大きくなかったといえど、それでも傾斜が急で結構怖い

 

だまされた!と言いたくなるぐらい大変だった、昔の農業

 
 話を聞いているうちに、村の人が「葉タバコ」の栽培をやっていたころの話にもなりました。
 タバコはナス科タバコ属の分類で、アメリカ大陸が原産地。JTのサイトによると、日本原産種もあり、現在も31の県で栽培されているようです。
JTウェブサイト
 
 池谷集落でも農協の指導があり、村の人が若かった頃、葉タバコの栽培は盛んに行われていたそうです。
 池谷集落は魚沼産コシヒカリの産地とはいえ、耕地面積の限られた棚田での稲作だけでは一家を養う収入が十分には得られないため、葉タバコや銀杏などほかの作物も栽培していました。
 いやはや、池谷の人たちは色んな経験を乗り越えてきたんだなぁと改めて思います。

 

ヒサさん 「葉タバコは、昔は「ケンカ草(ぐさ)」なんて言ったりしたね。『タバコ作ると忙しすぎてケンカする』なんて言ってさ。」
 
功さん 「いや、本当だったねぇ。雪が消える前から雪が降るまで約1年中、タバコ、タバコ、タバコだったねぇ。」
 
ヒサさん 「手作業なんだんがねぇ(=だからねぇ)。苗を植えたり、夏は下から一枚ずつ(葉を)かいて(=収穫して)いって、縄にさして。それから、ビニールハウスの中にみんなぶら下げて…。雨がふるとかぶれるし、生ものだからねぇ。天気がよすぎて急に乾くのもダメだっていって。面倒で、難しかったねぇ。」
 
功さん 「収穫の最盛期はちょうど、中学生や高校生が夏休みの時だから、収穫した葉タバコを縄にあむアルバイトに来てもらう家もあったね。3~4メートルくらいの縄で、一連いくらでお金を払ってさ。だいぶやってもらったねぇ。」
 
ヒサさん 「一連編むといくらになるっていって、一生懸命に競争してやってたねぇ。」
 
功さん 「夏はタバコもやって、田んぼの草刈りもやってねぇ。秋になると、乾燥した葉タバコを縄から外して、いいやつと悪いやつを仕分けて、梱包して、秋雪の降るちょっと前に、小千谷の集荷場に運送会社の車で出して。収穫が終わると、雪がふるころでね。」
 
福島 「それじゃあ、田んぼもしなきゃいけないしで大変ですねぇ!」
 
功さん 「そうそう、だから「ケンカ草」っていったんだよ。」
 
福島 「そりゃケンカもしますね! 男の人も大変だけど、女の人も家のことも子育てもしてだから、かなり大変ですよね。」
 
功さん 「そういう作業内容をふせておいて、嫁にもらったもんだから…笑。」
 
福島 「そうだったんですか!笑」
 
功さん 「どこの母ちゃん連中も『だまされた』って言ってね笑。 いやー、今になってみると笑い話だね笑。」
 
ヒサさん 「(笑)」

 

 たしかにそんなに大変だったら、「だまされた」と言いたくなりますね苦笑 それでも、50年以上連れ添っている隠居さん夫婦は本当にすごいです…!!人生の大先輩から学ぶことは、本当にいっぱいです。
 村の人の話は本当におもしろいので、これからもたくさん聞いて残していきたいと思います!

 

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