療養生活~田舎の恵みにより早期回復です~
- 執筆者 小林恵子
- 所 属えん(縁)もたけ(竹)なわ
2018/03/14
岡山市から、赤西です。私は、「~えん(縁)もたけ(竹)なわ~」と称して、竹やぶを活かして、認知症の人の「居場所」と「出番」と「役割」づくりに取り組んでいます。地元にふんだんにある竹を活用していこうと取り組んでおります。
約8年前、認知症になった祖母たちが、管理の行き届かない竹やぶを憂慮していました。当時は、日中暇をもてあます祖母たち。ならば、祖母たちと楽しみながら竹を活かしていこう!!と取り組んでおります。
が、私事ながら、5月に交通事故にあい、むち打ちなどにより半年以上にわたり、自宅療養の日々を送っておりました。いなかに癒され、元気をもらい、思ったよりは早く回復することができました。
療養の日々の様子をいなかマガジンにまとめられたら、と言っていただき、療養中のいなかの日々を徒然なるままに記させていただいております。
5月に車と車の交通事故にあい、むち打ちのために、当初はほぼ寝たきり。むち打ちは、「頚椎捻挫」といわれ、首の痛みはもちろん、頭を首が支えているので支えきれず、頭痛やめまい、吐き気などの症状がありました。
起きあがると、首が頭を支えるため、支えきれず頭が痛くなります。めまいや吐き気もでてきます。横になると楽なので、寝たり起きたりの生活が三ヶ月ほど続きました。肩などの打撲もあり、肩や腰、背中など体のいたるとことが痛む日々でした。体もだるく、なかなかやる気も出ない日々でした。
そんな中、いなかの恵みをたくさん感じる日々でもありました。ご報告をさせていただけましたら幸いです。
療養中に改めて感じるのは、大自然には偉大なる癒しの力があることを感じられます。私はリハビリも兼ね、ある程度よくなると毎朝の散歩を日課としておりました。(その後はマラソンになりました) お世話になっていた整骨院の先生が、
「好きなことをすることが、むち打ちがよくなることにつながる」
といってくださり、マラソンが趣味の私は、朝の散歩から始めました。マラソンコースが近所にあり、事故前は走っておりました。
普段は介護士。また、身内の介護にもかかわる中で、24時間介護のことで頭がいっぱい。ストレス発散のマラソンコースでありました。「おかやまマラソン」というフルマラソンにも参加をしたりしておりました。
事故後走るどころか歩こうにも痛みが強く、体の重心もとりにくい状況で、ゆっくりゆっくりしか歩けません。お手洗いに行くのがやっとの日々でした。頭が痛くて、本も読めず、テレビも観れません。そんななか、横になり窓から観える空に飽きることはありませんでした。
空の色は刻々変わっていきます。流れる雲の形も刻々変わっていきます。ひと時として、同じ雲はありません。まるでスクリーンのようでした。
毎日空は見ていたはずなのに、観てはいなかったことに気づかされました。空がきれいで、大きい。田舎ならではのめぐみであると感じられました。足元に宝が眠っていたことを感じました。
私は、痛みや体調不良のために、朝から気が滅入っているときも多々ありました。せっかくの一日。滅入ったままですごすのももったいないことです。
介護の日々の中、お年寄りたちは、今生かされていることのありがたさを教えてくれます。今は今でしかなく、時は移り変わります。人はいつかは旅立ちの日がくること。だからなおさら今生かされていることのありがたさ。奇跡であることを教えてくれます。
調子のよいとき、できる範囲から、朝一番にお散歩にでました。ところは、岡山市中区。操山(みさおやま)という小高い山のふもとであります。
「百間川」という川の土手をゆっくりゆっくり歩きました。「百間川」は、岡山出身の小説家内田百間が、この川からペンネームをつけたとも言われる川です。緑に恵まれ、穏やかな川です。「晴れの国おかやま」にぴったりの穏やかな川です。
朝のお散歩では、自然豊かな環境のなか、朝の新鮮な空気をゆっくり吸い、ゆっくりと歩き、日の出を拝む。
朝日を拝むと、朝起きたときから、いたるとことが痛く、めまいや吐き気があり、気持ちが滅入っていても、一気に生かされていることへの感謝がわいてきます。
薄暗いなか歩き始め、ゆっくりゆっくり歩いているうちに日が昇り、ゆっくりゆっくり明るくなる。その様子は、天然のプラネタリウムのようでした。感動の空模様でした。
太陽のありがたさ、自然の雄大さ、不可思議さ、今日という日が迎えられたありがたさ。何より、車が大破した事故にあっても、いのちあることのありがたさ。散歩中の野草や野のお花に力をもらい、鳥たちのさえずりも、私に歌ってくれている歌のように感じられます(勝手に)
ゆっくり歩いているからこそ、さまざまの野の花、てんとう虫などの昆虫、さまざまの鳴き声をする鳥たち。さまざまの生きとし生けるもののなかで、私自身も生かされていることに改めて気づかされます。
体調不良であるからこそ、いのちあることに感謝をし、今日一日があることのありがたさはなおさらです。
朝日を浴びると「セロトニン」がでると言われています。「セロトニン」は、精神の安定や睡眠に関わっている神経伝達物質です。セロトニンが不足をすると、ネガティブな思考になったり、内臓の働きや代謝がさがったりするので、心身の安定のためには必要な物質であると言われています。
療養中は、もう治らないんじゃないか、と思うことも多々ありました。朝日を浴びることで気持ちは前向きになれました。朝日は天然のお薬だと思われました。緑豊かな中で朝日を浴び、少しずつ、少しずつ、心身健やかになっていくのを感じられました。
私は、事故にあう前までは、一日24時間では足らないと、欲張りで、たいへんな駆け足の日々でした。事故にあい、いったん立ち止まる時間を与えられ、ゆっくりしかすごせないなか、自然の中でさまざまな気づきがあります。
一日として同じ空の日はありません。同じ雲の日はありません。野草も日々大きくなり、花を咲かせ、実をつけています。鳥たちの鳴き声も、飛び方も日々違います。
生態系という言葉も頭に浮かびます。さまざまのいのちのなかで生かされていることを感じます。感謝のもと、一日のスタートをきることができます。
いなかには、足元にお宝ありだと改めて感じられました。療養中は、気力、体力も落ちておりました。ただ、ただゆっくり自然の中にいるだけで癒されました。
これまで、私は、竹やぶのある山ごとを楽しむ「操山ワンダーランド」に取り組んでいました。イベントのときには、せっかく来ていただいたのだから、といろいろ企画をし、
『古墳めぐり』
『トレッキング』
『竹のワーク』
『薬草講習』
『野点』
『竹の子パーティ』
など、盛りだくさんに企画をしておりました。
参加者の方から、ただ森の中ですごすだけで十分うれしいと声も聞かれておりました。けれど、私から見れば、日常見慣れている山です。わざわざ来ていただくのに、こちらが面白く企画せねばと、たいへん肩に力が入っておりました。
今から考えてみれば、準備不足で、だらだらしていた企画のときのほうが、まったりとした時間がすごせ、おしゃべりも楽しめたような・・・
森の中で、ただゆっくりと過ごす。それこそが心身を癒す、至福のひとときであったこと。そのことに、身をもって感じることができました。これまでとは違った視点から、自然との関わりについて考えるきっかけとなりました。
療養中、竹に救われています。事故にあってすぐは、日常の生活をこなすのにいっぱいでした。日常はトイレにいくことがやっとでした。ご飯を食べるのに座っているのが辛い。いただいた後は、すぐに横になり休んでおりました。
出番も役割もない日々。できないことが多く本当に自分が情けなく思われました。そんな中、「出番」や「役割」が生きていく大きな張り合いになることを強く感じました。
竹を使うことは、森を守ることにもつながります。竹が、私に「出番」や「役割」を作ってくれていることに気づかされました。微々たる力であれ、ローマの道も一歩から。自然豊かな環境のなか、私自身が癒され、日々元気をもらっていたことを感じられました。
管理の行き届かない竹やぶが、森の生態系を壊していっています。管理の行き届かない竹やぶは、年々増え広がっております。生態系の破壊や、獣害につながる社会問題となっています。
そのことに気づけたのは、祖母たちが認知症となり、これまで憂えたことを話はじめたからです。祖母たちの思いを微々たることであれ継いで、できることにこれからも取り組んでまいります。祖母たちの生きがい作りのために、一緒に竹製品を作ることで「出番」や「役割」を作ろうと取り組んでおりました。
事故後は、森が私自身に「出番」や「役割」も与えてくれましたことに気づかされました。森や祖母たちのためと思っていたことは、すべて私自身の癒しや生きがいになっていたことに気づかされました。おかげさまで、当初思っていた以上にむち打ちの症状もよくなり、元気になってきました。
いなかには、たくさんの自然があり、その中に大きな癒しの力があります。また、たくさんの課題もあり、解決のため、よりよいいなかになるためには、たくさんの「出番」や「役割」があり、生きがいもたくさんあります。療養という、これまでとは違った生活のなか、自身を振り返る機会がいただけ、いなかの良さにさらに気づけたことに心から感謝をしております。
長文をお読みくださり、ありがとうございます。これからも、ますます『いなか』が楽しく魅力的になっていきますよう。これからも、どうぞご指導をよろしくお願いいたします。
~えん(縁)もたけ(竹)なわ~
赤西 恵子